Interview

 
 
Place: New York

命の瞑想

Lana Wilson, Ittetsu Nemoto
アートカテゴリ:  Film, Movie

2013年公開の『After Tiller』でアメリカ全土に衝撃を与えた、ラナ・ウィルソン監督の感動の新作ドキュメンタリー映画『The Departure』が、今年のトライベッカ映画祭でワールドプレミアを迎えた。この映画の冒頭で、鳴り響く音楽とレーザー照明の中、明け方まで踊っている1人の男性がいる。それから彼は田園に囲まれたとある禅寺までバイクを飛ばし、そこを訪れた来客たちを前に、死とはどういうものなのかを感覚的に体験させる「旅だち」と呼ばれるエクササイズの導き役を担っている。この男性が、ウィルソン監督が追いかける被写体、岐阜県関市にある大禅寺の住職・根本一徹さんだ。

 

僧侶としての修行の日々を送りながら、根本さんがここ10年精力的に行っていることがある。それは自殺願望のある人たちと交流し、生きる意味を一緒に探すこと。ときには個人と会ってじっくり話し合い、またときには言葉を交わさず即興で反応し合うシアターゲームをグループで行うこともある。風が吹かねば空気も淀んでしまうように、行き場のない想いを抱えたままでは人の心も曇ってしまうもの。自殺大国と呼ばれる日本では、根本さんに助けを求める声が後を絶たないため、昼夜休まず多くの人々の苦しみを献身的に受け止める彼の体は、ついに悲鳴を上げ始める。映画は、愛する妻も幼い息子の徹平君もいる根本さんが、自分自身の死と向き合う姿を捉えながら、今を生きる者たちの生と死への想念をさまざまな角度から映し出している。

 

この世に生を受けたものが死を迎えるのは自然の運命(さだめ)。しかしながら、現代社会では「死」について語ること、またそれを意識することは不謹慎と見なされる傾向にある。ところがこの映画は、そんな風潮を恐れず、観る者に死を見つめさせる。死を見つめるということは、点と点を結ぶということかもしれない。そうやって限られた時間、限られた命を意識することで、己の中の大切なものが導き出されていく。命はきっと生と死があってこそ成り立っているもの。だからこそ、生と、普段見えないところに葬られている死を、私たち自身がつなげ合うことで、命は本来あるべき姿を取り戻すのではないだろうか。

 

 

COOLは『The Departure』上映のためトライベッカ映画祭を訪れたラナ・ウィルソン監督と根本一徹さんに話を伺った。

 


どのように生きたいかと、どのように死にたいかは関係の深いこと


 

どのようにして根本さんのことを知ったのですか?

ウィルソン:彼のことを取り上げた、雑誌ザ・ニューヨーカーの記事を読んで、すごい人だと思いました。特に気になったのは、死ぬことを考えている人たちに生きる意味を見出させるために、彼がどんな言葉をかけるのか。相談者との間でどんな会話がなされるのか興味がありましたし、その現場で一部始終を聞きたいと思いました。ザ・ニューヨーカーの記事の中では、映画の中にも出てくる「旅だち」のエクササイズを紹介していて、集まった人たちはそこで、白い布を顔に掛けて、自分の死を想像し、意識的に死を体験すると書かれていました。私はすぐさま、これはものすごく映画的な画になるはず、観客も「旅だち」のエクササイズを体験しているような感覚を得られるはずだと思いました。

 

このドキュメンタリー映画への出演を決めた理由は?

根本:オファーがあると、目的や何に向けてのものなのかといったことは伺いますが、彼女(ラナ)の場合は答えなかったんです。そこが良いなと思いました。自殺はこういうものであるという先入観から、報道にはこういうものが撮りたいという狙いがあるはずですが、彼女はとりあえずいろんなものを見てから作っていくというドキュメンタリー作家だったので、この人は間違いないと思ったんですよ。

 

撮影期間はどのくらいだったのですか?

