Interview

 
 
Place: New York

聖と俗の狭間

Yoshifumi Tsubota
アートカテゴリ:  Film, Movie

私的な表現を追求する映画作家・坪田義史。自身が出演し、リアリティとフィクションが交錯する『でかいメガネ』は、イメージフォーラム・フェスティバル2000でグランプリを受賞。2009年の劇場公開作『美代子阿佐ヶ谷気分』では、原作者・安部慎一の私漫画という独特のスタイルとシンクロし、ロッテルダム国際映画祭など、海外でも注目を集めた。彼の興味と執着心は、つつしまれる傾向にあるプライバシーをあえて曝け出し、奥ゆかしくて切ない、ともすれば卑猥にも映る独特の世界を創る。2月27日(土)公開の日米合作映画『シェル・コレクター』でも垣間見られるその挑戦的な作家性は、まるで我々の好奇心を試しているかのようだ。

 

 

フィルムという物質に自分の思いを念じて焼きつけたい

 

『美代子阿佐ヶ谷気分』は、安部慎一と奥さんが歩んだ歴史という印象を受けました。あの映画で描きたかったことは?

学生時代に、詩人で映像作家の鈴木志郎康さんに師事して、私的な題材で映画を作ろうとしていた時期に、安部慎一の漫画に出会いました。安部先生は、日常や私生活を題材に、短編作品としてガロ等に発表していた作家です。映画『美代子阿佐ヶ谷気分』は、数ある安部慎一の短編を年代順に並べることによって、極私的な作家と妻の関係や、夫婦の愛の遍歴が見えるものにしたいと思いました。

 

2人の関係が描かれているものを中心に選ばれたのですか?

そもそも安部さんの漫画のほとんどは、奥さんである美代子さんをモデルにしたものです。先生にインタビューしたときに、どのようにして日常を漫画に落とし込むのか、また美代子さんに裸でモデルになってもらって漫画にしたという話を聞きました。そのときに美代子さんも当時から今までのことをお話ししてくださいました。安部さんの作品には、劇画として誇張されたフィクションも混ざっています。僕はそういった虚実ないまぜの作風に惹かれました。

 

安部慎一の漫画のスタイルも私漫画ですが、彼の漫画のどこに一番共感されましたか?

安部慎一さんが80年代に精神を病んで以降、掲載すらされなかった漫画もたくさんあるんですよ。「悲しみの世代」とか、「迫真の美を求めて」や「僕はサラ金の星です」という作品集に収録されている短編作品がまさにそれで、妄執と逸脱を繰り返します。枠をはみ出す純度の高い芸術性を感じました。映画の中にも出て来る、ただ裸の女性(美代子さん)が軽トラックに乗って運転しているだけの「車」というタイトルの漫画も秀逸です。

 

シュールレアリズムは、安部慎一にとって1つのテーマであると思いますが、坪田さんにとって現実を抽象化することにどういう意味がありますか?

「逃れられない性」という言葉がありますが、作家はその逃れられない性の中から着想、妄想を繰り返して、ときにはこじらせながらも、なんとか具現化して最終的には作品として着地させますよね。安部慎一も現実から遊離しながらも、現実的には漫画を原稿用紙に書いていくわけで。私漫画家は、きっと自分以上のものを求めているはずなんです。現実の自分をあまりにも見過ぎてしまって、空想と現実の境を見失い、多重人格的になって自分が曖昧になるという感じでしょうか。

 

2000年にイメージフォーラム・フェスティバルでグランプリを受賞した『でかいメガネ』は、坪田さんご自身の生活を覗き見しているような要素を含んでいますね。あの映画を作るに至った経緯は?

当時は、フジフィルムが8ミリフィルムを製造していて、映画のコンペティションにも8ミリや16ミリ映画が出展されていました。同時にデジタルビデオカメラが市場に出てきた時期で、世の中がフィルムからデジタルに変わって行く過程にありました。ただ、今のように高画質のHDがなく、インディペンデントの作家が画質を模索していた時代だったように思います。そこで当時僕が取った手段は、デジタルビデオカメラで撮ったものをブラウン管に映し、それを8ミリフィルムで再撮影するというものでした。デジタルの情報をブラウン管に映し出すと、もう一度画作りができます。ホームビデオのようなラフな映像を、フィルムでトリミングしながら再撮影して再構築するとどうなるのだろうかと興味がありました。ビデオという生々しい映像をフィルムで撮り直すと、フィルムならではの粒状感が抽象性を喚起し、フィクションの要素が生まれてきたんです。

 

あの映画で見せたかったことは?

