Interview

 
 
Place: New York

球の観点

Tatsuya Mori
アートカテゴリ:  Film, Movie

一方的な報道によって社会は大きく動かされてしまうことがある。『A』や『A2』で知られる森達也監督が15年ぶりに手掛けた『FAKE』は、2014年の「ゴーストライター騒動」がきっかけで集中批判を浴びた聴覚障害のある作曲家・佐村河内守氏を追う長編ドキュメンタリー映画。簡単に正解を求める世の中の興味に対し、森監督の作品で一貫しているのは被写体の普遍性をとらえるということ。完全なる悪としてメディアに報道された佐村河内氏にも、森監督のフィルターを通して見えてくるのは、家族がいて、感情があって、皆と同じように息をしているという人間らしさ。きっとすべてのものにはある側面だけでは見えてこない多くの「真実」があるはず。『FAKE』に溢れる森監督の多様性への願いが、一面だけを見せ、そしてそれを受け入れる大きな流れに抗う。

 

7月23日、ニューヨークで開催された「第10回JAPAN CUTS!〜ジャパン・カッツ!〜」で『FAKE』が上映を迎え、COOLは映画上映のためニューヨークを訪れた森監督にインタビューをした。真摯に語ってくれた森監督の言葉に触れると『FAKE』がまるで球体のように見えてくる。

 

 

多様性があるとやさしくなれる

 

まず佐村河内さんのどういうところに被写体としての魅力を感じましたか?

魅力あると思いませんか?実は僕は彼のことをまったく知らなかったんですよ。週刊文春がスクープして、記者会見が行われて、日本で大騒ぎになったときに「へぇ〜こんな人がいたのか」という感じで知りました。佐村河内さんに会ったのは、彼のことを本に書くという前提があったからです。僕はまだそれを承諾していなかったのですが、編集者がとても熱心で、佐村河内さんに一度会って来てほしいと言われていたんですよ。そこでとりあえず彼に会って断ればいいだろうと思っていましたが、実際会うと雰囲気があって絵になる人だなという印象を受けました。ただ彼だけではなくて、奥さんや猫、また彼らが暮らしているあの薄暗い空間や、窓を開けたら電車が走っている光景などすべてに魅力を感じ、これは本ではなく映像向きだなと思ったんです。

 

この映画を観る人の中には事件の真相を求めて観る人も少なくないと思いますが、森さんはその真実とは違うものを見出そうとしているように感じました。

真実は見方で変わると思うんですよ。もちろん僕にとっての真実はありますよ。でも人が100人いれば、100通りの真実があるはずです。事実は1つですよね。でも事実なんて神の視点でしかわからない。僕にとっての真実は映画の中には出しているつもりだけれど、今回は意識的に「それはあなたが思っている真実とは違いますよ」という文脈を押し出しています。

 

映画を撮るにあたって、佐村河内さんに「この映画のためにあなたを利用します」と言われたそうですね。そう言われると、おそらく大抵の人はドキッとしてしまうと思います。その言葉にはどういう意図があったのでしょうか?

初めてお会いしたときに、文春や神山典士さん、新垣隆さんに対する怒りが感じられました。けれどそればかり撮っていてもしょうがない。怒りには普遍性がありませんから。だから僕は映画の冒頭で「怒りではなく悲しみを撮りたい」と言っているんですよ。

そもそもドキュメンタリーは間接話法なんです。(ミネラルウォーターのボトルを手に取って)これを撮って「ミネラルウォーターです」と言ってもつまらないですよね。たとえば水のボトルを撮って、グローバリゼーションや世界平和を語ることができれば面白くなるので、佐村河内さんをメタファーとして違うテーマを表したいと思っていました。それは僕の作品では常にやっていることですが、特に今回はその必要性を強く感じました。また彼の怒りがあまりにも一方向なので、それを軌道修正したいという思いもあって、ああいう言い方をしたんです。

 

報道も一方的だったし、佐村河内さんの怒りも一方にしか向かっていなかったんですね。

作用反作用です。

 

森さんは映画を通して、一方的に見られるものを他の角度からも見てみようとされていますよね。

ものにはいろんな形がありますよね。あるものを横から見るのと下から見るのでは見え方が違います。でもメディアはやはり最もわかりやすく刺激的なところだけを強調するわけです。そうするとそれ以外は全部消えてしまう。だけど実は他の部分も面白かったり意味があったりするので、どうせドキュメンタリー撮るならマスメディアが光を当てないところを撮りたいと思っています。

 

森さんは多様性を大事にされていると思いますが、多様性を持ちたいと思わせたきっかけは何だったんですか?

