Interview

 
 
Place: New York

最強の敵に出会った俳優

Go Ayano, Kazuya Shiraishi
アートカテゴリ:  Film, Movie

名優ロバート・デ・ニーロが、『タクシードライバー』の後に『レイジング・ブル』でアカデミー主演男優賞を受賞したように、最高の演技にはそれを超えるものでしか勝つことができない。今日本で最も勢いに乗っている日本人俳優・綾野剛が、ニューヨークで開催中の第15回ニューヨーク・アジア映画祭(通称:NYAFF)で6月28日、これから世界的な活躍が期待される俳優に贈られるスクリーン・インターナショナル・ライジング・スター賞を受賞した。2011年のNHK朝の連続ドラマ小説『カーネーション』への出演でブレイクしたのをきっかけに、彼は年間多数の出演作を抱えるカリスマ性溢れるカメレオン俳優へと変貌を遂げた。そしてそれら作品のうちの1つが、同映画祭のオープニングを飾った白石和彌監督の問題作『日本で一番悪い奴ら』だ。

 

『日本で一番悪い奴ら』は、深作欣二監督の『県警対組織暴力』やマーティン・スコセッシ監督の『グッドフェローズ』を彷彿とさせる近年稀に見る骨太エンターテイメント作品。日本警察史上最大の不祥事と呼ばれる「稲葉事件」の中心人物・稲葉圭昭の『恥さらし 北海道警 悪徳刑事の告白』を原作にした本作は、ある現役警部による覚せい剤取引や拳銃売買、また北海道警察による組織的犯罪を描いていく。この映画で綾野は主人公・諸星要一に扮し、柔道しかやっていなかった大学生時代から逮捕される40代までの諸星の壮絶な26年間を見事に演じきった。

 

第87回アカデミー賞外国語映画賞に日本代表作品として選出された、2014年の呉美保監督の『そこのみにて光輝く』で、綾野は日本映画界の賞を総なめにした。それからの彼の快進撃は凄まじかった。北村龍平、園子温、岩井俊二、瀬々敬久といった世界でも高く評価されている監督と組み、まるでどこかにある最高の「俳優・綾野剛」を探し求めているかのような印象だ。そんな中現れた『日本で一番悪い奴ら』は、綾野が次に何を仕掛けて来るのかという我々の期待を優に超えてきた作品だった。なぜなら、自らの行いに疑いすら持たず、ただひた向きに熱く命を燃やした諸星を演じた綾野の姿は今までにないほど燦(さん)然としているからだ。そして我々は、その諸星のほとばしるエネルギーに命を与えた綾野の俳優魂に未来の国際的スターの兆しを目の当たりにする。

 

 

COOLは、スクリーン・インターナショナル・ライジング・スター賞受賞のためニューヨークを訪れた綾野剛と白石和彌監督に、2人の共作『日本で一番悪い奴ら』について話を聞いた。

綾野剛(左)と白石和彌(右)

 

”そもそも人間そのものが不確かなんですよ”


もうすぐニューヨーク・アジア映画祭でライジングスター賞の受賞式ですね。

綾野:素直にうれしいです。また、『日本で一番悪い奴ら』という作品が評価をいただけたことには感謝しかありません。もちろんライジングスター賞は個人の賞ではありますが、自分個人の評価というより、この作品が評価していただけたという思いのほうが強いので、この映画の1部署の代表として僕が賞をいただいていると意識しています。

 

今回の諸星要一は非常に過激な役柄ですね。

綾野:まずプロットに「拳銃200丁、覚せい剤130キロ、大麻2トン、『日本で一番悪い奴ら』白石和彌監督」と書かれてあったので、「これ映画になるのかな?」と正直思いました。けれど僕自身が「これ映画にできるのか?」と疑いを持った時点で、表現者として弱体しているなと感じたんですよ。過激な作品ばかりになるのもよくないですが、こういった作品の存在が日本のエンターテイメントシーンの底上げになると信じています。だから弱体していた自分を鼓舞させるためにも、ちゃんと皆さまにこの作品を届けていきたいという思いです。