ウィルソン:根本さんに初めてお会いしたときは、カメラは持っていませんでした。そのときは、リサーチも兼ねた旅行だったので、根本さんの他にも、自殺防止の活動をされている僧侶の方にも何人かお会いしました。それから根本さんには7、8回撮影しに伺って、1度の撮影に2〜4週間くらい撮影期間を設けていました。

 

映画は、根本さんの成長過程を写真で見ていきます。今も昔も、彼はたくさんの人に囲まれている印象を受けました。あなたも多くの時間を彼と過ごされたと思いますが、彼と過ごす時間はどういうものなのか教えて下さい。

ウィルソン:素敵な時間です。彼は乗りもとても良いですからね。一緒に過ごす中で何に驚かされたかというと、映画の中に出てくる根本さんのスケジュールを見てもわかる通り、彼は多忙であちこち走り回っています。それにも関わらず、気持ちここにあらずという状況は全くありませんでした。誰かに相談を受けていようとも、息子と遊んでいるときであっても、あんなに忙しいのに彼の心は常にその場にしっかりあるのです。私もあんな風にできたらなと思いました。たくさんのことが1度に押し寄せてくると緊張してしまいますし、先のことを考えたり、前に起こったことを後悔したりしてしまう。でも彼は恐ろしいほどのスケジュールを抱えながらも、そのときそのときをしっかり生きているんです。

 

若い頃は自暴自棄的な生き方をされていたそうですが、大きなバイク事故で入院されてから生き方を変えられましたね。そのときの気持ちの変化を教えていただけますか?

根本:素直に生きていて良かったと思いました。おそらく大病を患ったことがある方はそう思われるのではないでしょうか。もしこのまま死んでしまったら、今までたくさん人から恩を受けてきたにもかかわらず、それも返せないまま、命を無駄にしてしまう気がするんですよね。バイク事故の時も、今回の心臓のときもそうだったんですけど、もう1度チャンスを与えられたのかなと。もう感謝しか出て来ません。そして今まで悩んでいたことがちっぽけに思えてくるんですよ。

 

死というものをどういう風に受け止めていらっしゃいますか?

根本:死は生きる上で重大なことですが、世間では死について考えるのはタブーであるという風潮がありますよね。しかし、私はどのように生きたいかと、どのように死にたいかは関係の深いことだと思っています。だから仏陀は自分の体を使って実験していたんでしょうね。死して生きることもあるので、死はやはり生きる上で切り離せないことです。

 

 

彼らは私にとって、同じ方向に向かって修行している仲間のようなもの

 

自殺願望のある方々との交流はいつ頃から、どのようにして始まったのですか?

根本一徹さん

根本:私は脱サラして出家して、社会から隔離されたところで、公安禅という禅問答をしながら、薪でご飯を炊き、私語は一切禁止という暮らしを送っていました。それから御礼奉公をしていたときに私の師匠が亡くなってしまったんです。その後はひとまず社会に戻って、東京のハンバーガー屋でアルバイトをしました。高校生のときにもやっていた仕事だったので、自分の変化を知るために同じ仕事を試そうと思ったんです。毎日が感動でした。そんな中で、店長なんかも僕にいろいろ相談して来るようになって、悩み事相談室みたいな感じになって行ったんですよ。

 

そのアルバイト先は地方出身の学生がよく働いている場所でしたから、彼らは今後の人生どうするか悩みを抱えていました。私は1度社会を出て、また社会勉強をしに戻って来て、また同じアルバイトをしている身でしたから、そういう一風変わった人が、これから社会人になっていく学生たちの周りにいなかったので、彼らにはたくさん相談を受けました。彼らはまた型にはまっていて、2つか3つくらいしか将来の選択肢がない状態でした。しかし実はこれは誰もが通る過程で、それを通ったことがある人はわかるけれども、学生の中には手がつけられず放っておいているうちに落ち込んでしまう人もいるんですよ。

 

また当時はネット上で集団練炭自殺が流行っていたんですね。そこで練炭自殺の場所にも行ってみて、初めは集まった人たちに拒否されるかと思ったのですが、意外にも「よくぞ聞いてくれた」という反応をしてくれました。死のうと思って集まったのに、次また会う約束をする。彼らの変化を目撃して、みんなで一緒に私も生きる意味を探しました。それを続けてきて今に至っています。

 

自殺を扱っているので、ものすごく重く暗い作品にもなりえたと思いますが、そうならないように意識されていたのでしょうか?