当時、『リング』という映画が公開されて、貞子がVHSの荒れた映像のブラウン管の中から出てきて、荒れた映像の中で拡大されると、うごめいていて怖いという心霊写真のような表現がありました。それと同じように、画面の中で起こっているものを、8ミリカメラでトリミングして、クローズアップしてみました。人の性や業みたいなものを、モニターの中から、もう一度覗いて探すような感覚です。ですからどことなく荒く猥褻(わいせつ)なルックの作品になっていると思います。まずデジタルで撮っているときに、何かを願いながら撮影しますよね。そして今度は、客観的な視点でもう一度8ミリカメラを構えて、再度願いながら撮る。すると2回念写することになり、作品として成就したいという思いがより強く濃くなります。フィルムという物質に自分の思いを念じて焼きつけたかったんです。

 

『でかいメガネ』の目隠しをした女性とのセックスシーンで、「何が見える?」と迫るのが印象的でした。

目隠しをすることによって匿名性を強調したいと思っていました。80年代から90年代にかけての、素人が撮影して投稿したものを集めたエロ本は、目の部分だけ黒いバーで隠されていましたが、僕はあれが好きでした。例えば、「40代主婦、真昼のラブホテルで淫行」とか「OL受付嬢、野外露出に挑戦!」みたいなタイトルで、女性たちには黒い目張りがありました。当時の自分には、そのビジュアルがマイナーなロックバンドのレコードジャケットのように映り、それにインスパイアされて、素人投稿系の匿名性のあるビジュアルを作りたいと思いました。「でかいメガネ」の撮影では、90年代に見たケネス・アンガーや荒木経惟、リチャード・カーンといったハードコアなアングラポルノ表現と、寺山修司とがリンクして、日本最大の霊場である青森の恐山にスタッフと行きました。そして盲目のイタコの口寄せを撮影してから、場末感漂うモーテルで、目隠しした女性に「何が見える?」と迫るシーンを撮りました。そこでは観念的なものを写し撮りたかったんです。また、その状態で女優にポラロイドを持たせて自分を撮らせると、視座が逆転し、女優は目隠しされて見えていないにも関わらずシャッターを押すため、念写をするということになりますよね。そうすると、カメラを構えた自分がポラロイドのフィルムに写り、そこには自分の欲望みたいなものまで写っているはずなんですよ。

 

 

僕も生きるために創作している

 

坪田さんは、横浜生まれ横浜育ちですよね。少年時代はどういう風に過ごされていましたか?

父親が家でイラストや漫画を描いたりしていて、母親が外に働きに出ている家庭でした。学校から家に帰って来ると、おやじと一緒にギターを弾くみたいな。普通のサラリーマン家庭ではなかったので、まわりの子たちの環境とは違っていたと思います。おやじが資料で使っていたポーズ集やエロ本が、仕事場に行けば散乱していたし、ヌードの絵もたくさんあったので、多感な友達が家に遊びに来ると「君の父さん変態だな」なんて言われていました。でも確かに裸の絵が居間に飾ってあるけど、僕にとってはその環境が自然だったので「そうかな?」という感じで。

 

その家庭環境が『でかいメガネ』に強く反映されていますね。

僕も、創作の磁場に吸い寄せられるように美大に行きました。そして在学中にたまたま父が煮詰まっていたときがあって、『でかいメガネ』ではその状況を誇張して表現しています。父は普段あれほど激しくはないんですけどね。でもあの生々しい状況は他の人には撮れないから、これも自分のオリジナリティだと意識しました。カメラを構えながら、生き恥を暴くかのように父親を煽って、狂気の部分を狙って撮っています。たぶん自分の社会性のなさに不安要素を抱えていたので、父を撮影しながら自分のルーツや存在理由を探していたんだと思います。

 

お父さんがそれに乗ってくれたのが良かったですね。

坪田と彫ってある先祖の墓石を、父が抱きついて舐めたりして、家系図を立体的にしたような画が撮れましたしね。共犯者になってくれたんですよ。

 

ドキュメンタリー映画などでもそうですが、人はカメラを向けられると演じますよね。

演じますね。ニューヨークなんて特にそうですよね。仕事のために、ニューヨークで100 人くらいの笑顔のポートレートを撮ったときも、やはりみんな、「ニューヨークの中にいる自分」を演じているから、カメラの前であんなに笑顔をさらけ出せるんですよね。実際はドライでも、カメラを向けるとみんなフィクションの中の登場人物になりますね。

 

映画作りをやろうと思われた理由は何だったのですか?