 

白石:稲葉さんは小さい頃から柔道しかやってきていないんですよ。彼は東洋大学でもずっと柔道をやっていて、大学生なのに道場と家の往復が彼の日常でした。ですから大学卒業時は、北海道警に入るか、ロシアのコマンドサンボ大会に出るかの2択しかなく、最終的には北海道警を選ばれました。けれど道警には柔道で呼ばれているので、彼は基本的には格闘家なんですよね。

 

そこで「この役は誰がやれるんだろう」と思いながら脚本を書いているときに、取材のため稲葉さんに会いに行ったんです。実際会ってみると、彼はすごく魅力的で色っぽくて、女性にモテるだろうという印象を受けました。それをきっかけに、もちろん骨太な部分も彼にはありましたが、映画では格闘家という部分に焦点を合わせるのではなく、彼がいかに魅力的な人であるかを描きたいと思いました。

 

逮捕されたとき、彼はすでに2度離婚していて子供もいらっしゃったのですが、彼女が8人もいて、そのうち2人が婦警でした。笑ってしまうようなエピソードですが、それでもそれを信用させる力が彼にはあるんですよ。そして彼と話をしている中で、自然と今波に乗っていて色気もある綾野君にしようと思いました。

 

稲葉圭昭さんの原作『恥さらし 北海道警 悪徳刑事の告白』を読まれたときに、原作のどこに惹かれましたか?

綾野剛

綾野:原作は稲葉さんの恥さらしの内容がエグかったので、映画にできない部分も多かったのですが、僕は稲葉さんの生き方にシンパシーを感じました。

 

我々は多かれ少なかれ組織に属していますよね。そして組織の中で何が組織にとっての正義なのかを導き出し、それを大義名分として掲げなくてはいけない。たとえば報道ならば、「表現の自由」を掲げたりしますよね。実際の銃器対策やマル暴の人が、生涯において検挙できるのはおおよそ5〜10丁と言われています。ところが稲葉さんは北海道警の正義を掲げて、数年間の間に100丁以上挙げているんですよ。それってよっぽどの熱量で燃え上がっていないとできないはずです。

 

映画の撮影でも、監督にどうしても欲しい画があって撮影許可が下りない場合、「じゃあゲリラでやりますか!」と映画における大義名分を掲げて撮るんですよね。そういったことはどの組織にもあり得ます。普通に暮らしている僕たちは、曖昧なグレーの部分に立たされて何かを背負わなくてはいけないときもあると思いますが、一切を白黒明確にしていたのが稲葉さんだったのかなと思います。

 

大林宣彦監督も「正義は己の都合でしかない」とおっしゃられていたんです。善悪なども同じですよね。けれどこの映画は正義というものを超えてくる印象を受けました。

白石和彌

白石:いわゆる「正義」と言われている人の中にも、人には言えない悪いことをしてる人もいるだろうし、それは逆もまた然りで、世間的には「悪人」であっても自分の子供にはものすごくいいお父さんということもあります。この映画の中で描かれることはいわゆる「悪いこと」かもしれませんが、完全に悪いことなのかは明確にはできません。では誰がどの一線から正義と悪を決めるのか。その線引きはきっと誰にもできないのではないでしょうか。

 

綾野:誰もできないですよね。映画の中に麻薬使用の描写が結構ありますが、僕は最大の麻薬は状況と環境だと思っています。置かれている状況と環境に溺れてしまうというか。たとえば、過去に1番下っ端だった者がエースと呼ばれる立場になったりすると、本人の声の質や対応も変わり、周りの対応も明らさまに変わっていきます。自分だけが変化していると思いきや、周りもどんどん変化していくんです。だから状況や環境は、人を豊かにする場合もある反面、人を狂わせる場合もある。

 

そもそも人間そのものが不確かなんですよ。だから生きていること自体が愚かなのかもしれないと思えることもあるけれど、我々は死に向かって懸命に生きています。だからこそこの映画で僕たちは、北海道や県警や組織を弾圧せずに、人生のある瞬間に熱を持って生きた人の人間賛歌を描こうとしていました。

 

では、警察の悪というものはあるのでしょうか?

