Interview

 
 

石岡瑛子 × 蔡國強

Eiko Ishioka, Cai Guo-Qiang
アートカテゴリ:  Installation, Multi Media, Performance

 

「私、蔡さんが大好きなのよ。愛し合っているのよね(笑)」と、北京での開会式以来の蔡國強との再会の喜びを語る石岡瑛子。総合監督の張芸謀(チャン・イーモウ)とともに、北京オリンピック開会式プロジェクトのキー・パーソンとして活躍した2人のビッグアーティストが夢の対談を実現。北京での思い出話に花を咲かせた。



始まりは一本の国際電話から


石岡さんはコスチューム・ディレクターとして、 蔡さんはビジュアル・ディレクターとして北京オリンピックに参加されましたが、その発端は?


石岡: 北京オリンピックの始まる1年ほど前に、突然、蔡さんから電話があったのよ。

それも普段滅多に自分で電話を取ることなんてないのに、たまたま自分で取ったら「石岡さんですか? 蔡國強です。北京オリンピックに協力してもらえませんか?」って、いきなり(笑)もう「???北京オリンピックですか?誰が?私が?」って(笑)もちろん蔡さんの名前は以前から知っていたし、総合監督のチャン・イーモウさんのことも知っていましたが、お会いしたこともなければ何の接点もない方たちでしたから、心底驚きましたね。さらに蔡さんから「イーモウさんの依頼で連絡をしています。2人で石岡さんが適任だと話し合ったのです。石岡さんを口説くように任されています」と説明されたんです。


その突然の招待に即答されたのですか?

石岡: まさか!とんでもない(笑)!でも蔡さんに「いつまでにお返事をしたらいいですか?」と聞いたら、「すぐに」と言われるんですよ(笑)そんな北京オリンピックのような国家的大プロジェクトの仕事をするのに、「お願いします」、「はい。わかりました」で即答なんてできませんよ。それに当時私は他にもいくつか大きな仕事の話を抱えていましたから、それを諦めなくてはならない。大きな決断をする必要がありましたから「少し考える時間をください」と言ったら、「じゃあ、3日後にお返事ください」と言われました(笑)「3日」も「すぐ」もあまり変わりないでしょう(笑)?


全く面識のなかった石岡さんにアプローチされたのはどうしてなのですか?

蔡: 僕たちのコンセプトでは、なるべく中国人のデザイナーは使いたくなかったんです。なぜかというと、中国という国はセレモニーが大好きで、年間に100以上あちこちで式典が行われています。そういった式典に関わっているデザイナーの作品というのは、 伝統的であれ現代的であれ、皆似たようなスタイルになっていて、とても中国風なんですよ。色も鮮やか過ぎるし装飾的過ぎる。その枠から抜けられない。では西洋の人はどうかといえば、彼らは現代的な造形とかデザインには秀出ているけど、彼らの目から中国の文化を表現するのはちょっと難しい。そうこう考えているうちに、イーモウさんが以前日中合作映画を撮った時に*ワダ・エミさんと仕事したことを思い出して、「では日本人はどうだ?」ということになったんです。


巨大なスタジアムでは、観客とパフォーマーの距離感が100メートルから150メートル以上あります。その距離感を克服するには、コスチュームに造形観やスケール観、人間のサイズが大きく見えるようなデザインが必要となってきます。さらにデザインの中には哲学やコンセプトの要素もきちんと取り入れられていなければならない。


そこで僕が瑛子さんの資料をイーモウさんに見せたら、「早くこの人に電話しよう!」ということになったのです(笑)僕は日本語が話せるからということでさっそく瑛子さんに電話したわけですね。そのときはイーモウさんも隣にいて話を聞いていました。瑛子さんは即答できないと前置きした上で、瑛子さんからはブロードウェイの仕事の話の調整がつくかどうか、瑛子さんのお父さんはグラフィック・デザイナーで、生前に中国が一番行きたい国だったと夢を語っていたことなどを話してくれました。ですから、ひょっとしたら受けてくれるかともイーモウさんと期待して瑛子さんからの返事を待つことにしました。でも待ちきれずに次の日にもまた電話してしまいました(笑)


