Interview

 
 
Place: New York

ブームじゃなく宗教

Kyoko Miyake
アートカテゴリ:  Film, Movie

進むネット社会の中で、急速にスクリーンの向こう側がリアルになってきている今日。まさにその流れをうまく利用した仮想リアルの巨大ビジネスが日本には存在する。それは、経済不況が続く中でも年間1000億の経済効果があると言われている女性アイドル産業だ。今年7月にニューヨークで行われたJAPAN CUTS!で披露された、三宅響子監督の『Tokyo Idols』は、社会現象化している日本のアイドル産業に迫ったドキュメンタリー。

 

映画の中で、コラムニストの中森明夫氏は「1970年代のロンドンの状況と今の日本はとても近い」と語る。経済を含め、社会のさまざまなものが停滞してきた中で、特に過去10年間、日本人はアイドルに特化した文化を見出してきた。そして若者だけでなく、中高年までをも巻き込むこのアイドル文化が今、社会にある種の救いを与えている。アイドルは社会の中で傷ついた人たちの癒しの場になっているのだ。気に入ったアイドルを崇めながら、人は仲間に出会い、互いにコミュニケーションし合い、孤独から解放される。社会学者・濱野智史氏は、アイドル文化をもはや「ブームじゃなく宗教」と位置付けている。

 

映画は主に、19歳の柊木りおさんというソロアイドルを軸に展開。さらに「原宿物語」の14歳の香山あむさん、「アモレカリーナ」の10歳の小田柚葉さんまでカメラは追い、親ほど年の離れた男性ファンが少女たちに熱狂する様を映し出している。そうやってこの映画は、日本社会の中でどのようにして男性目線の女性が生産されているのか、またそれがアイドル現象を通じて社会全体に影響しているのかをも明らかにしていく。現在世界的に男性支配から女性を解放する動きが高まっているが、独自のジェンダー的価値観がずっと守られている日本社会。果たしてその価値観はこれからも守られ続けるのか、それとも声を上げる者が現れ変化していくのか。『Tokyo Idols』は、アイドルという新しい日本文化を多角的に見つめ、日本の今をくっきりと浮かび上がらせる。

 

 

COOLは、JAPAN CUTS!を訪れた三宅響子監督に『Tokyo Idols』について話を聞いた。

 

 

青春時代にかわいいと思った女の子を再生産している

 

 

三宅さんはずっと海外にお住まいですが、どうして日本のアイドルについてのドキュメンタリーを?

日本で人生の大半を過ごしていますし、日本には年に何回も帰っています。そこで自分にしかできないことは何だろうと考えたときに、出てきたテーマの1つが日本のアイドルでした。私は日本の女性観や男女のあり方に疑問を感じているのですが、アイドル現象はそれを如実に表していると思っています。また、音楽業界だけでなく、日本の文化的側面でもアイドル現象が大きく影響を及ぼしているという点も理由の1つです。

 

この映画は、柊木りおというソロアイドルを軸に展開していきます。どうして彼女を被写体に選んだのですか?

柊木りおさん © Van Royko

いろんなアイドルにアプローチしましたが、メディアの露出が多い方々はインタビュー時間が3〜5分しかなく、じっくりお話が聞けません。また、ちゃんとプロの方によるメイクがされているときや、決まった衣装でないと撮影ができないなど、注文が多かったので、アイドルの人物像に迫れないと思いました。またこの作品には、どう女性が男性の物差しで測られているというテーマがあるにもかかわらず、自分の意見が語れない状態の方を被写体にしてしまうと、女性自身が見えてきません。

 

アイドルグループのコンサートは、1つのグループにつき15分くらいの持ち時間で、おおよそ20のグループが出演するんですね。そこで、あるコンサートで、とあるアイドルユニットを撮影していたのですが、そこで行われていた柊木りおさんのコンサートが面白そうだなと思って見ていたら、りおさんの方から「柊木りおと言います」と話しかけてくれました。パンフレットも自分で持ってきてくれたり、マネージャーさんにも指示をしている姿を見て、自分の意思を持ったこの人なら大丈夫だと思いました。

 

さまざまな分野の専門家のインタビューを通して、女性アイドルが人気を博している社会を分析していくような構成になっていますね。

元々は、有名になっている方、これからブレイクしそうな方、始めたばかりの方の3名の女性アイドルを追いかけて行くという漠然としたアイデアがありました。ところが撮影していく中で、アイドルのファンの方々も追うことにしました。それに、ただアイドルを追ったものを見せるだけだと、海外の人は何が日本で起こっているのかわからないので、たくさんの専門家に話を聞くことにしたんです。

 

日本では男性アイドルグループの熱狂的なファンも多いですが、そのファンと女性アイドルファンの違いはどういったところでしょうか?

