Interview

 
 
Place: New York

深田晃司監督『歓待』

Koji Fukada
アートカテゴリ:  Film


移民問題が大きく取沙汰され、共同体と排除というアメリカでは非常に馴染み深いテーマを持つ、若手映画監督・深田晃司が監督を手掛けた日本映画『歓待』。これが、ニューヨーク近代美術館(MoMA)とリンカーンセンターで毎年行なわれ、今年で四十回目を迎えた国際映画祭ニュー・ディレクターズ/ニュー・フィルムズに日本映画として三年振りに選出された。


この映画祭はスティーヴン・スピルバーグ、ペドロ・アルモドバル、スパイク・リー、ダーレン・アロノフスキーといった錚々たる映画監督を輩出していることでも知られ、映画祭の名称通り、映画監督の持つ世界観を決定付ける長編初監督作品が主にラインナップに並んでいる。類稀なる新人監督たちを知る良い機会として、この映画祭に注目するニューヨーカーも多い。


『歓待』の物語の舞台は東京の下町のとある印刷所。そこを営む小林幹夫は、妻・夏希、前妻の娘・エリコ、出戻りの妹・清子と、ささやかに暮らしていたが、ある日突然、無精髭を生やした怪しげな加川という男が現れ、彼らの家に棲みつき始める。それを機に、印刷所に次々と見知らぬ者達が集い始め、小林家の平穏な生活は掻き乱されてゆく。


共同体と排除という日本に潜む問題をユーモア溢れる家族ドラマの中で炙り出した深田監督。その感性豊かな瑞々しい才能は、昨年の東京国際映画祭日本映画・ある視点部門での作品賞受賞を皮切りに、オランダはロッテルダム国際映画祭をはじめとする様々な映画祭で話題を集めた。また現在も、彼の新作映画の秘める限りない可能性は、日本国内は固よりアメリカ、スペイン、トルコ等、さらに大きく広がり続け、止まる由を知らない。


ニューヨークはアメリカの中でも、特に多くを許し受け入れる街。そんな街で『歓待』もまた、人々に温かく迎えられた。受け入れようとすることで生ずる痛みや優しさを、嘘のないタッチで綴ったこの映画がきっとニューヨーカーたちの心にも響いたのだろう。近年、アメリカでも抜群の人気を誇る黒沢清や是枝裕和という日本の映画監督たち。『歓待』の来米は、アメリカ人が好きな日本人映画監督として、深田晃司の名前を挙げる日もそう遠くないことを確信させた。


映画祭のためにニューヨークを訪れた深田晃司監督にインタビューを行なった。



この映画祭に日本映画が選出されたのは三年振りなんですが、『歓待』が選ばれたことに対するお気持ちは?

世界的に有名映画監督を輩出している映画祭なので、やはり嬉しいですね。僕はスピルバーグの『続・激突! カージャック』が凄く好きなんですが、それもこの映画祭で上映されたということで、非常に光栄に思っています。


 

劇団に所属されているとのことですが、舞台のお仕事もされているのでしょうか?

僕は劇団青年団という劇団の演出部に所属しているんですが、実は舞台のお仕事はやっていないんです。皆演劇の演出をやっているなか、僕はひとりで映画だけを作っています。


いつ頃から映画監督を志されたんでしょうか?

映画をたくさん観るようになったのは中学三年生の頃で、中学、高校の時は海外の古典映画等を中心に観ていたせいもあり、自分自身が映画を作る立場になるという発想が全くなかったんです。実際に映画制作に自分も携われると気付いたのは、大学に入り、たまたま映画学校のチラシを見かけたときです。その時、初めて自主映画というものの存在を知りました。


影響受けた映画監督はいますか?

映画を作る時にいつも意識しているのは、エリック・ロメールや成瀬巳喜男の作品です。僕の作品は彼らのものとは全く違うのですが、彼らのことはいつも頭の片隅にあります。


現在活躍中の映画監督で、この監督の作品は絶対観るという映画監督はいますか?

それでしたらアッバス・キアロスタミですね。彼は本当に尊敬する映画監督です。彼のアメリカでの評判はどうなんですか?


