Interview

 
 
Place: New York

重心を探して

Ryusuke Hamaguchi
アートカテゴリ:  Film, Movie

(左から)三原麻衣子、菊池葉月、川村りら、田中幸恵

どこにいても、どんな時代であっても生きにくさはある。だから「どうしたら幸福になれるのか」という問いからは、生きている限りきっと逃れられない。これまでペドロ・アルモドバルやスパイク・リー、クリストファー・ノーランといった名監督らを輩出し、今年で第45回を迎えたニュー・ディレクターズ/ニュー・フィルムズに、濱口竜介監督の『ハッピーアワー』が日本から唯一選ばれた。ロカルノ国際映画祭で最優秀女優賞、またナント三大陸映画祭で観客賞を受賞したこの映画は、その人間の究極の問いを5時間17分という驚きの上映時間の中でじっくりと見つめていく 。

 

物語の主人公は、神戸に住む30代後半の4人の親友同士の女性、あかり(田中幸恵)、桜子(菊池葉月)、芙美(三原麻衣子)、純(川村りら)。それぞれの家庭や仕事、また社会のプレッシャーの中で、「なりたい自分」に耳をかさないまま生きてきた彼女たちは、純の秘密を知ってしまったことをきっかけに、戸惑いながらも理想に耳を傾け始める。素直に生きることはできるのだろうか?この映画は我々自身を体現している4人の女性たちが、本当の自分を模索する姿を緻密に描き出していく。

 

映画の序盤に4人の女性たちは「重心に聞く」というワークショップに参加する。このワークショップは「伝える」、「聞く」また「受け入れる」がテーマで、さまざまなエクササイズを通して重さの消える「重心」を探っていく。重心とはきっと社会の重みを感じない場所。そして重心は、ありのままの自分を知り、それを解放し、社会とのバランスを取っていく中で見つけることができるのではないか。『ハッピーアワー』は、5時間超という稀に見る長さの作品でありながらも、時間の「重さ」を全く感じさせないという事実が、もしかしたらこの社会にも重心があるのではないかというかすかな希望を抱かせる。

 

 

第45回ニュー・ディレクターズ/ニュー・フィルムズのラインナップに選ばれた『ハッピーアワー』の上映のためニューヨークを訪れた濱口竜介監督に話を聞いた。

神戸で「聞く」ことを重視したワークショップがこの映画のきっかけになっているそうですが、そのワークショップはこの映画にどのように影響していますか?

2013年の9月から2014年の2月までKIITOというデザインセンターのレジデンスアーティストとして神戸にいたときに、演技経験不問で参加者を集めた「即興演技ワークショップ in Kobe」というものを週に1回やっていました。そのワークショップでは後に映画を撮ることを前提にしていましたが、そこでは自分の興味のある人のところにインタビューに行ったり、参加者同士でインタビューし合ったり、ときには著名な方を呼び、参加者に聞き手になっていただくというトークイベントを開催するなど、演技のレッスンではなく聞き手になるレッスンをひたすらやっていました。なぜこれをやっていたのかというと、これが演技という表現を助ける手段になるのではと思っていたからです。僕は震災後に東北で被災された方々の体験を聞くドキュメンタリー映画を撮っていました。彼らに被災の体験に限らずいろんなことを話していただいたところ、「被災者」というものを超えた「個人」が現れてきたんです。そこで、聞かれているという状況の中では、誰しもが自分自身を表現することができるのではと思い、誰しもが聞き手になり、誰しもが演技ができる空間を作りました。

 

2時間以下の映画に慣れている人にとっては、5時間超という上映時間に躊躇してしまうと思います。この長さで映画を見せたかった理由はありますか?