もともとは絵を描いて暮らしたいと思っていました。でもそれが、暗闇の中でスクリーンに投影されるという映画の表現に惹かれていったんです。画が動き、台詞があり、音もあり、物語もある。漫画でもなければ絵画でもない。そこに魅力を感じました。

 

私的な表現は学生時代に学ばれたそうですが、それよりも前にさかのぼって、そういうものに興味を抱くようになったきっかけ、もしくはそういうものに興味があった記憶はありますか?

子供の頃、母親にずっと絵日記を書かされていました。僕にとってはあれが表現の第一歩のような気がします。その日あったことを絵にして、文章を載せるのですが、それを毎日やっていると、次第にフィクションを書き出して、オバケを見たとか、巨大な生物を発見したとか、こんなこと書いたらビックリするだろうなぁとか考え出して。今思うと、1コマに絵を描き、それを補足する文を書く絵日記が創作の原点なのかもしれません。

 

坪田さんの作品に関して、性欲と創造性の繋がりを強く感じます。

ヌードを映像として表現する場合、カメラの前の裸の人を撮影するという行為自体に緊張感が生まれますし、画的な力も出てきます。カメラと裸体はものすごく相性が良いんですよ。僕にはヌードは表現方法の1つとして捉えたい、それを自分のものにしたいという欲求があります。また裸の表現は、神聖なものもあれば、猥褻で俗な側面がありますよね。例えばスポーツ新聞をめくると、風俗嬢のヌードのグラビアが載っていますね。聖なるものと俗なものの狭間に僕の表現があるのかもしれないと思い、それを問うかのように2つの要素を行ったり来たりして表現しようとしています。そして、作りたいという誠実さを持って表現すれば、必ず作品として昇華できると信じています。

 

なぜ、そういう表現に行き着いたのでしょうか?

僕は少年時代を横浜市の鶴見区で過ごしましたが、京浜工業地帯の湾岸に、よく長距離トラックの運転手がエロ本を捨てていました。雨風に打たれて風化したエロ本が、岸壁のアスファルトにこびり付いているエロ哀しい情景が印象的に残ってます。だいたいそういう場所にはエロ本の捨て場所があります。空き地なんかもそう。公共の空間にエロが落ちているんです。それらは猥褻にも見えるのですが、裸になっている女性の悲しげな表情があったり、雨に打たれてインクが滲んで少し抽象化されていたりもしています。そいうものを追いかけて行くようになりました。

 

「フィルムに念を焼き付ける」ということ。それはご自身のどういう要素が残すという執着に繋がったと思いますか?

若くて自意識過剰だったんでしょうね。自己が事故ってるというか、自分の性欲までも不謹慎と捉えてしまうことがありますよね。でもそういう自分を超えたかったんですよ。偏執狂的な表現、自慰行為ですね。当時はね。でも今は、もう40になったので、おっさん自戒モード突入です。

 

この間3/11が起こって「生きる」という意識が強くなったと語られていましたね。『美代子阿佐ヶ谷気分』は2009年の作品ですが、生きることへの強い思いが表れていました。

安部慎一に感じるのはまさにそれなんです。安部さんはサバイブしているんですよ。天才が自殺もせずに生きて表現をしている。そして日々、自分の表現から高揚感を得ている。僕も生きるために創作しているので、そこに強く共感します。

 