結局瑛子さんは僕たちの熱心な勧誘にのってくれて、北京までミーテイングに来てくれました。クリエイティブ部門のディレクターが全員集まった席で瑛子さんを紹介しました。会議の途中で瑛子さんが席を立ったとき、僕とイーモウさんの2人は中国語でコソコソと「この人にして良かったね」って(笑)


さっきも言ったように、コスチューム・ディレクターを選ぶのは本当に難しかった。1万何千人分もの衣装全てが造形物ですから。ライトを仕込んだり、それで飛んだり跳ねたり走ったり床に転んだりしますからね。人間の動きがわかる人でないと僕たちの要求するところで一緒に歩んではいけない。無制限にある要求を克服できるのは石岡瑛子さんしかいないと、その場にいた全員が理解したわけですね。


北京オリンピックが終わった今振り返ってみても、瑛子さんでしか成し得なかったと思います。中国国内でも国外でもこの開催式はとても高く評価されました。中国の文化を取り入れながらすごく現代的で造形的、アート的要素を強く感じさせる開会式として称されましたが、それは瑛子さんの力に因るところが大きいですね。閉会式は中国人のデザイナーが担当しましたが、やはりだいぶ違いましたから。


石岡: 全員の能力が想像以上の高いレベルで集まったからですよ。でも上手くいって良かったですよね(笑)上手くいく保証なんて全然なかったわけですから。


蔡: 苦労しましたよね(笑)


石岡: 苦労は最初から想像していましたが、もうどうしたらいいのかという問題が多すぎて(笑)しかも最後に成功するという保証がどこにもないわけです。でも絶対に成功しなければならないというのが我々の責任ですからすごく悩みました。


結果としては本当に上手くいきましたね。映画、舞台、デザイン等の分野に私のネットワークがあって、その友人や知人らのリアクションは、「北京オリンピックは、それぞれのポジションのクリエイターが多少の反省点を持ったとしても、想像を超えるレベルのものを見せてもらった。西洋人には無理だ」と絶賛していただきましたね。例えば、いま私はブロードウェイのミュージカル『スパイダーマン』の仕事をしているのですが、そのディレクターのジュリー・テイモア(ライオンキングでトニー賞受賞)などは、私がオリンピックで成功して帰ってくる前と後では全然態度が違うんですよ(笑)それまで私はすごく見下されていたんです。


蔡: 僕もステージの担当をお願いして断られました(笑)

彼女は本当に態度でかいよね(笑)


石岡: それがオリンピックが終わるやいなや、長文のメールを送ってきた上に、会ったとたんいきなり抱きついてきましたからね(笑)「すごい!ビックリした!」ってね。彼女に「一番ビックリしたのは何ですか?」と聞いたら、「西洋ではああいうアイデアをディレクターが持ったとしても、アメリカのパフォーマーには絶対にできない。特に驚いたのはあの箱のシーン。みんなコンピューターで動かしていると思っているわ。まさか中に人間が入っているとは思わなかった」って。あのシーンというのは今回のオリンピックのすごさを象徴したもので、普遍的な人間本来が持つディシプリンの力と、現代のハイテクの発想、その2つを合体させたということですね。


ディレクターがやりたくても、身を粉にして間違いなくやろうというパフォーマーはいないから。1週間トレーニングしたら「俺降りる」という感じの世界ですから(笑)あれは不可能です。北朝鮮のマスゲームのようなレベルものでは、もう誰も驚かない。それをアイデアにおいて、表現のレベルにおいて、遥かに超えたわけですね。「これをつくる中国はすごい!」と強烈にアピールできたんです。


私の大好きな映画評論家でロジャー・エバートという方がいるのですが,この人は超辛口の映画批評で有名で強い影響力を持っています。この人が、シカゴサン、タイムズの2紙にあの開会式の批評を書いたんです。それがもう誉めごろし(笑)その彼の批評に反応して何百ものブログがすぐに立ったんですね。そのほとんどが賛成意見でした。「あの開会式を見るまで私達は中国という国の凄さを知らなかった」とね。






40億人の心を掴むために


そういったポジティブなリアクションを受けて、それまで抱えていたプレッシャーとか、苦労とか、ネガテイブな感情は吹っ飛んでしまいましたか?