人気ありますよ。ニューヨークの人は特に外国の映画が好きなんです。

日本では彼の全ての映画が観れるわけではないのですが、彼の作品を観る度に、その時間が終わらないで欲しいと感じさせられます。最近青年団の俳優たちと『クローズ・アップ』を観直しましたが、やはり圧倒されました。実際に起きた詐欺事件の当事者たちに事件を再現させているので、彼らの演技を団員たちに見せるのは、むしろ嫌がらせとも言えるんですけどね。


では、”ニュー・ディレクターズ/ニュー・フィルムズ”に選出された『歓待』についてですが、どうしてこのタイトルになったのでしょうか?

実はもともと『輪転』というタイトルで脚本を書き始めていたんです。印刷の輪転機、それから人生がどんどん輪転していくという、諸行無常的な意味を込めたタイトルだったんです。ところが、脚本を直していく段階で共同体と排除という問題が作品のテーマとして強くなり、外から来た者をどう受け入れるのか、という意味を込めて最終的に『歓待』というタイトルになりました。またジャック・デリダが「歓待について」という講義録を出しており、ここ最近の日本の移民問題やデリダの歓待思想も意識しています。


『歓待』制作への経緯を教えて下さい。

もともと長編映画を作ろうという企画が持ち上がっていました。しかし、いきなり長編を作ろうとしても資金が集まらないので、一度パイロット版として短編映画を作ろうと脚本を書きました。それをプロデューサーの小野光輔さんや杉野希妃さんに見せたところ、二人とも気に入ってくれて、長編制作へと話が進んでいったんです。


短編の脚本をどう書き換えていったのですか?

先程お話しした長編映画の基となる短編脚本には、映画の核となるものは全て含まれていました。ただ短編映画版は四十代の夫婦の話で、加川の出現によって、彼らの中に長年あった溝がだんだんと明らかになっていくというものだったんです。今回、プロデューサーでもある杉野さんが映画にも出演してくれる事になり、脚本の書き換えが必要になりました。また共同体と排除というセンシティブな問題がこの映画の中では重要なので、それをこの映画の中でどう扱うのかというところに神経を費やしました。


非常にインターナショナルな作品になているんですが、加川の妻アナベル役のブライアリー・ロングさんがとても印象的でしたね。

実は彼女、劇団青年団の団員なんです。去年の7月にイギリスから日本にやって来て、青年団に入団して、すぐに映画に出ていただいたんです。しかも彼女はオックスフォード大学を去年首席で卒業した才女なんです。在学中に日本語を勉強していたようで、卒論のテーマに選んだのが「平田オリザと野田秀樹について」だったそうです。オーディションの時に彼女に会いましたが、漢字もフリガナ無しで読むことができ、日本語も結構上手に話せます。映画の中では片言にしてもらっていますが。


流れ者の加川という男についてですが、彼は一体何者だとお考えですか?

基本的には、観た人に解釈は委ねたいと思っているのですが、僕の中では、彼は小林印刷を実験場にし、外国人であれ、日本人であれ、ホームレスであれ、犯罪者であれ、名前も経験も一切問わずに全て受け入れるという、いわゆる歓待を実践する、ある意味思想的な革命家なのではと考えています。それと同時に、楽しければそれで良いと思っている愉快犯でもあります。


加川は独特のキャラクターですが、実際にもいそうなリアルな演技でしたね。

古舘さんにああいう役をやらせたら右に出る者はいません(笑)胡散臭いというか、真剣な顔つきで、真面目なこと言っても、嘘を言っている様にしか聞こえないんですよ。古舘さんは、今回は、残念ながら他の映画の撮影の関係で、この映画祭に参加できなかったのですが、彼はもともとニューヨークで演技を勉強していた方なので、とても来たがっていましたね。


実際の人物をモデルにしたキャラクターはいますか?

特にモデルはいないのですが、山内健司さんや古舘寛治さんの演じたキャラクター等は、脚本を書く段階から俳優のパーソナリティを意識してキャラクター作りをしました。


クライマックスのパーティのシーンについてお話していただけますか?