2012年夏から、1年間ニューヨークにいらっしゃいましたね。

日本の映画やアートが、海外でどう映るのかを探りたいと思っていました。『美代子阿佐ヶ谷気分』は12カ国の映画祭で上映され、韓国では公開もしました。日本のサブカルチャーやポップカルチャーは、現代美術と本当にリンクしているのかという疑問があったのですが、『美代子阿佐ヶ谷気分』でガロという日本でも独特な文化を海外に提示したときの反応を見ることができ、そこを特化してもっと磨きをかけたいと思いました。ニューヨークではアートはビジネスという側面があり、作品がギャラリーから世界中に流通します。現在日本では、ミニシアターがどんどん姿を消して行っているので、これからインディペンデントなものを日本だけに向けて作ったら、おそらく回収は不可能ですから、ニューヨークで今後の可能性を探りたいと思っていました。

 

 

先の見えない暗闇にかすかな光を求めて

 

アンソニー・ドーアの短編小説が原作の監督最新作「シェルコレクター」が公開待機中です。なぜこの作品を映画化しようと思われたのでしょうか?

© 2016 Shell Collector LLC (USA) 「シェル・コレクター」製作委員会

盲目の貝類学者が一人孤島に住み、手探りで貝を拾い集め、自然に対して畏怖の念を抱くという、「シェル・コレクター」の感応に満ちたストーリーに以前から惹かれていました。映画化しようと思ったきっかけは、日本で震災を経験し、その後に渡米した時期が重なったことが大きいです。米国滞在期間中、日本人の自分が世界に向けてどう作品を提示するのかを考えていた際に、海外の文芸作品を、日本に置き換えて脚色した作品を作るのはどうか?と考えました。そこでニューヨークで出会ったインディペンデント映画プロデューサーと、「シェル・コレクター」の映画化の可能性を探り、国際共同企画を練っていきました。

 

今回はフィルムとデジタル撮影を組み合わせて見ごたえのある世界観を作られていますね。

ベテラン撮影監督の芦澤明子さんが切り取るフレームを信頼して、フィルム撮影をお願いしました。芦澤さんと打ち合わせを重ねる中で、日中の撮影は16mmフィルムで色濃く撮影し、夜間の撮影は闇に強いHDカメラ、水中は高解像度の4Kのカメラを使用することになりました。16mmフィルム独特の粒状性とデジタルの鮮明さがこの映画の中で共存することで、時の流れすら感じさせない、ただ自然の中に取り残されてしまったかのような、虚無感漂う画作りができればと思いました。

 

原作の舞台はケニア沖の孤島ですが、沖縄で撮影された理由は?

© 2016 Shell Collector LLC (USA) 「シェル・コレクター」製作委員会

孤島で学者を取り巻くのは、圧倒的な自然と、そこに根付く、西欧とは全く異なる文化や死生観を持って生きる人々です。小さな島で起こる出来事が、あたかも世界の縮図のように、多様な社会を浮き彫りにするのが小説の魅力でもありました。そこで原作にある盲目の学者の境遇と、現代の日本を照らし合わせて、先の見えない暗闇にかすかな光を求めて向かって進んでいくイメージを脚本に込めました。沖縄の離島、渡嘉敷島で撮影することに決めたのは、もしかすると奇跡が起こるかも知れないと思わせるような神聖な場所だからです。この映画には、人が自然と対峙するシーンが多数あります。リリーさん演じる学者が海底に佇むシーンの撮影は、ボートで沖に出て、実際に彼自身が水中に潜って撮影をしたので、彼の身体を張ったアクションには気迫すら感じられるはずです。

 

リリー・フランキーさん扮する学者の住む、彼の深層心理を象徴するかのようなユニークな形の家はどうやって作られたのですか?

© 2016 Shell Collector LLC (USA) 「シェル・コレクター」製作委員会

学者の住む家を渡嘉敷島の海岸にロケセットとして建てたのですが、美術の竹内公一さんとアイデアを出しながら、家の中は、巻貝の殻の内部構造のような螺旋を描く空間を作り、外観は盲目の学者の身を守るシェルターのイメージで意匠を凝らしました。

 

 

人の生と死のように、ひと言で言い表せないのがこの映画の魅力的ですね。

観る人によって、捉え方が変化する作品かもしれません。観客それぞれの感性やセンス・オブ・ワンダーに触れるものになれたら幸いです。

 

 

テキスト、インタビュー、&ポートレイト写真 by 岡本太陽

 

『シェル・コレクター』2016年2月27日(土)全国ロードショー

 

『シェル・コレクター』オフィシャルウェブサイト