石岡: いやあ、どうでしょうね。私なんかよりもイーモウさんのほうが、クリエイターという立場からいったら、山程満足できないところがあったのではないかと思いますよ。それほどオリンピックって難しい仕事なんですよね。映画だったら彼は100%コントロールできても、オリンピックは彼がいくらリーダーシップを持っていたとしても自分の思い通りにはできないんですよ。


私はそのイーモウさんの傘の下でディレクターのひとりとして責任を持たなければいけなかったのですが、今、正直に告白すると、私の野心、クリエイターとしての野心は、実は20%ぐらいしか表現できなかったんです。


あれだけ素晴らしい開会式だったのにもかかわらず、ですか?

石岡: そう。もし私の野心的な案が実現したとしたら、全く別の意味で素晴らしい表現が完成したと思いますよ。私の能力を100%発揮できたとしたらですね。あの開会式は、私だけじゃない総合力としてのすごいものがあって、コスチュームデザインがどうのなんてことはおいておいてね。


それはある種の大勝利といえますが、では私の表現するキャンバスとしてどれだけのことができたのかと振り返れば、私の野心的なアイデアは98%ボツ(笑)!


98%ボツということは、実現したのはたったの2%?

石岡: 大袈裟に言ってしまえばですね。もう、ボツ、ボツ(笑)最初はニューヨークでこのプロジェクトのためのチームを結成し、私を含めて6人のデザイナーで作りそれを北京に持って行ったのですが、その野心的なアイデアはみーんなボツですよ。じゃあどうやって乗り越えたのかというと、李鋭丁さんという上海のデザイナーと私の2人で、現地で全部アイデアを新しくやり直したんです。


正直に言うと悔いは残るけども、オリンピックというキャンバスで悔いのない仕事を、アーティストとして成し遂げるというのは不可能だということもはっきりとわかりましたね。だから 2%なり 20%でも私の野心が実現できたということで、「今までのオリンピックではできなかったことができたかな?」そういう思いですね。


それだけオリンピックというのは巨大なものだということですか?

石岡: 今回のオリンピックは中国が準備するものですが、観客は世界なんですよね。そこが一番重要なポイントになるんです。中国的でありながら国際的というものを我々は求めなければならなかった。イーモウさんに「瑛子さん、中国的であるということを忘れないでいてください」と釘を刺されたのですが、私、初めて中国に行ったんですよ(笑)


例えば、日本人が日本のことを一番よく理解しているかと言えばそれは“?”でしょ?それと同じで、中国人が中国のことを一番よくわかっているのかというとそれも“?”だと思うのです。知識じゃなくて知恵だと思うんですね。知恵というものをイーモウさんは私に求めたと、そう解釈しています。中国的なものを私は知識としてはわからなくても、知恵としてできるなと思いましたね。


驚いたことにイーモウさんという方はものすごく“細かい”んですよ。今まで私が優れた仕事を一緒に作ってきたディレクター達、例えばフランシス・コッポラ監督とかは、みんな私に最大の信用をおいてくれていたから私に任せてくれる。そのことで野心的な表現は生まれたのです。質には私だってものすごくこだわるわけですよ。


でもイーモウさんは私よりもっと細かい。「イーモウさん、そんなところ見えないですよ」と言いたいくらい(笑)でもそのおかげで助かったところもありますけどね。私の注文を職人が聞かなくても、イーモウさんの言うことは絶対でしたから。イーモウさんが「ダメ」と言えば「ハイ!」ってすぐにやり直してくれましたからね(笑)


蔡: 彼はなんでも好きで、何にでも口出しますから(笑)


では、蔡さんのほうにもかなり注文が多かったのですか?