ある程度の対照性はあると思いつつも、男性グループのファンは今回追ってはいません。少女たちを基盤としたアイドル現象は、現在1つの産業として成り立っています。それに比べファンは多いものの、男性グループは両手で数えられる程度しか存在しません。男性アイドルグループは絶大な人気は誇っていても、あるイベントだけで何十億の経済効果があるというものにはなっていないのかなと。

 

映画の中で、日本人男性の処女性への崇拝が述べられますね。

© Van Royko

儚いものを好むというのは、日本の伝統の中にあると思います。アイドルのゲームなどを例に挙げると、「選んで、育てて〜」という風に、好みの幼い子をピックアップして、手間暇かけて育てて、自分好みの女に育て上げるというものが人気です。それを見ていると、女は青田刈りして、自分の好みに育て上げるという、紫式部の『源氏物語』にも通じる部分があるのかなと何となく思っていました。

 

また撮影をしながら感じたのは、アイドルに求めるものが、30年くらい前の日本と全く変わっていないということ。そこにはある種の懐かしさもあるのかもしれません。アイドルのマネージャーは私と同じ年代です。私たちが青春時代を過ごした80年代後半〜90年代前半の歌謡曲を、アレンジどころかそのまま歌わせたりしているんですよ。昭和へのノスタルジアというか、現実と向き合わず、自分たちの青春時代にかわいかった女の子を再生産しているような印象です。

 

 

 

自分たちの若い肉体が

周りにどういう影響を及ぼすのか理解してきている

 

 

10歳の少女が中年男性に囲まれている画は衝撃でした。日本以外の国の人が見たら目を丸くしてしまうと思います。

実はあのシーンは、出すべきか悩んだところでもあったんですよ。この映画はBBCなど海外のいくつかのテレビ局のサポートを受けているんですね。幼児性への愛は西洋圏では完全に犯罪として確立されていますから、そこに問題提起した場合、本題と逸れるしまう可能性がありました。ですから不安はありましたが、そのリスクを冒しても、あのシーンを入れなければいけなかったのは、年上の男性に褒められることで願いが叶うという意識が、10歳どころか、7歳くらいの時期から始まっているということ、またそれを大人が何とも思っていないということを見せたかったからです。

 

映画の中に出てくる「アモレカリーナ」は、9、10歳の少女で構成されたグループなんですが、彼女たちは、単純に大人に「すごいね」と言われるのを楽しんでいる印象でした。それまでは家庭や学校で指導するのが大人だったのが、急に「〜ちゃん、すごい!」とか「〜ちゃん大好き!」と褒めてくれる人が出て来ます。その子たちの中には、ファンのおじさんたちへの接し方と、ドキュメンタリーを撮っている私に対しての接し方が全く変わらない子もいます。

 

© Van Royko

ところが、「原宿物語」の14歳くらいの女の子たちは、私のことを明らかにファンとは違うものとして見ています。自分たちの力が及ぶファンのおじさんと、その他を区別して見ているというか。自分たちの若い肉体が、周りにどういう影響を及ぼすのか理解してきているんです。それを踏まえた上で、それに気づいていない10歳くらいの子たちを追ってもいいのだろうかという葛藤がありました。

 

もう1つの不安は、少女たちの親御さんのことでした。彼らにも何人もお会いしたんですが、みなさん良かれと思ってやっているんです。誰も家計の支えとして子供を搾取していません。むしろ彼女たちの未来のために、親はお金を投資しています。月曜日はピアノ、火曜日は水泳、水曜日はアイドルというように、習い事の1つとしてやらせているような印象です。西洋圏の親から、そんな親たちが一方的に批判を受けてしまうことへの懸念がありました。

 

北原みのりさんが特に印象に残っているのですが、アメリカでは今年初めにウィメンズマーチが行われ、エンターテイメントの世界では、映画『ワンダーウーマン』などがあり、女性を型に嵌めることから解放する動きが世の中にみられます。しかし一方で男性に支配される女性ももてはやされてもいます。

