Interview

 
 
Place: New York

高橋 信雅

Takahashi Nobumasa
アートカテゴリ:  Painting

近年、ニューヨークをはじめ、ヨーロッパ各地に活動の場を広げ、目覚しい活躍をみせる、アーティスト/イラストレーター高橋信雅。NY滞在中のインタビューで、自身の展開する「ジャパニーズ・グラフィティ」と、グラフィティアートについて語ってもらった。




高橋さんのアートについて教えてください。

僕は「絵の具オタク」なんですね。絵の具の新しい表現を模索していて、それを目の錯覚などの「仕掛け」にして、皆に見てもらう。僕は年に一回ほど、全て自分でディレクションした個展を開いているんですけど、そこでは「コンセプト」に沿って、絵の具の仕掛けから、絵の仕掛け、会場での仕掛けを制作して、全体を通してその効果がちゃんと伝わるかといったプロジェクト的なことをやっています。


© Takahashi Nobumasa



ニューヨークのグラフィティはご覧になりましたか?

昨日も取材を兼ねて、クイーンズにある、ビルを丸ごとグラフィティにしてしまった場所に行ってきたのですが、社会の問題として出てきたグラフィティが「アート」として扱われることで、根本が変わってきてしまっているんだなぁと感じました。


やはり「アート」としてグラフィティを残すことや楽しむことが目的になってしまうと、根本である「メッセージ性」というものがどんどん薄れていってしまうんですよね。確かに、ああいった形でグラフィティを見せられれば単純にカッコいいし、見ていて気持ちいいですよね。しかしそうやってカッコよく見せてしまうと、逆に根本にあるメッセージ性というものが見えなくなっていってしまう。そういった部分がとても危ないなぁと。でも(グラフィティというものは)そうするしか残せないのかもしれないし、それが時代の流れなのかもしれないし…ニューヨークだってもうこんなに平和ですしね。




「ジャパニーズ・グラフィティ」について聞かせてください。

日本でグラフィティアート展のようなものがあって、一時期流行ったんですけど、僕はグラフィティが好きなんで、いろいろ見に行ったんですね。そしたら「なんだこれ?」みたいな。これはちょっと間違ってるんじゃないかと。僕が見たかったものとは全く違ったんです。


展示ではグラフィティをグラフィックとして扱っていて、単純に「絵として面白いでしょ?」的なものがほとんどだったんです。果たしてこれが本当にグラフィティなのかと。グラフィティには本来、反社会的なメッセージやパワーが込められているわけで、それがなかったら(本来は)通用しない。ただ絵としてカッコよく見せるだけでは根本が変わってきてしまうわけで、僕はそれに対して何か言いたかったんですね。でも、僕はグラフィティアーティストではない。でも、絵描きとしては何かできないかと考えたんです。


だったら、その反対をやってやろうかと。いま見えた違和感をわざとやって、その危機感を分かってもらおうということですね。つまりアーティストが「グラフィティ」という言葉を使って、壁に大量のイラストを「これはグラフィティです」という感じで、格好だけを真似して描いて、それをちゃんと最終的に「アート」にする。「じゃあ、これは本当にグラフィティアートなんですか?」というクエスチョン。と、いうことを「ジャパニーズ・グラフィティ」ではやっています。



高橋さんにとっての「グラフィティアート」とは?

社会の根本が揺るぐようなパワー、ですかね。その時代の社会の問題に対する“重さ”というものがその中に含まれているもの、であって欲しい。そのグラフィティに込められたメッセージを知った上で、いまのグラフィティアートのように保存していく、綺麗なものになっていく、というのは否定はしません。それが時代の流れなのかもしれないし。


そしてそれが次世代だったら僕は良いと思うんですよ。次の世代の若い人たちがグラフィティを見て面白いアートだと認識した。そしたら、彼らがそれを真似るのは当然だし、それ自体がグラフィティアートなんだとしたら、僕は良いと思います。だけど、もし彼らがグラフィティの根本を知らないとしたら、それは問題だから、僕らの世代がそれを伝えていくことが重要であると思うんです。



interview & photo: Sei Koike