Interview

 
 
Place: New York

無国籍の世界

Kah Wai Lim
アートカテゴリ:  Film, Movie

マレーシア出身で、放浪の無国籍映画作家リム・カーワイの過去3作品(『恋するミナミ』『マジック&ロス』『アフター・オール・ディーズ・イヤーズ』)が、12月5日〜22日まで、ブルックリンのスペクタクル・シアターで特別上映された。リム氏は、特別上映期間中に初めてニューヨークの地を踏み、映画上映後のQ&Aなどに参加した。

 

2016年はどんな年だったか?きっとそれは「攻撃的」に尽きるのではないだろうか。民主党と共和党のような集団の対立や、移民やイスラム系のような特定の集団への非難が、2016年には著しく目立った。しかし、リム氏はそんな社会の選択とは寄り添わない旅路をゆく。彼が歩むのは無国籍という道。無国籍とは何にも属さないということ。言い換えれば、すべてに属しているということ。彼の映画の中にだけ存在する無所属の世界感は、果たして今の世の中にどう響くのだろうか?

 

COOLは、ニューヨーク滞在中のリム氏にグリニッジビレッジで会って話を聞いた。

 

 

僕の映画作家としてのアイデンティティはやはり無国籍にあると思っている

 

リムさんはマレーシアご出身ですが、現在は日本にお住まいです。どうやって日本を拠点に活動されるようになったのですか?

25年前、僕はマレーシアの高校を卒業してから日本に留学しました。マレーシアでは、マハティール・ビン・モハマド元首相がルックイースト政策を打ち出していたので、当時のマレーシアでは日本に行って、日本の技術を学ぶというムーブメントがありました。僕はその流れの中で日本に行き、大阪大学の基礎工学部で電気工学を学んだんです。大学を卒業してからは、東京の通信会社で働き始めました。

 

東京ではニューヨークと同じように、世界中の映画が観られます。映画好きにとっては天国のような場所です。特に、僕は昔の日本映画が好きで、小津安二郎、成瀬巳喜男、溝口健二、増村保造などの巨匠たちの特集を組んでいる映画館があると、会社を休んでまで足を運んでいたんですよ。そうやって東京で生活していましたが、会社での仕事が自分には向いていないということもわかってきたんです。何か違うことをやりたいなと考えていたところ、映画を作る側になりたいという気持ちが募ってきました。

 

"After All These Years" © Cinema Drifters

しかし、映画の現場に入ろうとしてもいきなりは難しいですよね。そこでまずは映画の学校に入ろうと思いました。ニューヨークやヨーロッパの映画学校に憧れていたのですが、学費がとても高かったんですよ。けれどちょうどその頃、ジャ・ジャンクーやワン・ビンら中国の面白いインディペンデント映画作家たちが日本でも紹介されてきていました。彼らは北京電影学院に行って、北京を拠点にして映画を作っている。また、学費もニューヨークなどの有名校に比べるとずいぶん安く、生活費も安かった。そこで学校に行くなら中国しかないなと思いました。

 

そうやって北京電影学院に行って、『アフター・オール・ディーズ・イヤーズ』や『マジック&ロス』を作った後に、シネアスト・オーガニゼーション大阪(CO2)から助成金を受けて『新世界の夜明け』を作ることになるのですが、この映画がきっかけで、僕は日本に戻りました。

 

リムさんは以前日本に11年お住まいになられていました。前いた頃と、今の日本に違いは感じますか?

風景や雰囲気はそんなに変わってはいない気がしますが、20年前の日本人と今の日本人には違いがあるように思います。その違いは何か?今の日本人は他国のことに興味を失っているということ。それと反比例するように、日本へ来る観光客は圧倒的に増えている。ここ20年でアジアやヨーロッパからの観光客はものすごく増えました。しかし日本人は彼らに興味を持っていないし、海外にもあまり行かない。20年前の日本は、ホームステイさせてくれる家庭も多く、留学生を受け入れてくれる環境も豊かでしたが、最近はそういったものも随分減っている気がします。

 

イギリスがEUから離脱の決断をしたり、アメリカ大統領選の結果を見てもわかるように、現代社会は国際的だけれど、どんどん保守化が進んでいます。その現象をどう思いますか?