白石:警察が悪に見えるのならば、それは警察は国家権力の犬だからですよね。彼らはやはり権力者ですから。組織が大きくなると、ほころびがどこかしらに出てきて、何かあったら1人を祭り上げて終わらせるというような風潮にありまよね。たとえば三菱自動車の燃費データ不正問題も、1人ひとりの社員たちは一生懸命やっていたと思うんですよ。けれどこのまま行ったらリコールになるから、会社を守るために仕方なくやったことがああいった形になってしまったわけで。組織ができた瞬間、組織が1人歩きして、組織防衛が始まってしまうんですよね。

 

 

”固まってしまうことで役者生命が奪われる”


この映画では次何が起こるかわからないのも魅力の1つですね。

白石:たとえば物語の中で大きな殺人シーンなどがあれば、それに向かって計算してやることができましたが、この映画は小さなエピソードの積み重ねで作られているんです。もしかすると他のエピソードに置き換えたとしても映画として成立してしまうかもしれません。何でもないシーンはどんな脚本にもあるので、そういったシーンをいかに魅力的に熱量のあるものにするかをみんなで考えていました。言い換えると、前後のつながりはほとんど意識していないんです。

 

みなさん警察やヤクザでも型にはまらないお芝居をされていますね。

ピエール瀧(左)、綾野剛(右)

綾野:中村獅童さんも、YOUNG DAISやデニスの植野行雄君も、みんながそれぞれの役の肩書きを捨てたんですよ。僕の場合だと、自分が警察だと思いながら諸星を演じていなかったんです。むしろ甲子園を目指す球児のような気持ちで、シャブをこれだけ売ったら、チャカをどれだけ用意できるのかということに熱くなっていました。青春映画のように。

 

監督にも「弱小のチームが周りから笑われて、お前らなんか甲子園行けるはずねえよと言われるけれど、でも俺たちは甲子園目指すんだ頑張ろう!」という気持ちでやってくださいと言われました。仲がいい人間同士だと、年齢や職業関係なく楽しく飲める時間ってありますよね。あの感覚で映画を作っていたんですよ。

 

今回のニューヨーク・アジア映画祭では綾野さんが出演されている『リップヴァンウィンクルの花嫁』も上映されましたが、あの映画と『日本で一番悪い奴ら』の綾野さんが同じ人だとは信じがたいです。「変化」というものをどうとらえていますか?

綾野:人は毎秒毎秒変化していると思っています。性格を変えるのは簡単ではないかもしれませんが、考え方は常に変わっていく。僕は、固まってしまうことで役者生命が奪われてしまうと思っているので、変化を恐れない気持ちを持ってお仕事をさせていただいているんですよ。

 

7月14日で僕の役者人生は13年経ちます。今までやってきたお仕事が経験として積み重なっているように思われがちなんですが、僕は全部捨てていっているんですよ。もし『日本で一番悪い奴ら』の続編があるなら、今回やったプロセスは続編にも使えるのですが、全く違う作品をやる場合は、『日本で一番悪い奴ら』で経たプロセスは一切使えません。監督も違うし、役も違うので、毎回捨てていっているんです。だから捨てて変化していくしかない。捨てる勇気を持って自分の持っているものを全部捨てます。そうしてゼロになって台本に取り組みます。

 

正直苦しいです。過去やった役をまた使えたら楽かもしれません。けれどそれをやってしまった瞬間から、僕は役者をやっている意味を見失ってしまうはずです。だからきついけれど、僕は監督や各部署の力を借りながらお仕事を続けています。もし1人でやっているという気持ちでこのお仕事をやっていたなら、もうすでに潰れていると思います。

 

