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Place: New York

ホウ・シャオシェンの哲学から見えるもの

Hou Hsiao-hsien
アートカテゴリ:  Film

台湾の巨匠ホウ・シャオシェンによる7年ぶりの長編作品『黒衣の刺客』は、唐代の中国が舞台。今年のカンヌ映画祭で監督賞を受賞した彼の新作が、第53回ニューヨーク映画祭でUSプレミアを迎えた。

 

13年前、10歳で女導師に預けられ、武術を教え込まれた隠娘(インニャン/スー・チー)は、暴君を殺める暗殺者となっていた。ところがある任務に失敗した彼女は、その罰として従兄弟であり、かつての許嫁の魏博(ウェイボー)の節度使・田委安(ティエン・ジィアン/チャン・チェン)を抹殺するよう命じられる。その使命のために故郷に戻る隠娘だが、過去、そして秘めてきた想いと再び向かい合うこととなる。

 

ニューヨーク映画祭の記者会見に現れたホウ・シャオシェンは、唐代の物語を作るにあたっての経緯を語った。「私が唐代の言い伝えに出会ったのは大学時代。たくさんの興味深い物語があり、そのときに隠娘の物語を見つけました。当時の詳しい事実も記録されていましたし、とても簡潔ですがキャラクターについての情報も詳しく書かれています。それらの歴史的事実を基に想像を膨らませ、キャラクターの肉付けをしていきました。」

 

映画の中でとりわけ注目されるのはその映像美。細部へのこだわりを感じさせ、映画を通して息を呑むほどの瞬間が映し出される。建築物や外観に関しても彼の持つビジョンを追求したが、中国ではそれらは撮影ができなかった。「唐代の建物のほとんどは木製だったため、良い状態で残っているものはほとんどありませんでした。そこでこの映画に相応しい建築物を見つけるために私は日本に行ったのです。なぜなら日本には、唐もしくは唐代のスタイルに影響を受けた建築物が素晴らしい状態で保存されているからです。歴史上では、日本から多くの人が唐を訪れています。職人、大使、または位の高い役人が唐の建築技術などを学ぶために派遣されました。」

 

この映画が見せるクオリティや細部へのこだわりは、簡潔さが当たり前になり、それが美徳となってしまっている今日の社会へ警告を鳴らしているかのようだ。「たとえば京都などに行くと、唐代のように随分昔に作られた建築物でさえもまだ美しい状態で建っています。それは日本では補修作業や修復を頻繁に行っているからです。毎年または数年に一度、木造建築は解体され、交換が必要な部分は取り替えられ、再び組み立てられるのです。唐から日本に渡ってきた大使と僧によって建立された寺を訪れたのですが、それを解体し再び組み立てる工程を見ました。すごい体験でした。」

 

多くの中国文化圏のアドベンチャー映画やファンタジー映画の中で、絶大な人気を博す武侠は度々用いられる。『黒衣の刺客』もまた武侠の影響を受けているが、映画にはホウ・シャオシェン独特の武侠の解釈が散りばめられている。「武侠というジャンルを私なりに解釈した映画を作りたいと思っていました。この映画に関しては特にリアリティを追求しています。従って、重力に逆らい空中を飛び回るという描写はこの映画の中にはありません。描写において影響を受けたのは日本の侍映画です。世間には侍が行っていた伝統を今もなお続けている人がいます。私はそういったことを武侠映画の中でやってみたかったのです。リアルに見せるためには、人間の能力の範囲で描写する必要があります。」

 

よくある武侠映画のスタイルになぞらない彼の試みは、非常に短い格闘シーンに垣間見ることができる。「主人公は暗殺者です。彼女の武器は短刀で、それを所持しています。その短い武器を使いこなすためには、タイミングや空間がとても重要な問題になってきます。ですから彼女は正確なタイミングと場所でターゲットを仕留めなければいけません。瞬間的に事は起こりますし、任務が終わればすぐさまその場を立ち去ります。」その他の武侠映画と比較すると、ホウ・シャオシェンのこの映画に対するアプローチは、武侠というジャンルの脱構築とも取ることができる。

 

主演のスー・チー、またチャン・チェンや妻夫木聡はアクション俳優として世間的に認知されているわけではない。ところが彼らのアクションシーンはあまりにも美しい。「動きを習得するために、トレーニングや立ち回りに時間を費やす必要はありました。」とホウ・シャオシェンは言う。「アクションシーンについては、一度にほんの少しだけ撮影し、細かくカット割りをしています。俳優は短く割られたカットの中で立ち回りや動きを完璧にこなさなくてはなりませんでした。カットは長くありませんが、もちろん俳優は動きのリズムを掴むために、長い時間練習をしています。ときには何度も何度も同じシーンを撮影するものですから、俳優は飽きてくることもあります。そうなったときには場所を変えてまた撮影するのです。時間はかかりますし、骨の折れる作業ですよ。」

 

近年のホウ・シャオシェン監督作品で顕著に見られるのは長回しだろう。「今回出てくれている俳優たちとは以前にも一緒に仕事をしていました。彼らは私の撮影スタイルを知っています。私がリハーサルをやらないことも存じ上げていますから、完璧に準備をしてセットにやってくるのです。そして彼らは場所や周囲の状況にインスピレーションを受け、キャラクターになりきり、私が見せたい動きやムードを体現してくれます。しかしながらテイクを重ねるに連れて緊張感がなくなり、俳優は機械的に演技をするようになってしまいます。そうなると不自然さが生まれてしまいます。そういった場合、シーンを変えることによって、俳優からカメラの前でどう振る舞うべきかという意識を取り払い、新鮮な気持ちで状況に反応してもらうようにするのです。」

 

人と時間と空間の化学反応を取り込むという彼のアプローチを象徴するあるシーンが映画の中にある。「田委安が正妻と対峙するシーンで、私はカメラを回し続けました。そこでジョウ・ユィンは女優として、またキャラクターとしてリアクションします。まず彼女は腰を下ろし、それから子供達にも座るように命じます。そして使用人たちに散らかったものを掃除するよう申し付けます。その一連のリアクションは脚本には書かれていませんでした。もちろんリハーサルもしていませんでしたし、自然に起こったことなのです。そういったリアルな状況を私は映画の中に収めたいと思っています。ジョウ・ユィンは現実に3人の子を持つ母です。彼女をキャスティングしたときに、直感的に彼女なら私が見せたいキャラクターを体現できるかもしれないと感じました。」

 

素早い撮影が近年の映画製作の主流。もちろんそういう環境からも上質な映画は生まれてくるが、映画はその迅速ささえも取り込むため、スクリーンにもそれが現れてしまう。だからこそホウ・シャオシェンが何年もかけて完成させた『黒衣の刺客』は、現在の映画界の風潮の中でまばゆい光を放つのだ。ホウ・シャオシェンは完璧に構築されたアイデアを、撮影の最中で脱構築する。それを映画の中で目撃するのは素晴らしい体験だ。そこでこの映画は我々に問いかける、「これから芸術はどこへ向かっていくのだろうか」と。細部までこだわり抜かれたにもかかわらず、この映画の中には、驚くほどの“自然”が息をしている。それが『黒衣の刺客』が圧倒的な映画体験になり得た理由だろう。

 

 

テキスト by 岡本太陽