Interview

 
 
Place: New York

水を飲むように…

Akihiko Shiota, Yuki Mamiya
アートカテゴリ:  Film, Movie

江戸時代に流行した春画で見られるように、西洋的価値観が国に到来するまで、おそらくセックスは日本文化の中で大らかに表現され、生きていた。その日本で生まれ、1971年から1988年まで人気を博したのが、今や伝説となった日活ロマンポルノ。そしてその終了から28年後の2016年、日活ロマンポルノ生誕45周年を記念してリブートプロジェクトが発足。園子温や中田秀夫など、現在の日本映画界を牽引する新しい監督5名が選出され、彼らによる完全オリジナルの日活ロマンポルノが劇場用作品として製作されることになった。

 

ニューヨークでは毎年夏に、新しいアジア産映画が披露されるニューヨークアジア映画祭が、今年もまたフィルム・ソサエティ・オブ・リンカーン・センターで開催された。その映画祭で、『月光の囁き』や『害虫』などで知られる塩田明彦監督が手掛けた、ロカルノ国際映画祭で若手審査員賞受賞の日活ロマンポルノリブート作品『風に濡れた女』が、7月4日に北米プレミアを迎えた。

 

過去や欲を捨て隠遁生活を送っている高介(永岡佑)の前に突如現れる汐里(間宮夕貴)という謎の女。まるで、「生きる」を体現するかのように本能のままに振る舞う汐里。その彼女のしなやかな裸体や奔放な性欲が、忘れようとした高介の中の生の意識を目覚めさせていく。

 

このかつての日本を思わせる性へのアプローチをした作品が、現在世界でセンセーションを巻き起こしている。欲望をこんなにも大胆に、そして自由に描いても良いのか?セックスはこんなに肯定的であって良かったのか?と。実は西洋の国々のみならず、現代の日本にもキリスト教的な価値観が私たちの習慣の中に深く染み込んでおり、それがニュースメディアや映画や文学といった芸術から発信させられる場合も非常に多い。私たちはそれに気づかずに日々過ごしているけれど、爽快で、生きることをこんなにも正直に見つめる『風に濡れた女』という作品が、与えられた常識に疑問を持たないまま暮らしている“自分自身”に気づかせてくれる。

 

 

ニューヨークアジア映画祭を訪れた塩田明彦監督と主演女優の間宮夕貴さんに話を聞いた。

塩田明彦監督&間宮夕貴さん

 

 

「実はもうこのお仕事辞めようかなと思っていた時期だったんです」

 

今回、日活ロマンポルノ生誕45周年を記念して、新作が5作品が作られましたが、影響を受けたロマンポルノ作家はいらっしゃいますか?

塩田:僕がロマンポルノ観始めたのは、大学生だった80年代に入ってからです。ロマンポルノは1971年に始まっているので、僕は最初の10年間は観ていないんですよ。神代辰巳監督や田中登監督、小沼勝監督や曽根中生監督は、当時すでに人気が高かったです。彼らの作品が名画座で5本立てとかで特集上映されていたので、そういう機会を追いかけてロマンポルノを知っていきました。

 

その中でも神代辰巳監督には強い印象を持っていました。すごいけれど、自分の資質とはあまりにもかけ離れているなと。だから到底真似もできない。ところがそこから数10年を経て、自分がロマンポルノを撮ることになり、やっと神代監督と似た土俵に立って映画を作ることができるのではないかという思いが、ふと起こりました。

 

主演の間宮さんと永岡さんのどこに惹かれたのですか?

塩田:間宮さんはオーディションで見つけることのできた人です。ただ、実はオーディションをするにあたって、参加者のバックグラウンドは一切調べず、彼らにいきなり演出して、その演技だけを見て判断しました。

 

間宮さんはそのとき、良い意味で力が抜けていたんですよ。だからこそ相手の男性役に対して、とても余裕を持って対処している印象がありました。また男の人がテンパっている芝居をしているときに、ふと力を抜いて見つめる視線がドライで格好良かったんですよ。ものすごく格好良い表情で人を見下ろすんです。その目つきが素晴らしかった。それからやはり声ですよね。最近の若い女性には珍しい強くて低い声が出せる。一方で柔らかく可愛らしい声も出せるとうことで、その声の振り幅に感銘を受けました。

 

永岡君は、以前別の作品のオーディションに来てくれて、そのときにとても印象に残りました。妙にセクシーで、芝居にも引きつけられるものがありました。その作品では永岡君とお仕事することはできませんでしたが、今回の高介という役を演じられるのは彼ではないかという気がしていたんです。すると彼の方も、この映画に参加したいと言っているのを聞いて、お願いしました。

 

間宮さんは、どういう経緯でこの作品のオーディションを受けられましたか?