『FAKE』上映後のQ&Aにて

テレビの世界に入ってドキュメンタリーを撮るようになると、現場で気づくことがたくさんあるんですよ。僕の人生初めのロケは香港の九龍城砦でした。そこに行く予定はなかったのですが、そのとき撮っていたタレントがたまたま中に入って行っちゃって。これは救出しないと大変なことになるというので、当時ADだった僕は「お前行け」と言われて、九龍城砦の中へ入って行きました。入る前は地元の人が、あんなところに入ったらマフィアがたくさんいるから生きて戻れないと言っていたけれど、いざ中に入ると、普通の生活が広がっていました。住まいがあって、洗濯物を干すおばちゃんがいて、走り回る子供がいる。そのときに実際はみんなが言っていることと違う場合もあると気づきました。ドキュメンタリーを撮っていると、そういう瞬間に出会って、ものごとの他の面に気づく体験がたくさんあるんです。結局タレントは見つかりましたよ。

 

森さんにとって多様性とはどういう意味を持っていますか?

やはり多様性があるとやさしくなれますよね。例えば職場にすごく嫌な上司がいて、顔見るたびに文句ばかり言われてムカつくなと思っているとします。ある晩その人に居酒屋でばったり会ってしまって、無視もできないので仕方なく一緒に飲んでいたら、意外にも上司の良い面に気づく。そんな経験は誰にでもありますよね。人間にはいろんな面があるんですよ。同じ視点からだと同じ面しか見ることはできないけれど、違う場所で違う視点をたまたま手に入れたらまったく違うものが見えてきます。そうすると世界はこんなに豊かなんだと気づきますし、素敵だなと思える。そうすると当然やさしくなりますよね。結局自分の中にもいろんな面があるんですよ。勿体ないことに、結構それには気づけない人が多い。

 

 

思想や主義に従うことはある種の集団化

 

森さんのドキュメンタリー映画で取り上げる人たちは、メディアや社会といった集団に批判された人たちです。恐怖と集団化のつながりを他のインタビューで語られていましたが、現代の集団化を起こす恐怖は何でしょうか?

現在も過去も同じで、やはり生存への不安ですよね。それは直接自分に対する脅威である場合もあるし、自分が愛する人への脅威である場合もある。そういう恐怖を人が持ってしまうと、1人では戦えないからまとまりたくなります。それは本能だから仕方がないけれど、人間が犯す大きな間違いはそういうときに起きると僕は思っています。まさしく2001年の9/11があってブッシュ政権を支持したこの国が良い例で、結果的にその現象は世界中に広がっている気がします。

 

アメリカはおもしろい国で、日本と同じように集団化起こしやすいんですよ。ただ日本とアメリカではメカニズムが違います。日本は均質な国ですよね。アメリカは逆に多民族、多言語、多宗教でしょ。だから「ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカ」という国名ですが、本当はユナイテッドされていないんですよ。僕は、アメリカは実は1つになれていないことにコンプレックスがあるのではないかと思っています。だからこそ、ことあるごとに「ユナイテッド」を強調したくなるし、まとまりたくなる。国旗や国歌をこんなに好きな国は他にないですよね。あれはユナイテッドのシンボルですからね。そうやって「俺たちは1つだ!」と言いたいけれど、所詮はさまざまな文化の集まった国だから、結局1つにはなれていない。

 

『FAKE』上映後のQ&Aにて、想田和弘監督と

ただアメリカには復元力がある。ブッシュ政権のときは国があんなに一色になってしまったけれど、イラク戦争に大義はなかったと気づいたら、急にみんなが違う方向に歩き始めました。やはり長時間同じ行動をみんなで取ることは不可能なので、ある時点から個人で勝手に動き出します。そういう意味ではアメリカには復元力はあるけれど、今言ったようにことあるごとに統合したいという欲求が常にある。そして今まさにIS(イスラム国)に対する不安や恐怖からまた1つになろうとしている。だからやはりアメリカは常に繰り返していますよ。元を正せばブッシュ政権がやったことがISが生まれた原因なんですけどね。

 

そうですね。アメリカの大統領選の演説では、どの立候補者も「アメリカ人であることを誇りに思う」や「世界最高の国アメリカ」という言葉を必ず入れてきます。

おとといのトランプの演説を聞いていても、「アメリカのことを最も優先に考えない政治家がいる限りは、この国は他国から尊敬を受けない」と言っていましたよね。そういう意味では今のアメリカは安倍政権と似ているところがありますよ。

