Interview

 
 
Place: New York

闇の向こうにはいつも

Xavier Dolan
アートカテゴリ:  Film, Movie

2013年の第70回ヴェネツィア国際映画祭で初披露されてから、ずっと待ち望まれていたグザヴィエ・ドランの監督4作目『トム・アット・ザ・ファーム』が、8月14日にアメリカでようやく公開を迎える。物語は主人公トム(グァヴィエ・ドラン)が、突然亡くなった恋人ギョームの葬式に出席するため、亡き恋人の実家のある農場に到着するところから始まる。しかしながら2人の関係はギョームの家族には内緒にしておかなくてはいけなかった。トムは恋人の突然の死に深く悲しみながらも、強引で押しの強いギョームの兄フランシス(ピエール=イヴ・カルディナル)と対峙し、ギョームの母アガット(リズ・ロワ)を騙し続けなくてはいけないという窮地に追い込まれてしまう。

 

かなわぬ愛を描いてきた前3作とは異なり、ミシェル・マルク・ブシャールの演劇を基に作られた『トム・アット・ザ・ファーム』は、ほんのわずかなユーモアはあるものの不気味で息苦しい。ドランはこの映画でストーリーテラーとしての新境地を見せつける。彼は演劇をどう映画に変化させていったのか語る。「実は演劇は、映画よりもずっとユーモアに溢れていてね。それほど重たい話でもないんだ。でもあの農場にある家は、場所としても、キャラクターとしても恐ろしいものになりうる可能性を秘めていた。息抜きした後なんかには到底戻りたくないと思えるくらい怖い場所にね。」そう意識しながら、あの身の毛のよだつような無表情な「家」というキャラクターを彼は作り上げた。

 

かなわぬ愛3部作、また5作目の『Mommy/マミー』のキャラクターたちは、痛み苦しむが、彼らは決して希望を忘れない。しかしトムは、好奇心や孤独から暗い闇の渦の中に身を沈めていく。「この映画は陰があって汚くて、ザラザラした質感がある。」ドランは、表現者として自分を試す新しい場所を探していた。「僕は美的にも心理的にも暗いものに惹かれていたんだ。明るい物語よりも暗い物語にはもっと深みや面白みがあると思うから。」

 

『マイ・マザー』や『胸騒ぎの恋人たち』のように、ドランは『トム・アット・ザ・ファーム』でも主人公を演じている。4歳からずっと俳優である彼の映画作りのスタイルは、カメラの前に立つ仕事の中で培われていった。「僕自身が芝居をしていなくても、たとえ他の俳優を演出していても、僕は芝居を通してからしか映画作りへのアプローチができないんだ」と彼は語る。クリント・イーストウッドやジョージ・クルーニーのように、有名な俳優の中にも、ときに素晴らしい映画監督はいる。だから映画を作る過程で、俳優が演技以外の役割を担うことも、まったく不思議なことではない。

 

もちろん監督や俳優の中には、責任を負いすぎては仕事に集中できないという人もいるだろう。しかしドランは映画作りのカケラの1つひとつが、どうつながり合うのか理解する中にも美点はあると信じている。「たとえば僕は監督と編集を両方やったことがあるから、シーンを編集したり切ったりしているときに、いろんな問題に直面していろいろ学んだよ。」とは言うものの、それゆえに彼の演技が理性的なものになることも認めている。「実を言うと、僕が芝居をしているときは、他の誰かに監督をやってもらいたいんだ。そうすれば喜ばせたいと思える人ができるからね。自分を喜ばせるのはとても難しいよ。自分が自分に一番厳しかったりするからね。」

 