蔡: イーモウさんね、僕に対しては他の人との対応とはちょっと違うんですよ。まず、爆発とか火薬のことわからないでしょ(笑)?彼、花火のことなにもわからないから言いようがないわけですよ(笑)冬の寒い時期に彼が僕の仕事をチェックしに来ても、その爆発の様子とかを見るのには野外に出て遠くまで行かなくてはならないわけですよ。それちょっとつらいでしょ?それで一度爆発したのをほんの数秒間だけ見てそのまま帰るわけですよ。だから僕の場合はなんでもやっちゃおうって(笑)例えば彼が「500本打ち上げよう」とか、「1000本は多い」とか考えたとしても、1000本が多いとか少ないとか、その概念がイーモウさんにはわからないから、もう花火のことは僕に任せるしかないわけですよ(笑)


開会式のプロジェクトに関わっているアーティストとして、僕と瑛子さんは共通点が多くて一番親近感がありました。というのは、自分の文化や美学と哲学を持ち、それを重んじながら国際的な舞台の上で、現代的な想像力の必要とされる分野で“戦っている”ところなどですね。僕は瑛子さんの本質的な考えに近いんですよ。だから瑛子さんの言っていることがよくわかる。もっともっと良いものができたんですよ。


では、なぜこの開会式がこれほど評価を受けたのか?ひとつは僕たちが期待していたことが、非常にある意味でエキセントリックで理想が高すぎていたこと。オリンピックのように40億人もの人が一度に鑑賞するようなところでは万人受けしなくてはいけない。それなのにアーティスティックな視点からもっともっとハイレベルなものへと、すごく要求が高くなっていってしまっていたのですよね。あれもこれもと思っていてもそれは不可能。


それで瑛子さんは2%しかできなかったと言いますが、でもその 2%が 100%の価値を持ってあのオリンピックで輝いていたんですね。それともうひとつ、一般の市民も知識人もこの開会式に皆あまり期待していなかったということです。なのに僕たちクリエイティブ・チームがつくりあげたものが彼らの想像を遥かに超えてしまったわけですね。でも実現できたことって会議で出した 200分の1ぐらいにしか過ぎないんです。本当はもっといろんなアイデアがあったんですよ。でもどれだけ面白いアイデアがあったとしても、結果としてすごくシンプルなものだけが残るんですね。ある意味でそのシンプルさは馬鹿げているようにも見えて辟易したこともあるのですが、やっているうちにその単純さと純粋さの意味が理解できてきました。


考えすぎたものは結局、40億人もの人を一瞬で納得させることはできないんですよ。そして成功の大きな要因がもうひとつ、それは「総合的な勝利」です。例えば僕はアーティストとして、瑛子さんはデザイナーとして、イーモウさんは映画監督として、それぞれの分野でこだわりがある。そのスペシャリストとして個人が動くともう不満だらけなわけですよ。映画だったら好きなようにコントロールできるけど、オリンピックはそうはいかない。全ての違うカテゴリーのアートを同じステージで調和させなければならない。しかもライブで。全ての流れがスムーズであり、ハーモニーがとれていなければならないわけです。どれかひとつが秀でていても劣っていてもいけないのです。すべての分野の人は自分の期待までできないけれど、それぞれから一部分のアイディアを合わせると、その部分が集まって全体としてすごいことになりました。それは総合アートの力です。


何千人ものパフォーマーが十万人もの観客の前で、一斉に歌う、踊る、表現する、このようなものは「エネルギーの勝利」ともいえるでしょう。時間、場所,人間の力が、歴史の瞬間に融合して巨大なエネルギーとなって、40億人の胸に響いたわけです。





リハーサルは上手くいったのでしょうか?

蔡: リハーサルでは、あれも残念、これも問題ありと、瑛子さんと囁きあっては暗くなるくらい上手くいっていなかったです。あの箱のライトだけでも僕とイーモウさんは50回以上細部までやり直しましたしね。もう毎日暗いムードで過ごしてましたよ。僕だけじゃなくイーモウさんもそう。みんなね。上手くいく保証なんてどこにもないし成功する判断ができないわけですよ。今までにやった経験がないから完全にチャレンジなわけです。40億人の前で。でも失敗はできない。


例えば「ビッグフット」の花火ですが、1分間で 15キロ歩いてくるわけです。遠くのほうから 29歩の足跡をつけてくるのですが、その全ての経過は会場にいる 10万人だけが巨大モニターで見ることしかできません。では、それをそのまま中継してテレビで流しっ放しにしたとしたら、見ている人たちは退屈したり、せっかく興奮で盛り上がっているムードが台無しになってしまうでしょう? でも実際には、テレビの前の人や北京の街や会場で実際に「ビッグフット」を見てアートのパワーに感動して涙を流している人たちも大勢いるわけですよ。