日本では、自治体によっては10人に1人は外国人という現実があるにもかかわらず、彼らと馴染みが薄かったり、交流する機会があまりないために、外国人が増えることが怖いと思われている現実がまずあります。外国人たちは、あのお祭り騒ぎをただ楽しんでいるだけですが、近所の人の通報によって排除が起こる。本来こういった事は個人個人のコミュニケーションで解決するべき問題であるはずなのに、通報と排除というパターンは日常的に起こっています。また、小林夫婦にとっては、あの多国籍な空間の中で距離が近づく特別な瞬間があります。


日本では外国人犯罪が多いと考えられていますよね。

そうですね、それによって肩身の狭い思いをしている人はたくさんいると思います。僕は外国人犯罪が増えているということをまず疑うべきだと思います。仮に、そういう事実があったとしても、ではなぜ外国人が犯罪組織に入ってしまったり、犯罪を犯してしまうのかという環境自体を考えなくてはいけないと思うんです。例えばなかなか仕事に就けずに犯罪に手を染めてしまうその裏には日本の厳しい入国管理体制がある、そういった過程に目を向けなくてはいけないのですが、そうはならない状況があるように思います。去年新大久保という東京の韓国人街で、とある右翼団体が、警察に誘導されながら韓国人追放を呼びかける大規模なデモを行ないました。しかし、これは残念ながら特定の民族に対するヘイトスピーチと解釈出来るものでした。もちろんこのデモに反対する人もいたのですが、警察は差別の問題には無批判に、それが正式に申請を出されているがゆえ、デモを行なっていた団体を守ろうとしました。おそらく世の中の大半の人は外国人に対して嫌悪感を抱いていないと思います。ただ、「面倒くさい」を理由に多くの人は政治的な問題とは関わらない様にします。しかし、この関わりたくないごく普通の市民が、結局は外国人の排除というものに加担してしまっているんです。


小林家もごく一般の市民ですよね。

そうです。小林家にとって外国人問題というものは遠いところで起こっている問題です。だから例え彼らが外国人のことを恐れていないとしても、町内で外国人を排除するような動きが起こると、つい周りに合わせて近所付き合いから排斥に同調してしまうんです。加川が何故小林家を選んだか。それは、小林家が排除の加担者であるからです。だから加川はそこを歓待の場にしてしまうことに躊躇はなかったんです。


では、この映画が敢えて人種のるつぼであるニューヨークで上映されるということに対してどう思われますか?

いや~、もともと日本の風土に合わせて作った作品なので、どうなんでしょう。それでもオランダでは非常に好感触でした。オランダという国は、昨年与党が極右政党と連立を組んだことで、現在、政府自体が非常に保守的になってきています。移民問題にも厳しい態度を取りつつあるので、そんな中で『歓待』がリアルな問題として受け止めてもらえたのではないかと思います。アメリカは元々移民の国なので、そういうところでこの映画がどういう風に受け止められるのかとても興味があります。一体何が問題なのかと捉えられてしまうかもしれませんね。


革命という言葉がぴったりのエンディングだったと思いますが、革命にちなんで、目まぐるしく変化している今日の世界を、深田さんはどのように見てらっしゃいますか?

心情としては革命はどんどん進んで欲しいと思ってますね。日本について言うと、日本はやはり単一民族国家という意識が強いので、もっとたくさん移民も入ってグチャグチャになった方が良いと思うんです。違う文化や価値観に触れるだけでも単純に面白いですからね。とはいうものの僕は英語得意ではないんですけど(笑)


3月に日本で大きな地震が起きました。その後でこの映画がなお一層人に元気を与えるのではないかと思うのですが。

ああいった大きな災害が起きてしまうと、どうしても映画を作っている人間としては、無力さを感じてしまいます。津波に家族が巻き込まれてしまう不条理を僕にはどうすることも出来ませんし、たった今も寒空の下で飢えている被災された方々に映画で何が出来るのか正直分かりません。しかし、やはりどんな災害が起こっても、生き残る人はいて、彼らの人生は続いて行きます。そんな続いて行く人生のどこかで、この映画が何かちょっと人の意識を変えるような、或はたった九十分間だけでも楽しんでもらえるものになれれば、そんなことを僕自身が信じて生きていくしかないのかなと思っています。

 



text : Taiyo Okamoto