Interview

 
 
Place: New York

人生の方舟

Miguel Gomes
アートカテゴリ:  Film, Movie

映画製作の中で映画そのものを発見しようとするポルトガル人映画作家ミゲル・ゴメスは、六時間半にもおよぶ長編『アラビアン・ナイト』でその真髄を見せる。「休息のない人々」「孤独な人々」「魅了された人々」というテーマも雰囲気も違う三つの映画で構成されたこの作品は、緊縮財政政策の中に苦しむ現代のポルトガルを風刺的に描き、その中に収録されている実際の出来事を基にした一つひとつの物語は、オリジナルの「千夜一夜物語」のスタイル同様に、シェヘラザードによって語られる。寓話的な物語もあれば、ゴメス氏の長編第二作『私たちの好きな八月』のようにフィクションとドキュメンタリーの要素を融合させた物語もあり、まさに現実と精神世界の境界線を曖昧にするというゴメス氏の映画への信条を密に感じさせる作品だ。

 

ゴメス氏の国際的評価を高めた長編第三作『熱波』は上品さを纏った作品だった。ところが『アラビアン・ナイト』は、ポルトガルで起きたことがほとんど非現実的な出来事だったという事実と、どんな作品になるのかわからないまま撮影をした事実が相まって、ピカソの『ゲルニカ』にも似た壮大さと混沌を生み出している。どこか人の人生の流れも彼の映画作りの過程と寄り添うところがある。たとえ計画に従おうとしても、次の瞬間には想定外のことが起こりうる。また、計画に固執しすぎると思いがけない刹那の煌めきをも見逃してしまう。それゆえに心に訴える何かを一瞬一瞬の中に見出し、それを慈しむのだ。『アラビアン・ナイト』はまるで人生の本質と夢を乗せた大きな方舟。そしてそれは我々をも乗せ、忘れえぬ航海へといざなってくれる。

 

 

COOLは第53回ニューヨーク映画祭期間中にミゲル・ゴメス氏と会い、『アラビアン・ナイト』について話を聞いた。

オリジナルの本の精神を守りつつも、自由なスタイルでポルトガルにまつわる物語を描いていらっしゃいますね。本とは内容が異なるにもかかわらず、なぜ『アラビアン・ナイト』というタイトルを残そうと思われたのでしょうか?

アメリカでは本のタイトルは『アラビアン・ナイト』だけれど、『千夜一夜物語』と呼ばれることもあるね。僕はこの映画はシェヘラザードにとって、また難しい状況下にあるポルトガルにとっての千夜一夜であると思っているんだ。不条理で非現実的なことが平気で起こってしまうポルトガルと、面白い登場人物や精霊、空飛ぶ絨毯などが出てくる物語が収録されたあの本との間につながりのようなものを感じてね。僕は現実と本のどちらにも、何か夢のような非現実的な感覚があると思っているよ。

 

ストーリーテリングは、物語ごとに異なっています。それぞれのスタイルはどう決められたのでしょうか?

まず物語ごとにルールがあっても良いのではと思ったんだ。それぞれの物語は比喩的なニュアンスを含んでいるように思われるかもしれない。ただ、僕にはそれらが絶対に「比喩である」とは言えないんだ。もし比喩を引用しようとすると、それはきっと何かを意味することになる。けれど比喩的に見える描写でも、実は僕には何を意味しているのかわからないものもあってね。たとえばクジラが爆発するシーン。あれが何を意味しているのか。僕にはわからない。あれは夢なんだ。この映画の中では、特別意味を含まない映像もあれば出来事もある。この映画はそれほど理にかなったものではないし、むしろ理不尽なんだよ。

 

どう映画を構成するのかは、どのタイミングで、どうやって思いつかれたのでしょうか?