つまり僕たちがずっと考えていたことは、北京の街に集まる数十万人が実際に見ることや会場の10万人が対象というのは大切だけど、同時に世界中で見ている 40億人にも会場にいるのと同じ感動を伝えるにはどうしたらいいか、ということだったわけです。1分間で15キロメートルのスピードでの中継は技術的に失敗があるかもしれないし、天候の問題もあります。だから、実際にビッグフットが一発ずつ発射された中継映像とともに、いままでテストで撮った映像をコンピュータで修正したものを一緒に放送することになりました。こうしてCGを使ったあの映像のアイデアが出たわけですね。これにはいろいろと海外から叩かれもしましたが、それでもやっぱり実際にライブで打ち上げていることの大切さがあってCGも必要なことだったのです。本当に開会式があれだけ成功するなんて誰も予想しなかったです。イーモウさんも予想しなかった。イーモウさんが本番で60%できれば合格にしようと言っていたくらい。開会式当日の昼間、僕とイーモウさんは成功祈願のために一緒にお寺へ行きました。


これまで2年間も準備を尽くしてきたのであとは結果を待つという心境でしたが、ただ一つ私たちの心を締め付けていたのは聖火の点火でした。聖火がうまく点火するかしないかでは、成功か大失敗の大きな分かれ道になる。その日、中国政府の上の方から電話がありましてね。「ちゃんと(聖火は)点くだろうな?確実に成功できるな?」って聞かれたんですよ(笑)僕は経過を説明し、リハーサルを何回もしたこと、もし上手くいかなかったらほかの対策もあることなどを説明して、点火は確実であることを伝えました。もう緊張はピークでしたよ(笑)


開会式の時は感無量でしたか?

石岡: それはもう涙、涙でしたね。箱のことにこだわってしまいますが、構造上にとても難しい問題がたくさんありましてね。最後のリハーサルでも1個だけ上手く動かなかったんですよね。だからもう完璧にするのは不可能と半ば諦めぎみでした。でも8日の日には完璧にできたんですから。


蔡: 神様のお陰ですね(笑)それと、人間は超能力があるんですよ。普段はその超能力は使えない。だけどあのような歴史的な瞬間には自然とその超能力が表面に現れてきて、大きなパワーとなって僕たちを導いてくれるんですよ。




「信頼」で結ばれた仲間たち


開会式のインパクトと評価が良すぎて、あまり閉会式のことはとりあげられませんでしたよね?


石岡: 私は開会式のみを担当しましたが、開会式が良すぎたので、みんな閉会式も期待してしまったのね。アメリカのテレビでは閉会式のときも「チャン・イーモウ、チャン・イーモウ」って言いっ放しだったけど、実際は閉会式はイーモウさんではなくて、その下のナンバー2の人が演出したものなの。だからセンスも考え方もイーモウさんとは全然違うわけ。


蔡: 開会式がうまくいったあと政府の上の人たちは急に、今度は閉会式でさらに何ができるのかを聞いてきました。


もう開会式で良いものは全て出尽くしちゃったから、みんな怖くなっちゃたんですよ。そうするともうあとは花火を沢山追加するしかないんですよね(笑)


石岡: それはすぐにわかりましたよ。「あっ、花火でごまかしてるな」って(笑)


蔡: だっていつも踊りばっかりじゃつまんないでしょ(笑)?もう花火どんどんやっちゃおう!全部使っちゃおう!って話になって(笑)パラリンピックで使う予定だった花火も閉会式で全部打ち上げてしまいました(笑)


石岡: 開会式で蔡さんが見せた花火というのは非常に高いレベルの表現を実現していたんですよね。創造的なクオリテイーを維持していたわけですね。でもそれが閉会式になると、いわゆる盛り上げる道具になってしまったような気もします。





蔡: アーティストにはサービス精神も必要ですよ(笑)それにしても、開会式の価値がそこまであるなんて最初は知らなかったんですよ。ところが最近になってオリンッピックの開会式というものの重要性に気が付いていったんです。それは開会式ひとつで西洋諸国が持つ中国のイメージが全く変わってしまうということにね。開催国の文化やテクノロジー、経済レベルなど全てが一瞬で世界中に伝わってしまうんですよ。