間宮夕貴さん

間宮:オーディションを受けたときは、実はもうこのお仕事辞めようかなと思っていた時期だったんです。本当にお金がなかったので、友人の家を転々としている中で受けたオーディションでした。何の作品のオーディションなのかも全く知らないまま、とりあえずオーディションを受けて、これで決まらなかったら辞めようかなという気持ちだったので、オーディションにはバーにでも入るような感覚で着いて、楽しくお芝居して帰ったんです。

 

今回演じられた汐里は、とてもパワフルな女性です。女性の視点から、彼女はどう映りますか?

間宮:私は彼女とは絶対に友達にはなりたくないですね(笑)。私がお付き合いしている方を、かなりの高確率で持って行かれてしまいますから。でもどこか羨ましいなって。世の中では、女性は性に関することを隠さなくてはいけないとか、経験人数が少ない方が良いとか思われている風潮にありますが、汐里はそんなことを「別に良いんだ」と思わせてくれます。そんな彼女のオープンさには憧れます。

 

では、汐里のどういうところに共感しますか?

間宮:汐里のように、オープニングの海のシーンとか、演劇の練習をしているシーンのように、人前にいきなり現れて、服を脱ぎ出してというのはさすがに…。酔っ払った勢いで脱いじゃう女の子とか見ると、格好良いなって思いますし、やってみたい願望はあるんですけど…。興味がある人がいると、汐里のように私も自分から前に行くタイプなので、恋愛において能動的なところは似ているのかなと思います。

 

 

「3/11以降の映画だということも意識してもらいたい」

 

汐里の背景は謎に包まれています。それはなぜですか?

塩田:民話のような世界観を作りたいと思っていました。ある日正体不明の女が男の前に現れて、彼と一緒に暮らし始める。3年経って女は、「実は私は狐なんです。母が病気で田舎に戻らなくてはいけません」と告白していなくなる。例えて言うならそういう話なので、極めてシンプルに、女は「人間に化けた狐」という以外ないわけです。それを平然と、生身の人間の肉体を使ってやってみるというのが今回の挑戦でした。その単純さがあるからこそ、エロティックかつ笑える要素が立ち上がって来ますし、下手に人間的な感情を描いていくと、平凡な話になってしまう。だからこそ間宮さんには、役のバックグラウンドを意識するなとしつこく言っていました。

 

間宮:私はよく、「何歳で、誕生日がいつくらいで、血液型が何で」と、役のプロフィールを書いて、それを意識したりするのですが、監督には今回何も想像して書かないようにと言われていました。

 

映画の中で、「地震があって、福島、宮城、秋田に行けなかった」という台詞があります。やはりこの映画に関して、3/11の影響はあったのでしょうか?

塩田:直接的な影響はなく、あくまでも無時代的な民話を作ったつもりです。けれど、3/11とは関係ないとはいえ、3/11後の日本を中心にこの映画は配給されます。だから、あの3/11をきっかけに意識が変化した日本人に向けてこの映画を差し出したときに、それは不自然に映ってしまうのではないだろうか、と常に自分の中で検証をするんです。ちゃんとそんな時代でも通用する作品になっているのだろうかと。ただ、通用するかどうかは、それを言及しているかどうかではなく、作品としてしっかり出来上がっていることが大切です。ちゃんと映画が立ち上がりながら、3/11以降の映画だということも意識してもらいたいので、意図的にああいった要素を入れています。

 

そしてやはりこれは、人間の生きる欲望の強さを肯定している作品なので、それがある意味では3/11後の肯定的なメッセージになるのかもという意識が、今思うとあったような気がします。

 

作家の第1作目には、その作家の本質が出るとしばしば聞くのですが、『月光の囁き』の中にも、『風に濡れた女』同様、男を翻弄する女性が出て来ますね。

塩田:精神的にも肉体的にも男と女が駆け引きして、勝ち負けを競い合っている状態があって、でもそれは憎しみ合って競い合っているわけではなくて、半ばそうやって意思疎通し合っているというか、ゲームのようにバトルを繰り広げていく世界が好きなんですよ。

 

まさに今回の映画の中の棒のシーンがそれを体現していますね。

塩田:憎しみや愛情だけではなく、いろんなエモーションが混ざり合っている状態ですね。白黒つけられないまま、物事が起こっている状態というか。

 

間宮:監督がそういう女性を描くのは、そういう願望が監督にあるからだと永岡さんがよく言ってました。そういう女性に弄ばれたいはずなんですけど、監督は全否定するんです(笑)

 

塩田:願望としてはあるけど、実現して欲しくはないんですよ(笑)。現実になったらとても耐えられませんから。

 

1999年の『月光の囁き』とは違い、『風に濡れた女』では、変態性がとても開放的に描かれています。この映画が2017年の今、世の中に受けいれられるということは、現代人は何を求めていると思いますか?

