Film Freaks

 

香港娯楽映画ノスタルジー

アートカテゴリ:  Film

ひと昔前、娯楽映画といえば何と言っても香港映画だった。ジャッキー・チェンマイケル・ホイ(ホイ兄弟)、チョウ・ユンファ…。彼らはそれぞれ、カンフー、コメディ、香港ノワール(「ノワール」は主に暗黒街映画の意味で使われる)という作品ジャンルで観衆を魅了し続けた。


それは、「風と共に去りぬ」に代表される1930〜40年代のハリウッド映画黄金期のように、香港映画界でもまだスタジオ・システム(大きな制作会社が大規模で良質な映画を次々と生み出すこと)が機能していた頃の話だ。


僕が香港映画に夢中になりはじめたのは、だいたい80年代初頭のあたりだと思う。その頃すでに香港映画界はブルース・リー不在の時代に突入しており、香港自体、政治的にも経済的にも大きな動きがなかった頃だ。


1945年には日本軍の占領も終わり、1967年の文化大革命の波も去っていた。あとは1997年の香港返還を待つだけという頃。ちょうどその時期に誕生したのが先出のスター達だった。


たとえばジャッキー・チェンは、それ以前のカンフー映画に見られた“暗いイメージ”を払拭して「スネーキー・モンキー 蛇拳」で彼の明るいキャラクターを活かしたカンフー・コメディのジャンルを開拓したし、ホイ兄弟(「Mr. Boo」シリーズ)やチョウ・ユンファ(「男たちの挽歌」シリーズ)は、車や拳銃を使ったアクションを取り入れカンフー映画からの脱却に成功した。


その後、このいわゆるニューウェーブ路線とも呼べる香港映画界の現代アクションもののブームが90年代まで続くことになる。


しかし90年代に入り、香港映画界にさらなる変化が訪れる。ジョン・ウーとチョウ・ユンファのコンビによる香港ノワールものの大ヒットを受けて、その亜流とも呼べる作品が大量に製作されるようになったのだ。


そんな状況下で、うまく流行に乗ったのが、ウォン・カーウァイアンドリュー・ラウだろう。それはウォン・カーワァイのデビュー作「いますぐ抱きしめたい」を観ればよくわかる。当時の香港四天王であるアンディ・ラウ、ジャッキー・チェンに加え、マギー・チャンを主役に配し、ストーリーもノワールものや青春群像劇などの要素をふんだんに盛り込んだ作品に仕上がっている。実をいうとウォン・カーウァイは、デビューするまで視聴率争いの激しいテレビドラマの脚本を数多く書いて脚本能力を鍛えていた。もしかしたら彼は今後の映画人生を考えてヒット要素の高い娯楽作品をデビュー作に持ってきたのかも知れない(このヒットがなければ名作「欲望の翼」や「楽園の瑕」の製作はなかったと考えていいと思う)。


一方のアンドリュー・ラウは、「いますぐ抱きしめたい」の撮影を担当して、後にウォン・カーウァイよりも一層娯楽性の高い「古惑仔」シリーズや、ハリウッドでもリメイクが決まっている「インファナル・アフェア」シリーズを製作している。彼の作品は、看板となるスターを必要としない、いわゆる “群像映画”だ。彼がその後のスター不在の現状を見据えて群像劇にしたのか、過去の香港映画に反発しているのかは定かではないし、スターなしでも名作を製作できるといった状況を“洗練”とか“成熟”と呼ぶのかは別として、明らかに、以前のような香港ならではの娯楽映画とは一線を画している。


ちょうどその頃から香港映画界はスター不在の時代に突入し、香港映画の苦境が始まることになる。香港映画産業自体の問題だけではない。香港は90年代半ばごろから政治的経済的に大きな変化を強いられている。97年の中国への香港返還、アジア通貨危機、03年にはSARSの流行、鳥インフルエンザ…。こんな状況下では、のんびり娯楽映画を観る余裕がないのも当然のことかも知れないが…。


現在に至っては、一般に香港映画に分類されるような作品も、実のところ、映画産業のグローバル化によって“実際に香港で作られた映画”や“香港の土着性が濃厚な映画”というような“純粋な香港映画”と呼べる作品は少なくなってきている。そう考えると香港映画界よりも香港周辺の映画産業(中国や韓国、日本)のほうが活気づいているようにも思える。


おもしろい映画ならグローバル化でもなんでも良いのだが、個人的には、最近の香港映画産業に元気がないのはとても残念に思えてならない。だから最近のどことなく芸術っぽさが漂う香港映画よりも、昔ながらのコテコテの娯楽的な香港映画が妙に懐かしく感じられてしまうのだ。

泉 知良 (Tomoyosi Izumi)

ニューヨークにて映画制作を学ぶ。現在、日本の映画制作会社にて勤務の傍ら、COOLで人気No.1のコラム「Film Freaks」を連載中。