綾野さんは今回20代から40代まで演じられていて、諸星の環境の変化とともに丁寧に声色も変えてらっしゃいますね。

綾野:諸星は、機捜から、マル暴、銃器対策を経て、夕張の生活安全課へと出向させられたので、彼には大きく分けて4つの時代があります。機捜のときは「はい、すみません」みたいなきびきびした動きが多かったのですが、マル暴時代になると反社会勢力、いわゆるヤクザと関わる機会が多くなります。そうすると必然的に彼らに舐められないように、また観ている人に状況をわかりやすく伝えるために、服装や髪型や声の質はあえて誇張する。銃器対策に移ってエースと呼ばれる時代になると、体重を上げてお腹周りに少し肉をつけました。そして体の変化に準ずるように声も変わります。その後覚せい剤を打つようになってからは、声もかすれて退廃していっている様を表現しました。変化を抑えて描くことも可能だったと思いますが、僕はこの映画はエンターテイメントとして捉えていたので、誇張表現を惜しまずやろうと思っていたんです。

 

 

”今最大で最強の敵は『日本で一番悪い奴ら』です”

 

企業CMに出演していることを理由に、脚本に書かれていることをあれこれできないと言う俳優もいる中、綾野さんはそういったことを一切言われないそうですね。

白石:それにはそもそも日本のエンターテイメント界の環境の弱さという問題があります。映画やドラマに出るという、純粋な俳優業から日本の俳優に十分に稼がせることができればいいのだけれど、現在の日本はそういう現状にありません。日本では企業のコマーシャルをやって、俳優業では補いえない部分をカバーしています。それは決して悪いことではありません。ただ例えば、ある俳優が車のCMに出ていたとします。本来映画は全くの別物であるべきなのに、その人が映画で銀行強盗犯を演じる場合、銀行強盗犯であってもシートベルトをしなくてはいけないという矛盾が生まれてしまうんですよ。だからそういったことを理由に、「できれば…」という方もいらっしゃいます。そうやって表現の幅が狭められて困ることもありますが、今回の作品の脚本が完成して、最初に綾野君にお会いしたときに、彼から「僕はこういう作品に出るために役者をやっているので、もちろん全部やらせていただきます」と力強い言葉をいただきました。彼は日本に残る数少ない銀幕スターですよ。

 

綾野:僕は今5本くらいCMやっているのですが、全部のクライアントさんに仁義通しに行って、「僕は年間に、セックス、ドラッグ、暴力のある作品、また15Rの作品は必ずやります、それでもよければCMをお受けします」と言っているんですよ。けれどちゃんと話すとみなさんわかってくれます。

 

白石:映画の表現として必要なことは構わないということですよね。

 

綾野:企業側もクライアントである前にクリエーターなんですよね。どうしてもお金の問題を第一に考えてしまう人もいますし、理想ばかりを貫けないときもあるかもしれませんが、表現の幅を広げていくためには、役者が熱意を持って活動しなくてはいけないと思っています。

 

監督にとって綾野さんはどういった役者さんですか?

白石:「綾野君がいたらこの映画できるな」とか、あまりそういったことは考えたことがなかったんですけど、彼がこれからもまたコンビを組んでやっていきたいとイメージさせてくれるんですよ。将来的に黒澤と三船みたいになれるといいなと思っています。

 

『日本で一番悪い奴ら』は、今までの役者人生の中でどのような位置付けになっていますか?

綾野剛

綾野:正直、今回の役は一番の敵になりますね。ライバルを超えて敵です。今までは『そこのみにて光輝く』が最大の敵でしたが、その作品を『日本で一番悪い奴ら』は超えてしまったと思っています。しかしながら、この作品に僕はこれから勝っていかなくてはいけない。「『日本で一番悪い奴ら』の綾野剛が一番いいよね」と言われ続けていては役者としては敗北ですから、常に次やる作品が代表作になるように自分を奮い立たせています。今最大で最強の敵は『日本で一番悪い奴ら』です。

 

 

 

 

テキスト、インタビュー&ポートレイト写真 by 岡本太陽

© 『日本で一番悪い奴ら』製作委員会

 

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