田中幸恵

脚本の初稿の段階では2時間半弱の作品になる予定だったので、上映時間はあくまでも結果的なものでした。キャストは職業俳優ではないため、人物のことが理解しやすい脚本、また演技経験のない方が負担に感じないようリアクションで構築された脚本を追求していったところ、物語がどんどん長くなってしまったんです。そうやって撮影したものを脚本通りつないだところ5時間40分ほどになったのですが、それを観たときにその状態こそが素晴らしいと感じました。物語の本筋とは関係のない事柄もありますが、キャストがそういった要素から役を理解していくように、観客もきっとそこから役とのつながりを見出していく気がしました。むしろそういう体験の方が、単に物語を語るよりも魅力的だとも思いましたし、制作発表をしたときに5時間40分版のものを観ていただいた方々からも熱い反応が返ってきたんです。

 

そうして観始めると時間の長さが気にならなくなるのが面白いですよね。以前『0.5ミリ』の安藤桃子さんにインタビューしたのですが、編集作業中に上映時間が短いカットを作ってもなぜかそれの方がずっと長く感じてしまうということをおっしゃっていたんですね。そこでどのようにして時間が重く感じないカットを探されたのでしょうか?

その安藤桃子さんのお話は僕たちにも当てはまることで、比較するために4時間版を作ってみてプロデューサーに見せました。ところがその4時間版は、シーンをつなげただけの5時間40分版よりもずっと長く感じてしまうんです。それには観ようとすると映画に弾き返されるような感覚があるというか。そこで見やすい流れを作るために何をやったのか。あることが起こり、それに対するリアクションがあるという単線的な構成にするとスムーズに物語が流れていきます。それにスクリーンの映っていないところに常に謎を仕掛けてるのも1つです。見えているものはスムーズに進んでいくけれども、見えていないところにいつも謎があるので、観客の想像力や意識は常に働き続けることになります。そしてその要素はおそらく上映時間の長い映画ほど特徴的に見えてくるのかもしれません。

 

ロカルノ国際映画祭で最優秀女優賞を受賞した女優さんたちについてですが、彼女のたちの演技の変化なのか、長い間観ている観客の変化なのかわかりませんが、彼女たちが後半まったく違う女優に見えてしまうのがすごく興味深いと思いました。

菊池葉月

彼女たちの演技について、「初めの10分を観て、これからアマチュアの演技にずっと付き合わなくてはいけないのかと思ったけれど、5時間の間に彼女たちが女優として成長したかのように見えた」という意見がありました。物語は時系列に沿って撮りたいとは思っていたのですが、冒頭の部分は実は撮影の中盤で撮りました。だから必ずしも彼女たちが女優として成長したわけではないんですよ。もしかすると彼女たちのキャラクターとしての変化が1つ理由として挙げられるかもしれません。彼女たちは友人同士ですし、ある程度率直な会話をしていますが、言わないこともたくさんあります。しかし後半はキャラクターが本音を言うようになります。キャラクターが本当に思っていることを把握して表現するのが後半です。意外と感情的な演技よりも、日常に近い演技は役者の演技のレベルがバラバラになりやすい気がしますし、社交辞令的な時間を表現する方が実は演技としては複雑なんだと思います。

 

また4人の女性たちはそれぞれに今の日本の女性の社会状況を表しているようにも感じますね。

三原麻衣子

僕たちが目標にしていたのは、キャストが演じやすい人物を作ることでした。たとえば、あかりと田中幸恵さんは同一人物ではありませんが、田中さんが演じられるようなあかりを作りました。半年ほどのワークショップのおかげで、田中さんはこういうことはやれる、言えるという感覚が脚本家やスタッフの間に生まれたんです。言い換えるなら彼女がどうしても言わないようなことは台詞の中から削っていったということです。そしてそういった要素が俳優自身の体に寄せられていくことでようやく1人のキャラクターができる。そしてたまたま彼女たちが女性だから、女性や女性の生きる社会のことを扱っているように見えるのかもしれません。ですから僕たちは日本の女性の抱える問題を描こうとしたわけではなく、ワークショップを通して主役に選ばれた4人の女性たちが、役を演じることを通じて自分自身を表現できる道筋を作ったんです。

 

映画の中に「重心に聞く」というワークショップがありますが、その中に「自分の大きさを相手に伝える」や「意志を送る、受け取る」というエクササイズがありますね。濱口監督の映画には、本当の自分を見せるというのが1つテーマとしてあるように思うのですが。