"Magic & Loss" © Magic and Loss Film Partners

イギリスやアメリカのことは、グローバリゼーションが進んだ結果だと思っています。アメリカの場合だと、海外のほうが人件費なども安く、産業面はほとんど海外に頼っています。だから失業者が増え、格差がさらに広がってしまった。それが人の思考が内向きになってしまった原因だと思います。グローバリゼーションは悪いことではないと思いますが、それも行き過ぎることがある。そうやって行き過ぎると、発展途上国を搾取する結果にもつながるんですよ。

 

アメリカ大統領選が終わって約1ヶ月が経ちました。選挙結果は今後の世界に大きく影響を及ぼすと思われますが、今まさにそのアメリカにいて表現者として感じるものはありますか?

ニューヨークがリベラルな街だからでしょうか、選挙結果の影響はそれほど感じられません。それよりもニューヨークに来られてうれしいという方が正直強くて(笑)

 

もしかしたらみんな何もなかったように振舞っているのかもしれませんね。けれどそれは日本も同じですよね。3/11があってからも、それに直面しようとせずに、人は何もなかったかのように暮らそうとしていますから。

 

 

マレーシア人の視点は僕の映画にはありません

そして日本人でも香港人でも中国人の視点でもない

 

リムさんの映画では旅人が主人公です。そしてリムさんご自身もバックパカーだったそうですね。そのときに見たものや感じたことで強く心に残っているものはありますか?

"New World" © Cinema Drifters

今まさにこの瞬間にも感じていることですが、やはり世界は広いなということですね。バックパッカーの旅を通じて、世の中にはいろんな人がいるということや、いかに自分が無知であったかを痛感しました。旅をしながら、世界はあまりにも広すぎて、知らないことも多すぎて、きっとすべてを知ることは無理だろうということも同時に感じました。知ったほうがいいこともあるだろうし、全然知らないほうがいいこともあるかもしれませんね。

 

リムさんにとって旅とは?

僕は映画を作っていますから、脚本や構想を練るのは旅先でもどこでもできるんですよ。例えば、北京で映画を撮ろうと予定していても、北京に住む必要はないんです。雲南で脚本を完成させてから北京に戻って準備することだってできる。東京やニューヨークにいることでしか仕事ができないと思っている人はそういうことに気づけていない。意外とそうやって暮らしているほうが、アパートや家を借りるよりも安かったりするんですよ。旅をする中でそういう発見がありました。また、旅先でいろんな人に出会うとアイデアも膨らみます。

 

外の世界への憧れはマレーシアにいたころからあったのですか?

"Fly Me To Minami" © FLY ME TO MINAMI ― 恋するミナミ ― All Rights Reserved.

マレーシアにいたころは世界のことにほとんど興味がありませんでした。今思うと、北京に行ってから世界のことに興味を持つようになったのかもしれません。日本でも学生やサラリーマンやっていたくらいでしたから。

 

北京の映画学校の近くは外国人がとても多く、北京オリンピックがあった2004年頃は、外国人に会う機会は日本よりも北京のほうがよりあったように思います。今の日本は当時とは随分違いますが。

 

北京に以前に東京に住んでいたころは、東京はものすごく国際的だと思っていました。しかし実際に北京に行ってみると、北京はもっと国際的でした。北京に行かず、ずっと東京でサラリーマンやっていたら、今みたいな流れ者のような生活は思いつきもしなかったでしょう。

 

外を知ることが正しいとは思いませんが、外を知ることで内側のことがよく理解できることもありますよね。外に出てみて、ご自身の国への認識や印象はどう変わりましたか?

僕はマレーシア出身ですが、過ごした時間はもしかしたら日本の方が長いかもしれません。現在僕は43歳。19歳のときに日本に来ましたから。そういう意味では、マレーシアよりも日本を出てみて外のことを知ることができたかもしれません。

 

マレーシアは多民族国家です。マレー系、中国系、インド系などさまざまなルーツを持つ人々がいて、いろんな言語があり、文化や宗教もさまざま。政治レベルではいろんなことが起こりましたが、僕が住んでいたころのマレーシアと今のマレーシアはそんなに大きな変化はないような気がします。けれど僕がまだ留学生だったころと、北京に行ってから戻って来たときの日本は全く違う。1度外に出て日本のことをより理解できたような気がします。

 

リムさんは無国籍映画を作られています。どうしてそのスタイルに行き着いたのですか?