ウィルソン:クラブで踊ることが好き、また音楽やアートも好きという、根本さん自身が興味深い人物だとわかると、「生きる」というテーマも見えてきます。それに彼の家族のことを撮り始めると、根本さんの息子の徹平君が、「生きる」というテーマを体現していると気づいたんです。徹平君のお陰で、お寺にいられることが喜びになりました。

 

もちろんものすごく落ち込んでいる人たちにも会いますが、だいたいみなさん根本さんと話をすれば気分も良くなって、笑いが起こります。根本さんの周りには常にユーモアがありましたし、彼自身も楽しいことが好きですから。だから彼が人に相談を受けるときは、悲しさや辛さだけがその場にあるのではなく、私が目にしたものの多くはユーモアや美しさで溢れていました。だからその体験に忠実な作品作りを心がけました。そうすることで、観ている人たちにも、人生にはこんなに素晴らしいこともあるのだと体験して欲しかったからです。だからものすごく強烈で重たいシーンの後には、生きる喜びを感じられるようなシーンを持って来るようにして構成しました。

 

根本さんは、自殺する方々の話に共感すると言われていますが、どういったところに共感が生まれていると思いますか?

根本:8日間くらい続けて座禅する行があるのですが、それから帰ってくると、いろんなものが滑稽に思えてくるんです。人から聞いたことを自分の経験かのように感じて、それに対して怒ったり、テレビや新聞の話題にああだこうだ言っている状況ですね。でも自殺を考えている人たちは現実に体験している話をしている。そこには真実しかありません。そしてそこには、自分を見つけよう、より良く生きようとするための葛藤があります。そうやって暗闇の中から光を見つけ出す過程に立ち会えていることに感動を覚えます。彼らは私にとって、同じ方向に向かって修行している仲間のようなものです。

 

彼らに支えられているところもあるんですね。

根本:そうですね。私も彼らに悩み事を相談します。結構エリートの方々の中にも自殺を考えてしまう人は多いんですよ。人生では想定外のことが起こったりしますから。そうやって理不尽なことに直面すると受け入れられなくなってしまいますし、できる人たちほどどうしても自分で解決しようとしてしまうんですよ。でもそこで僕のような異質な人間が彼らの人生に関わることによって、「ハッ」と気づくことがある。そこに立ち会えるのがうれしいですし、彼らに教わることもものすごく多いです。

 

この映画には魅力的なシーンがたくさんありますね。「旅だち」のエクササイズやシアターゲームのところもそうでした。また根本さんも興味深いことをたくさんおっしゃられますね。撮影中に感動を覚えた出来事はありましたか?

ラナ・ウィルソン監督

ウィルソン:私が大好きなシーンは、根本さんのテーブルの上が仕事でごった返しているときに、徹平君がその周りを大声を上げながらぐるぐる走り回っているところ。あのイメージが全てを象徴していると思っています。

 

それからとても興味深かったシーンは、映画の最後の方に出て来るのですが、根本さんが、電車の飛び込み自殺でお姉さんを亡くした女性と話しているところ。撮影していたときには何の話がなされているのかはわからなかったけれど、何かものすごく特別で意味深い話をしていることはわかっていました。会話の内容は理解できないけれど、とにかく何かが起こっていると感覚的に訴えるものがありました。彼女はじっと自分の内側を覗き込んでいるようで、根本さんもまた心を開いてその場にいますね。あのとき根本さんは、自殺で亡くしてしまった大切な人たちのことを考えているし、彼女はお姉さんのことを考えている。「なぜ」と、問いばかりが彼らの頭の中を巡るけれど、答えは探さなくて良いという彼女の言葉に、私は感銘を受けました。

 

私たちは皆、大きな疑問を抱えながら生きています。自殺願望があるなしにかかわらず、誰しもが苦しみながら生きている。けれどその問いへの答えはありません。問いにはさらなる問いが生まれるだけです。けれど生きるという豊かで複雑な旅路の中で、ほんの少しだけ問いの答えが垣間見られるのではないでしょうか。

 

 

1度死んでみるのも良いと思います

 

あの「旅だち」のエクササイズは、どのようにして生み出されましたか?

根本:デスエジュケーション(死の準備教育)というものがあるんですよね。それをアレンジメントしていて、みなさんに私が話すシナリオの中で想像してもらうんです。今それがさらに進化したビジョンマップというものもあります。雑誌を切り抜いて、そのときの印象を忘れないように壁に貼り付けたりして残しておくんです。そうやって時折バージョンアップはしていきます。

 

「旅だち」では、あれもできない、これもできないという状況に陥っている人たちが、抱えているものを削っていくために、シナリオの中で何が大事なのかを見つけていきます。増やすのは簡単ですが、削るのはなかなか難しい。でもこれはとても効果があるんですよ。それにこれは大人数でもできるし、そうすると楽しいですよね。これを通して、何でも話せる友達を持つきっかけになってくれたらと思っています。

 

即興のシアターゲームというものも映画の中に出て来ますね。芸術に触れると何が人の心に起こるのでしょうか?