 

思想や主義には没頭できないそうですね。

逆にそういうものに魅力を感じている人を不思議に思います。思想や主義に従うことはある種の集団化だと思っていますからね。やはり同じ思想や主義を持つ人同士で集まりますよね。だから僕はそれには賛同できないなと思うんですよ。

 

集団が生まれると、集団の目指す正義も生まれますよね。

「正義の反対にあるのはまた別の正義」という言葉を聞いたことがあります。つまり正義の反対は悪ではない。それは確かに真理だと思うし、やはり正義は常に相対的なものだと思っています。ただ、相対的なものだと理解しながらも正義は大事だから、それにすがりたい気持ちもわかります。僕にだって自分の正義はあるけれど、同時にそれに対して懐疑心を持たないといけないと思います。

 

 

結局日本の社会も政治も72位


映画祭のパーティでお見かけしたときに、わりと隅の方にいらっしゃったので、勝手ながらあまりメインストリームのものには興味がないのかなという印象を受けました。

そういう場に知り合いがいれば別ですけど、ここには特にいないですからね。メインの部分に興味がないわけではないけれど、居心地がいいのはむしろ隅っこの方かもしれないですね。

 

だからこそ隅に追いやられてしまった人たちにも目が向いてしまうのかなと。

それはあるかもしれませんね。子供のころ転校生だったんですよ。小学校を3回、中学校を1回転校しました。すべての転校生がそういう視点を持つようになるかと言われれば、そうじゃない気もしますが。けれど僕はクラスの中では常にアウトサイダーでしたし、だいたい転校生はいじめられますよね。だからクラスの中心にはいない人たちと付き合っていましたよ。

 

森さんは多様性を求めて作家として活動されていると思いますが、理想を求める中で矛盾やジレンマに直面してしまうときはありますか?

今だってしばしば僕はネットで叩かれていますからね。炎上することもありますし。それはネットの上では仕方のないことなんでしょうけど。特に映画を観ていない人からは批判されます。ただ1998年に公開された『A』からずっと叩かれていますからね。さすがに免疫ができましたよ。『A』のときは、「こいつオウム真理教の幹部だ」とか「オウムのPR映画だ」なんて散々言われました。観た人はそういうことは言わないけれど、観ていない人が言うんですよ。

 

たとえ人や時代を巻き込んでしまう大きな波が来ても、森さんは自分の声を出し続けていくと思いますか?

すごい例えだな。でも僕はもう疲れてるし、もうそろそろ日本を出たいとも思っているんです。だから声を出し続けることにこだわりはないですよ。

 

どの国に興味がありますか?

北欧ですね。それかオーストラリアやニュージーランド。北欧は前にも何度か行っていますが、いつ行ってもゆったりしていて良いんですよね。それに死刑なんか当然ないから、成熟度を北欧には感じるんですよ。社会保障もしっかりしているから老後の心配もない。オーストラリアやニュージーランドはあまり成熟はしていないけれど、とにかく自然が豊かで可能性があります。

 

ノルウェイの刑務所事情を知って驚愕した覚えがあります。

『FAKE』上映後のQ&Aにて

実は1度ノルウェイの刑務所を取材したことがあるんですよ。一家殺害の犯人がコテージのようなところに住んでいました。人を殺したからとんでもない人間なのかというと、そうではないんですよね。刑務所の中で、苦痛を伴うような刑罰を与えられたら、誰だって悪循環を起こしますよ。日本の刑事司法制度はまさしくその悪循環を引き起こしている。けれどノルウェイでは「彼は苦しかったからあんな犯罪を犯したんだ。だからこれ以上苦しみを与えてもしょうがない。むしろ彼に欠けている教育や愛情を与えるべきなんだ」という発想なんです。そこも含めてとても成熟している。

 

たとえば北欧の国は、国境なき記者団が発表する世界報道自由度ランキングで常にトップ3に入っている。僕はメディアと社会と政治は常に同じレベルにあると考えています。日本の報道の自由度は現在72位です。だから結局日本の社会も政治も72位なんですよ。

 

 

テキスト、インタビュー&ポートレイト写真 by 岡本太陽

映画上映後Q&A写真 by ジョージ・ヒロセ

© 2016 『FAKE』 製作委員会

 

映画『FAKE』オフィシャルサイト

「第10回JAPAN CUTS!〜ジャパン・カッツ!〜』オフィシャルサイト