世界中で中国のイメージといえば、貧しい国、社会主義国で、安い工業製品を生産している国、著しく経済が発展している国などはわかるけど、現代的な文化がある国と知っている人は少なかったでしょ?この開会式を世界中の一般の人たちが見たことで中国に対する印象が大きく変わったということがひとつ。


もうひとつは国内の中国人に対するもので、この開会式の成功で彼らに“自信”が生まれたことだと思います。あの開会式は中国国民に明るさと自信と元気を与えたのです。安物だけじゃない、自分たちにも超一流のものが作れる、という大きな自信ですね。でもたった数人のアーティストのアイデアで、これだけ生気が上がるとは最初は誰も思っていませんでしたよ。


石岡: たぶん外から見れば、オリンピックのような巨大プロジェクトなら、何百人もが集まるようなミーテイングをして、ひとつのことを決めていくように思われるかもしれません。でも実際には私が普段やっている仕事のスピリットで作っていくことができたんですよ。非常にシンプルで少ない人数、人によっては「それ嘘でしょ?」というぐらい。


実は私のチームに最後まで残ったのは、私と李さんの2人だけ。最初はニューヨークからデザイナー5人、私を入れて合計6人、中国で 4人選んだんですよね。でも自然淘汰というか、自然に落ちるものは落ちてしまったというか…でもやり直さなければならない仕事はいっぱいあったし、デザインのやり直しもたくさんあったの、それを全部たった 2人でやったのよ。


蔡: 実は李さんも僕が瑛子さんに紹介したんです。僕の学友なんですが、日本に留学していたことがあって、日本語が話せるのと、日本人のセンスが理解できる人なんですね。彼が一番瑛子さんの突出した部分をわかっていましたね。彼は瑛子さんと一緒に仕事して驚いていたのですが、瑛子さんは服の制作テクニックもよく知っていて、デザインするだけで終わっていないんですよね。だから一般のデザイナーがわからない実際の服の動きが計算できるんです。でも瑛子さんはデザインの権限はもっていても制作の権限は与えられていなかった。それで、制作部門のほうで「これは作りにくい」とか文句を言われるたびに、仕事がはかどらなくなってしまってたわけです。瑛子さんがデザインと制作の両方に権限があれば、もっと仕事しやすかったでしょうね。


石岡: そうですね。でも李さんのサポートで本当に助けられました。彼は 20代の頃に日本に留学していたそうなんですね。当時、彼は知り合いに「石岡瑛子に会わせて欲しい」と頼んだら、「お前みたいな子供が会える訳ないだろ」と言われてがっかりしたことがあったそうなんです。まさかそれから何十年か後に、私と夜も寝ないで一緒に仕事することになるなんて、夢にも思わなかったでしょうね(笑)


李さんの熱い思いが何十年後に実ったということですね。それで余計に頑張ることができたのかもしれませんね。

石岡: そうだと思います。李さんはすごく国際的なアングルでの見方もできる人ですね。だから、中国はまだ遅れている遅れているという思いもあり、ここで良いものを見せなきゃいけない、という気持ちもありで。職人さんはもう無限の数の人たちが働いてくれていたけど、創造の中心は結局2人だったわけね。でもかえって、その部分でシンプルに仕事をさせてくれたイーモウさんの指揮が良かったのだとも思っています。蔡さんになら「火薬のことならもう君に任せるよ。あとやって」みたいな、ね(笑)


それはプロフェッショナルなお2人への信頼が大きかったということではないでしょうか?


蔡: それはイーモウさん、僕たちをすごく信頼してくれてましたね。特に瑛子さんのように世界的に評価されていて、アカデミー賞ももらっていて、自分にプロフェッショナルな力とプライドを持っていることをわかっていたから。仕事に対する責任や情熱などの点では安心してましたね。僕たちはお互いにアーティストなので、曖昧な社交辞令を言ったり、回りくどい言い方なんか全くなしです。それは相手をプロフェッショナルなアーティストとして尊敬しているからですよ。


石岡: でも、ある日私がすごく自信を持ってつくったものをイーモウさんに見せたんですよ。そしたら彼、「うーん…ピンとこないね…」って(笑)


過去に「ピンとこない」と言われたことはありますか?