男性目線を女の子たちが内面化してしまって、気がつかないうちに男の人に気に入られるようなメイクをしたり、10代の女性が性的対象になったり、社会のありとあらゆるところに男性目線を意識したものが存在します。じっくり見ていくと、男女平等が進んでいる国にもそれはあるんですよ。

 

女性を解放するムーブメントが世界で起こっているときにさえ、日本ではやはりしょうがないという意識を持たれてしまう。「これはおかしいのではないか」という意見はなく、「男の人が若い女の子を好むのは仕方のないことだよね」となるんです。この映画を撮っているときに、海外のテレビ局に編集途中の素材を見せると、女性の批判する声を入れたほうが良いとか、元アイドルで批判的な子や、アイドルコンサートの外で抗議している人たちを撮るとか提案されました。でも抗議している人はゼロなんです。

 

イギリスでは、大衆紙のSUNにトップレスの女性モデルが出る“ページ3”という伝統的なページが存在しました。ところがそれに対する抗議が大きくなり、そのシリーズは打切りに至りました。そういうものを想定して、アイドルにも抗議する人がいるだろうと海外のテレビ関係者は思ったようですが、日本には意見を発する人が全くいません。けれど、それに違和感を感じている人たちは女性の中にも男性の中にもいるはずなんですよ。

 

 

 

みんなそのままの自分で良いんだ、

自分は特別な存在だと感じたい

 

 

アイドル文化を探求しながら、現在の若者の恋愛観や結婚観、また少子化問題まで言及されていたのがすごく面白いなと思いました。そこに触れたかった理由はありますか?

アイドルファンを見ていると、自分と同年代の女性や目の前の女性を直視できない人が多いことがわかりました。そんな方の中にも、もしかしたら結婚願望のある人もいるかもしれませんが、自分と同年代の女性のことは相手にしたくないという人が意外に多い。20歳も年下のアイドルを追いかけている人たちは、そのアイドルのライブに毎日来られて幸せという感覚です。彼らは本当に幸せそうなので、それを止めさせたいとは思いませんが、全員がファンタジーの世界に入ってしまったら、ますます孤独感が蔓延する社会になるのではないかと危惧しています。

 

アメリカやヨーロッパではなかなか認められないけれど、日本におけるアイドル文化は、ある種の多様性を獲得しているようにも思います。どう思われますか?

大半の人はルールを守ってやっています。また、アイドル音楽も今はいろんなところからアイデアを引っ張って来ていて、ある種の創造性が生まれる場所にはなっていると思います。映画には出ていませんが、取材の途中で、元メガデスのマーティ・フリードマンに話を聞きました。彼は「アメリカの音楽業界などはクールなものが好まれるけれど、日本のアイドル音楽は何でもありで、日本文化を象徴している」と言っていました。

 

また音楽クリエーターのヒャダインさんもおっしゃっていましたが、アイドル音楽は内向きになったときにだんだん盛り上がってきています。だから洋楽のコピーではなく、アメリカだったらとても恥ずかしくてできないことをみんなで一生懸命にやっているんです。そしてそこにはある種の開放感がある。そこにヒャダインさんは楽しさを見出して、「ももいろクローバーZ」と一緒に活動していると思います。

 

少女と話すと「無防備になれて自由で素直な状態に心を戻せる」という言葉が印象的でした。これが求められているということは、何を意味しているのでしょう?

JAPAN CUTS!を訪れた三宅響子監督 © Taiyo Okamoto

私くらいの世代は、いわゆるロストジェネレーション世代です。男の人の場合、自分の父親たちと同じようにやってきたのに、安定した職も得られない、奥さんも見つからない、家を買って家族を持ってということができないという、ある種社会に裏切られた感覚があるかもしれません。だから、私と同年代のファンは、癒されたい、慰められたい、大事にされたいという気持ちがあるのではないでしょうか。

 

そこでアイドルは「それで良いんだよ」と、彼らの承認欲求を満たしてくれるんです。だからアイドルの楽曲には応援歌が多数存在します。アイドルたちも、自分の名前を大声で呼んでくれるファンの声を聞いて、自らの承認欲求を満たしているところがあります。日本のアイドルはそういったことを上手く利用している産業です。みんなそのままの自分で良いんだ、自分は特別な存在だと感じたいんでしょうね。

 

 

テキスト&インタビュー by 岡本太陽

Photo Courtesy © Van Royko

 

JAPAN CUTS!公式サイト

 

Tokyo Idols Official Trailer from EyeSteelFilm on Vimeo.

 

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