僕は台詞を書きながら物語を理解していきます。台詞を書くことでキャラクターの考えを知る、言い換えるとキャラクターを知るために台詞を書いていくということですね。たとえば『パッション』の本音ゲームは、キャラクターが考えていることを深く知るために書き始めたものでした。そしてそれが実際に脚本になったということは、本音として出てきたものに強さを感じたからです。普段社会の枠の中で調和を乱さず生きている人が、その枠を出るという流れが物語と相性が良いんですよ。それがときにはキャラクターの成長にもつながったりします。空想上のキャラクターを通してですが、やはり僕自身がそういう付き合い方を求めているということかもしれません。本音を言ってくれる人とコミュニケーションしたいんでしょうね。

 

『ハッピーアワー』では、どういった部分に濱口監督の理想が反映されていますか?

川村りら

僕の作品が自分の理想かと言われれば、そういう要素はあると思います。ただ、その理想が簡単には実現されてはいけないとも思っています。『ハッピーアワー』の脚本は僕を含めた3人で書いているんですが、自分自身が率直になれるかどうかという疑問や、率直な自分として社会の中で生きていくという理想がテーマとしてありました。しかしそれが映画としての力を持つには、社会の与えるプレッシャーがきちんと描かれなければいけない。日常生活の中では到底言わないようなことでも、台詞では言ってしまう場合がありますよね。なぜそれを日常の中で言わないかというと、周りにどう思われてしまうかわからないからです。それはフィクションのキャラクターも一緒です。特に『ハッピーアワー』のメインの4 人のキャラクターたちには、日頃のプレッシャーから解放されるというわけではなく、プレッシャーがある中でも自分自身を率直に表現できる次元にまで行って欲しいと思っていました。それを可能にするためには、単に理想を反映するだけでなく、「言えなさ」や「できなさ」という社会の重みを決して無視せず描くことが大切だと考えています。

 

今「理想は簡単に実現されてはいけない」とおっしゃっていましたが、映画の最後の方はかすかに希望のようなものを感じさせながら「ハッピーアワー」とは言い難い厳しい展開をしていきますね。

どうしたら幸福になれるのかはこの映画の1つのテーマですが、最後はハッピーエンドではないと感じる方が遥かに多いです。けれどもしこの映画の最後に希望があるように見えるのであれば、キャラクターに社会の中で生きていく強さを見出すからなのかもしれません。実はもともとの映画のタイトルは『BRIDES』で、「かつての花嫁たち」を意味したものでした。しかし脚本を改稿していく過程で、これは結婚生活だけの話ではないことに気が付きました。そこで違うタイトルを付けようと思ったときに、街で「ハッピーアワー」という看板を目にして気に入りました。『ハピネス』だと観念的なタイトルになってしまいますが、『ハッピーアワー』だと軽みを帯び、最後にどこか楽観的に感じられるような気がしたんです。

 

濱口監督の映画にはキャラクターが言葉では決して言い表さないものと観客が通じ合える感覚があります。何かまるで違う次元に触れるような。そこが根本的に他の映画とは違う気がしています。何を意識して作品を撮られていますか?

僕は、台詞と映画は基本的に相性が悪いと思っています。たとえば黙っている人を映すと、「黙っている」という真実がただ映りますが、カメラやマイクを通じて台詞に出会うと、その台詞らしさが際立ち嘘臭く聞こえてしまうことがある。日本映画は90年代以降、台詞が少なくすることでテレビドラマと対称的な立ち位置に移行していきました。それは正しい戦略ですが、あまり面白くもないと感じていました。僕は台詞を書くことでしか脚本が書けないので、映画と相性の悪い台詞を使って映画を作るにはどうするかを考えたときに、さっき言ったことと矛盾してしまうかもしれませんが、キャラクターが本当に言いたいことを台詞で表さないまま物語を展開させれば、映画と物語は矛盾しないんです。すなわち映画と嘘は相性が良い。そうやって本当の自分と言葉が一致していない状態のまま終わる映画もありますが、それらが一致した状態までたどりつけたらと思っています。それはとても難しいことですが、僕はそれを克服したい思いで物語を作っています。

 

 

テキスト、インタビュー&ポートレイト写真 by 岡本太陽

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