石岡: そんなのない(笑)!イーモウさんが初めてですよ(笑)そのときは「もうニューヨークに帰ってしまおうかな?」とか考えちゃいましたよ(笑)通訳の人を通してだったから、ひょっとしたら、その通訳の人が間違えたのかもしれないけど、「ピンとこない」でしょ?その通訳の人すごくいい人だったんだけど、李さんが開会式が無事に終った後で「あの人の通訳間違いだらけでしたよ」って教えてくれましたけど(笑)


蔡: イーモウさんの言葉というのは実は通訳しにくいんですよ。彼はとても話し上手で、古代の言葉や特別な単語を話のなかに巧みに入れるんですね。だから通訳するときに適切な言葉を選びにくいんです。


石岡: 蔡さんはイーモウさんと中国語で話せるからいいんですが、私と彼は直接に言葉でコミニュケーションできない、そうすると目と目でコンタクトですね、あとは西洋式に抱き合う。もうしょっちゅう抱き合っていましたよ。みんなの前で(笑)でもね、それしか気持ちを通わす方法がなかったような気がします。


やっぱり言葉で自分を表現できない苦痛というのは1年間を通してありましたね。もし日本語で話し合うことができたら、イーモウさんに私の考えを納得してもらえるところがかなりあったと思いますね。通訳を介して話をすると、なんか話が表層的になっちゃうし、深さがでないというのか、重要なポイントが見えなくなるんです。


だからそれによって諦めたこともありましたね。それで蔡さんに助けを求めたこともあったのだけど、蔡さんは蔡さんで大変だから、次第にそれもできなくなってどうしようかと思ったりもしましたね。


蔡: 私ね、今だから正直に言えるのですが、瑛子さんからヘルプを求められて瑛子さんのために弁明に行きますね。でもそれを幾度となく繰り返すと、彼らには僕が瑛子さんを推薦したから、それで自分の立場を弁護しているようにも映るんです。僕と瑛子さんは海外に住んでいるとかいろいろ共通点が多かったから、なんでも瑛子さんが正しくてイーモウさんが間違っているとか言うと変な誤解が生まれるんですよね。誤解を避けるためにも、少し距離を置いたほうがいいと思ったんですよ。でも瑛子さんなら絶対に大丈夫、やり遂げられると思ったし、その通りだったでしょ?


スタッフがたくさんいればいるほど、それぞれの意見や考えで複雑になったり、本質から離れていくことがよくありますよね?


蔡: 今回の僕たちの基本コンセプトは完全にアーティスト優先。組織とか会社じゃないんだよね。だからシンプルな構造が成り立ったんですよ。ではどうしてアーティスト優先だったかというと、こういった巨大なプロジェクトを組織に任せると、組織の責任というものがとてつもなく大きくなるからなんですよね。もし失敗したら大変でしょう?何か起こった場合、会社だったら賠償責任、政治絡みだったら政府の責任でしょ?でもアーティストに任せたら個人の責任ですよね。個人だからいつでも突然辞めちゃったりするし、その責任は組織が持つものよりは遥かに小さいわけですよね。アーティストに任せておけば逃げられるんですよ、彼らは彼らの“責任”というものから。でもそのおかげで僕たちはアーティスティックなセレモニーを実現できたんですけどね。


でも少し困ったことがありましてね。来年中国建国60周年記念の式典があるんです。今までだったら普通にただの花火の式典で終わっていたのにオリンピックで成功したから、みんなもっと面白いことをやりたくなってしまったんですよ。それでまた政府の偉い人たちが、イーモウさんと僕をその式典のディレクターに選んだんですよ。イーモウさんはその話が決まった後に僕に話してくれたのですが、「もうしないよ!オリンピックは特別だから。建国記念日はやらない!」って断ったら、「蔡がやらないなら俺もやらない」っていうから結局辞めにくくなっていますよ。(一同大爆笑)


石岡: 確かに、イーモウさんだけでなく蔡さんというアーティストの考え方、それが今回の開会式の芸術的キャラクターを作っていると思いますね。


では、最後にお二人それぞれの北京オリンッピックをひと言で表現しくださいますか?

石岡、蔡: ひと言なんて、絶対無理(笑)!




interview: Sai Morikawa

photo: Sei Koike