塩田:『月光の囁き』では、10代の多感な少女が変態的な世界にだんだんはまり込んで行くさまが描かれています。アメリカでもDVDが出ているので、僕の作品の中では最も人気の高い作品だと思います。喜国雅彦さんの原作が今でも根強い人気を誇っているので、あの映画は、今でもある一定の支持があるようです。ですから社会というよりも、むしろ変化は僕の中にありました。自分の青春と重ねたような世界はすでにやったので、今回は揺るぎのない、より大人の、ある種のサドマゾヒズムのような世界を描いてみたいと思いました。

 

 

「西洋ではセックスして素晴らしいことが起こる映画は絶対に作られない」

 

後半は永岡さんとのものすごい裸の絡みがあります。相当信頼関係が築かれていないとできないようなシーンですが、どのようにして一緒に演じられていたのですか?

間宮:撮影の前に1週間リハーサル期間があって、多少動き方などは決まっていたんですね。そして、2人の絡みのシーンは最終日に撮っていたので、それまでに信頼関係を築くことができたと思います。永岡さんはどう思っているかわかりませんが(笑)、私は永岡さんのことを信頼仕切っていました。リハーサルの段階から、基本的に永岡さんが引っ張って行ってくれていたんです。

 

西洋の映画などでは、セックスがいけないものとして描かれることが多いです。しかしこの映画の中では、それがエキサイティングで楽しい、とてもポジティブなものとして描かれますね。

塩田:僕自身としては、いろんな縛りを解き放ちたかったのかもしれませんが、一方で、これが日本人の原点であると感じています。脚本を書いている段階では、それは意識していませんでしたが、ロカルノに行ったときに、こういう映画は西洋では生まれて来ないと、いろんな人に言われました。西洋にはキリスト教文化が根付いていて、キリスト教文化を否定している人の中にもキリスト教文化が影響しているから、罪と罰の感覚なしにセックスを見つめることができないんです。セックスの快楽を追求すると、その見返りから、社会からどんどん抜け落ちて転落して行くとか、人妻が不倫に溺れて家族を失っていくとか、常に罪と罰を基に物語が作られていきます。だから西洋ではセックスして素晴らしいことが起こる映画は絶対に作られないと。

 

昔のロマンポルノでは、セックスに季節感を持って来ることも多かったんです。冬のセックスとか夏のセックスとか。肉体的な生理感覚を追求していますよね。さすが春画の国。日常を検証するようにセックスを検証しているというか、セックスを分け隔てないのは日本人特有の感覚で、世界に誇るべきものだと思いました。

 

単にセックスは暮らしの一部みたいな。

塩田:暮らしのセックス(笑)

 

間宮:水を飲むのと一緒みたいな感覚で(笑)

 

塩田:美味しい水を楽しむようにね。

 

この作品はロカルノ国際映画際のコンペティション部門で上映されましたが、そのときの評価はどのようなものでしたか?

塩田明彦監督

塩田:実はもう10数ヶ国の映画祭に出ているのですが、ロカルノでは特に評価が高かったんです。ロカルノ国際映画祭は世界でも最も古い映画祭の一つだから、「この映画祭になぜソフトコアポルノが出品されるんだ」と反発があるだろうと思っていましたが、実際には寧ろ逆で、プレスコンファレンスなどでも、ジャーナリストの方々はロカルノを賞賛していました。通俗的なB級ポルノだと言われ兼ねない作品を評価して、他の作品と競わせているロカルノは素晴らしい、と。要するに作品がポルノかそうでないかとか、下世話なレベルでは判断していない。この作品は素晴らしいと言ってくれるんです。これは世界のコンペティション部門で競うに相応しいレベルに達している作品であるという評価をしてくれていました。

 

ただ、そういう評価とか関係なしに、街中の人が3000人収容のホールに映画を観に来てくれるんです。僕ら結構な人気者だったんですよ。間宮さんは特に人気者で、あのときロカルノで1番人気のあった女優さんだと思いますよ。

 

間宮:道を歩いていると、肩叩かれたり、映画祭に来ていたおばさまに掴まれて、「映画観たわよ」みたいなことをフランス語でわーっと言われるんです。私は言葉がわからないので「サンキュー、サンキュー」と言うんですけど。1人で歩いてると、そういうことがしょっ中ありました。

 

塩田:あんなにビビッドなリアクションを一般の人たちから受けたのは初めての経験でした。老若男女関係なく、いろんな人に話しかけられましたよ。

 

 

テキスト&インタビュー by 岡本太陽

© 2016 NIKKATSU

 

サブウェイシネマ(ニューヨークアジア映画祭)公式ウェブサイト

フィルム・ソサエティ・オブ・リンカーン・センターウェブサイト