実は意識的にそういうものを作ろうとしていたわけではなく、自然にそういうものができたんです。映画を作っていく過程でそういうスタイルに行き着いたんだと思います。それに「無国籍」と名前を付けました。

 

"After All These Years" © Cinema Drifters

例えば、北京で初めて作った『アフター・オール・ディーズ・イヤーズ』があります。あの映画のスタッフとキャストは香港、日本、ボリビア、アメリカ、中国、韓国など、さまざまな国の人から構成されています。北京に行って彼らと知り合ったから、自然とあんなに多国籍なチームになったんです。日本で映画を作ろうとすると、おそらくスタッフはほとんど日本人になりますよね。今はそれも随分変わりましたが。

 

『アフター・オール・ディーズ・イヤーズ』の後に撮った『マジック&ロス』も、同様に多国籍なチームでした。主演の杉野希妃さんも、日本と韓国の間に生きているような方で、彼女と一緒に香港で映画を作りました。これは日本映画でもなければ韓国映画でもない。だから無国籍映画と呼ぶのが相応しいのではないかと。

 

今おっしゃられた杉野希妃さんも国際的に活躍されていて、彼女のスタイルも無国籍に近い印象を受けます。

"Magic & Loss" © Magic and Loss Film Partners

彼女もいろんなところで撮影されていますよね。スタッフの構成も多国籍です。最近は役者としてブルガリアにも行って撮影されていました。ものすごく国際的に活躍されていますが、無国籍とは少し違うかもしれません。それはなぜかというと、最も強い彼女のアイデンティティは日本だからです。例えば彼女が監督した『欲動』という作品があります。映画はインドネシアで撮られていますが、日本人の視点で物語は描かれています。僕の場合は違って、マレーシア人の視点は僕の映画にはありません。そして日本人でも香港人でも中国人の視点でもない。

 

「恋するミナミ」は場所も言語も行き交う、無国籍映画家としての現時点での集大成のような作品です。無国籍への願いとは?

"Fly Me To Minami" © FLY ME TO MINAMI ― 恋するミナミ ― All Rights Reserved.

実は『恋するミナミ』の後に、完全に中国人スタッフ、中国人キャストで、中国を舞台に映画を作りました。それは中国ですでに公開もされています。だからこれは完全に中国映画です。無国籍ではない。ただ、その企画は自分で立ち上げたものではなかった。けれど、自分自身で企画を立ち上げるとしたら、やはり無国籍映画を目指すはずです。僕の映画作家としてのアイデンティティはやはり無国籍にあると思っているから。

 

今また大阪を舞台に映画を撮ろうとしていますが、舞台は大阪だけれど、登場人物は多国籍です。アフリカ人、東ヨーロッパ人、アジア人ももちろんいる。多国籍なロバート・アルトマン映画のようなものをやろうとしています。

 

やはり表現の自由あっての無国籍映画だと思います。ところが現在、表現の自由があるということに危機感を抱いている人もいますし、それゆえに公の場で政治的ジョークさえ言いにくい窮屈な世の中になってきています。

僕はソーシャルメディアで、特にマレーシアや香港の現状についての政治的な話をよくしていますが、やはり社会は明るくはないですよ。香港は随分中国化されて、自由や民主主義が薄れてきている。マレーシアの場合は、表面的には民主主義だけれど、独裁政権が続いているような状態です。アメリカやヨーロッパも劇的な変化を遂げようとしていますし、それも決して明るくはない。

 

しかし僕は基本的には楽観的なんです。短い期間だけ見ると不安になりますが、実際にここ100年くらいの歴史を見ると、戦争は減って来ている傾向にあります。何事もすぐには変わりませんが、少しずつ良い方向に向かっていると思っています。

 

現在ニューヨークを訪問されていますが、アジアを飛び出してアメリカでも作品を作りたいという気持ちが膨らんで来たのでは?

Kah Wai Lim

今ブルックリンの友人宅に宿泊しているのですが、天井が高くて窓も大きくて、雰囲気がとても良いんですよ。おそらくアメリカにはそういった倉庫を改築してスタジオにしているものがたくさんあるんでしょう。そのような場所は、僕にはとても映画的です。ニューヨークは街の中に映画的な場所がたくさん転がっている気がします。

 

僕は、空間の雰囲気をとても大切にしているんですよ。その空間の雰囲気が良ければ、いくらでも映画が作れるから。やはりニューヨークはインディ映画のメッカですよね。雰囲気の良い場所をニューヨークでたくさん見つけたので、いつか絶対ニューヨークでインディ映画を作りたいです。

 

 

文&インタビュー by 岡本太陽

 

シネマ・ドリフター ウェブサイト

『恋するミナミ』公式ウェブサイト