少しずつだね。まず僕には映画を作る時間があった。約一年くらいこの映画を作る時間があって、そのうち十六週を撮影に費やした。だから素材はたくさん手元にあったけれど、それをどう編集したらいいのかわからなかった。どの順番で物語を見せるのかもわからず、また全ての物語が映画の中に入るのかもわからないまま撮影を続けていたんだ。そして編集段階で、今の状態、つまり三部構成で三つとも違う雰囲気の作品になると気づいたんだ。三回全く違う映画体験ができるものを作ろうってね。

 

自由な映画製作についてお聞きしたいと思います。何かを撮影しながらも、それがどのように映画の中で活かされるのかわからないまま撮影するとはどのような気持ちなのでしょうか?

それには二つのことが言える。一方は、撮影しながら映画を発見しようとしているからとてもエキサイティングなんだ。出来上がる映画の準備をしているのではなく、撮影しているものの中に映画を探すということかな。楽しくてしょうがないよ。まるでロックンロールさ。僕はロックンロールが好きだからね。でももう一方は、もちろん映画がどうなるのか予想も付かないから、撮影の最中に「一体自分は何をやっているんだ?」と弱音を吐いてしまうこともあるよ。どうなるのかわからないからね。怖くなってしまうときもある。でも恐怖とワクワクでは、結局ワクワクの方が勝ってしまうけれどね。

 

「勃起した男たち」という物語の中に出てくる魔法使いは、まるで自然と魔法が人間界の経済に救いの手を差し伸べる存在のようで、とても興味深いキャラクターでした。人間とお金の関係をどう解釈してらっしゃいますか?

権力も切り離せないね。そう、お金と権力。今日ではお金は権力と同じだからね。権力者について語るとき、セックスについてはほとんど語られることはない。まるで禁じられているかのようにね。僕はそれは面白い風潮だと思った。あの物語はファンタジーでもあり、馬鹿げたコメディのようでもあるけど、実はポルトガル人なら誰もが共有する、どんな馬鹿馬鹿しい理由であれ緊縮財政政策を止めたいという強い想いが込められているんだ。だからあの魔法使いと催淫薬は、ありえないことだけれど真実が基になっているんだよ。

 

ポルトガルにはたくさんの土地があり、海にも囲まれ、自然資源も豊富にもかかわらず、仕事もなく経済的にも危機に瀕しています。どうしてだと思いますか?

難しい問題だから、僕にはその答えはわからない。きっと経済学者でさえも答えるのは困難に違いないよ。僕はただの映画作家だからね。でもこういう印象を得ている。ポルトガルはEUに属しているから、EU圏内の共通の通貨であるユーロを使用している。そしてEUの中には、国土が他よりも大きいからか、それとも自然資源がより豊富だからか、他の国よりずっと力のある国がある。ポルトガルにもそれなりに資源はあるけれど、経済は貧弱。ユーロは通貨としては強いから、ドイツのような世界的にも影響力のある国にとっては都合が良いけれど、弱い国々は強い国に従うしかない。だから価値観に基づく本当の意味での組合ではなく、お金が優先される状況の中では、ポルトガルの現状はきっと変わることはないと思う。

 

映画の第一部である「休息のない人々」は仕事への疑問を呈します。あなたにとって映画作りはお仕事だと思いますが、この厳しい状況の中で芸術の役割や目的は何だと思いますか?

僕らの生きる世界の真実を映すものを作ることかな。だからと言ってドキュメンタリーを作ろうとは思わない。僕の興味は現実を見せることだけではないからね。ファンタジーを見せることも大切なんだ。ファンタジーは僕らの生き方が生み出すものだから。もし僕が1920年代のアルゼンチンに暮らしていたら、現代のポルトガルに影響されたファンタジーとは全く違うものになっていたはずさ。今起こっている現実、それから精神世界の両方を僕は見せたいんだ。きっと映画の目的は夢と現実を見せること。そして、できることなら現実を夢へと変化させたい。これが僕にとっての映画なんだ。もしくは映画というものに対し僕が興味を抱く理由さ。

 

ご覧になるほとんどの映画は変化が起こらないため、観ていて飽きてしまうそうですね。その変化への想いは、あなたの映画製作もしくはストーリーテリングにどう影響を与えていますか?