根本:シアターゲームは言葉を使いません。言葉を使わないままコミュニケーションをするので、日常とは違う感覚があり、日常モードをリセットする役に立てばと。座禅や念仏も実は似たところがあります。そうやって違う感覚を使うことが、何かの気づきのきっかけになることもあるのではないでしょうか。

 

「自ら命を絶つ」というテーマは、前作『After Tiller』でも追求されていましたね。そのテーマはあなたに何を訴えますか?また何か強く惹きつけられるものがるのでしょうか?

ウィルソン:生と死、というものすごく大きな問いに関心があるのは確かで、ただ私にとって『After Tiller』と『The Departure』を結ぶものは、ある意味極端な愛他心なのだと感じています。『After Tiller』の医師たちや、今回の根本さんは、かけがえのないことをやっているけれど、その代わりに受ける精神的な代償も大きい。誰かがこんなことを教えてくれました。『After Tiller』の冒頭で、ティラー医師が、誰の助けにもならない平凡な人生よりも、むしろ人の役に立って精神的に満足の行く短い人生を送りたいと言う、と。実は根本さんも全く同じことを映画の中で口にします。びっくりしました。私は無意識に世の中に変化を見出そうとしている人、また人を助ける才能に長けてはいるけれど、自分のことにはあまり関心のない人に惹かれるのだと気づきました。

 

2014年のWHOのレポートによると、2012年には世界で40秒毎に1人が自殺していたそうです。その多くは低所得者と高齢者ですが、15〜29歳の若い層も増加傾向にあるそう。こういう現状に何を思いますか?

ウィルソン:現在、様々な圧力を感じている人たちが劇的に増えていると思います。その多くは経済による影響ではないでしょうか。90年代に日本でバブルが崩壊して、自殺率が急激に上昇しました。同じようなことが世界でも起こっていますし、アメリカでは2008年の金融危機の頃でしょうか。よって経済は理由の1つでしょうし、社会や経済が人々の心理に与える力はやはり大きいと言えるでしょう。しかしここで肝心なのは、私たちは常に「ハッピーになりましょう!ハッピーになりなさい!」と言われていることです。これは息苦しさを生み出してしまうことになりかねません。映画の序盤にある講演のシーンで根本さんが言います。「希望がないと言われるが、では希望を一緒に作ろう」と。希望はあるときたまたま降ってくるものではない、希望を自分で作るから生きたいと思えるのだと。

 

幸せの強要はプレッシャーですよね。幸せも一緒に作っていければいいのですが。

ウィルソン:本当にそうです。楽しそうな人と、自分とをいつも比べてしまいますよね。また、SNSがこれに拍車を掛けている気がします。いつもハッピーな人たちの写真や、美味しそうな食べ物、ゴージャスな暮らしぶり、幸せな結婚やかわいい子供たち、そういった写真がSNS上には溢れかえっていますから。SNSはそもそもアイデアを共有する場所ではありますが、それによってより惨めな思いをする人も少なくありません。SNS上にあるものは真実のような形をした、単に外に向かって発信されているイメージです。そういった現代ならではの現象が、不幸や苦しみを生む要因にもなってしまっているのです。

 

「希望は一緒に作る」という言葉が印象に残っています。現在息苦しい世の中ではありますが、今を生きる人たちに何か伝えたいことは?

根本:1度死んでみるのも良いと思います。死ぬのが嫌だったら、生き切れ、と。1回死ね、そしたら2度と死なんぞと、我々の祖師さんが言っているんですけど。自殺するところまで悩む人たちも実はある意味死に切っているんです。今まで社会で培った価値観が、どうでもよく思えるくらい死に切っている。そこからは何も生まれない気がします。生きにくいと感じたら1度死ぬ。そういう考え方もありますよね、生きるために。

 

 

テキスト&インタビュー by 岡本太陽

Image courtesy of Drifting Cloud Productions

 

2017年トライベッカ映画祭オフィシャルサイト