きっとものすごく変化のある映画にしているだろうね。変化しすぎるという意見もあるくらいだからね。それは僕も自覚しているよ。けれど個人的な映画を撮ろうとすれば、ある程度個性がその中に反映されるものさ。僕は変わり続けるものが大好きなんだ。もしピアノがあれば、僕はすべてのキーを聴きたい。もちろんものすごく限られた環境の中で、最高のものを生み出せる人もいるけれど、僕は違う。僕はすべての鍵盤に触れたいんだ。

 

この映画を観ているときに、時間はどんどん速さを増し、状況も次から次へと変化している世の中だからこそ、現実をそのまま見せないこの映画が、もし百年後も二百年後も残ったとすると、観る人にとっては共感できる事柄はもうそこにあまりないないかもしれませんが、まだきっと楽しくこの映画を観ることができるのかもしれないと思いました。

良いアイデアだね。その時間のアイデアは面白い。時間がこの映画を変化させるということだね。実は、この映画は聖書に出てくるノアの方舟だと僕は思っている。この映画は僕のノアの方舟なんだ。現代のポルトガルで起きたことをたくさん集めて、それを変化させてこの方舟に乗せた。だから何年も後にこの映画が見られることがあったら、人はこの方舟に封じ込められた時代を目にすることになるんだ。

 

ポルトガルの映画作家は、映画作りによって利益を得ることを重要視していませんね。どうして映画作りに対するそのような姿勢が生まれたのでしょうか?

これは経済の問題だね。ポルトガル国内では、映画で利益を生み出すことはほとんど不可能だから。国内の映画市場だけをターゲットにしていれば負債を抱え込んでしまうことになるんだ。しかしそのことが僕らポルトガル人映画作家に個人的な映画を作る機会を与えている。ポルトガルでは現在年間にあまり多くの映画は作られていない、最大8本くらいで、多い年でも10本程度。もちろんドキュメンタリー映画も短編映画もあるけれど、それらもそう多くはない。ポルトガルは小さくて貧しい国だからね。でもだからこそ、僕らはあまりお金のことは気にしないんだ。逆に言うと、お金の心配がほとんどないからこそ、自由に映画作りができているということだね。ある程度の自由がある中で興味深い映画を作りたければ、より多くの観客にアプローチするような国外に向けた作品を作る必要がある。ポルトガル映画はそういった自由に恩恵を受けてきているよ。

 

以前ジョアン・ペドロ・ロドリゲスに会ったときに、彼はポルトガル政府は映画製作への資金援助を100パーセントカットしたと言っていました。だからポルトガル映画界を育ててきた、芸術性の高い革新的な映画は今ではなかなか作られなくなり、そう言った映画を上映してきた映画館も潰れてきていると。ポルトガル映画を存続させるためには何が必要なのでしょう?

ポルトガル映画作家の作る個人的な映画を観たいという声が国外にあるからこそ、僕らは映画を作り続けられているんだと思う。ジョアン・ペドロ・ロドリゲスや、ペドロ・コスタ、今年亡くなったマノエル・ド・オリヴィエラや他のポルトガル人映画作家が素晴らしい映画を今まで作ってこられたのは、国外にポルトガル映画を観たいという人たちがいるからなんだ。アメリカや日本、ブラジルなどの国で映画を見せることができるから僕らは映画作家として存在できているし、ポルトガル映画も存続できているんだよ。

 

 

テキスト&インタビュー by 岡本太陽

© 2014 O Som e a Fúria

 

“Arabian Nights Volume 1: The Restless One” opens in select theaters on Dec 4

“Arabian Nights Volume 2: The Desolate One” opens in select theaters on Dec 11

“Arabian Nights Volume 3: The Enchanted One” opens in select theaters on Dec 18

 

“アラビアン・ナイト”オフィシャル・ウェブサイト