「演出しているときは、演技のことを考えているし、逆に演技しているときは、演出のことを考えている」と撮影時の心境をドランは語る。「自分を完全に捨てることもできるけれど、演じているときにもいろいろ頭に入れておかなくてはいけないことがある。光がどう当たるのか、どういう風に動けばいいのか、カメラがどこにあるのかということなどをね。」俳優、編集、脚本、監督という、映画作りにおけるさまざまな役割を経験しているからこそ、さまざまな側面を照らし合わせ、それらがどうつながり合うのか彼は理解している。「自然な演技を見せたいとは思うけれど、ふと他のことも考えてしまうんだ。だから僕には撮影中でも、映画作りの中で分けられた役割すべては1つになっているよ。」

 

2014年の第67回カンヌ映画祭で、『Mommy/マミー』を監督した彼が審査員賞を受賞したように、今の時点では俳優としてよりも監督しての方が期待されているドラン。しかし、長い間俳優の仕事がなかったときに、どうしても芝居をしたくて『マイ・マザー』の脚本を書いたように、実は彼は監督よりも俳優業を好んでいる。演じることで自分自身や自分の人生から解き放たれるからだ。

 

そう、演技はドランの情熱。しかしドランの映画は、演技だけではなく彼の芸術そのものへの愛を観客に見せてくれる。それは爆発してまるで永遠に広がり続けていくかのような生きた情熱。「キャラクターや、彼らが互いに言い放っている荒々しい言葉で情熱は表現したいんだ。熱い人間が好きでね。生きるため、理想を実現するため、社会に居場所を見つけるために戦うキャラクターが好きなのさ。」

 

ところが『トム・アット・ザ・ファーム』のキャラクターは、ドランの他の映画のキャラクターたちとは違い、ずっと感情を押し殺している。たとえばトムは『マイ・マザー』のユベールや、『Mommy/マミー』のダイのように、感情をむき出しにする人物としては映らないだろう。しかしながら、この映画に出てくる息の詰まるような場所でキャラクターが苦しむ姿は、この社会で生きる私たち自身の苦しみを比喩的に表現している。

 

例えばギョームの兄フランシスは暴力的で、少なからず同性愛にも興味を抱いているものの、彼らに偏見を抱いてしまっている。彼は怒りに満ちているキャラクターだ。もちろん弟の死も理由の1つだが、彼自身が心を縛り付けていることこそがその怒りを生み出している。結果、より自由なトムは彼の標的となってしまったのだ。映画のあるシーンでフランシスはアメリカ合衆国の国旗やUSAの文字が付いたジャケットを着ている。彼が体現するのは現在のアメリカの状況だ。「社会はそこに生きる1人ひとりによって形成されているけれど、個人が集まって大きな集団になってしまうと必ず色が付いてしまう」とドランは言う。「だからアメリカを特徴づける色ももちろんあるんだ。不寛容はその中でも際立った特徴だね。悲しいけれど、アメリカは寛容のなさや暴力によって作られた社会だよ。」

 

「隣の国に住む者として、アメリカは今までにないくらい大事な選択をする時期に来ている気がするよ」とドランは言う。『トム・アット・ザ・ファーム』は、ある意味アメリカの苦闘を表現している。しかし他のドランの作品と同じように、この映画にも薄っすらと希望が流れている。暗闇の向こうにはかならず光がある。光と闇はいつも表裏一体。きっとドランはその双体関係に気付いているはず。「なるべく多くの人の尊厳が守られたり、自由に誰でも愛せるような社会を作るために、僕らは決断を下したり新しく法律を作ったりしていると思うんだ。でもそうやって前進して行く中でも、残念ながらそれに歯向かおうとする人たちもいるんだ。」

 

『トム・アット・ザ・ファーム』は、表現者として新たな一歩を踏み出したかったというドランの個人的な望みから出発した。しかしこの映画は個人的なもの以上に大きなものが映し出されている。わずか数人の心理を描いた作品だが、今の世界と深くリンクしているのだ。この社会が描かれているからこそ、映画は私たち1人ひとりの心に訴えかけてくる。世界を慈愛の心で感じ、鋭い視線で見つめているドラン。彼は普段から、母と父、そして自分自身がどう感じるのかを意識しながら映画を作っているという。「僕ら3人の意見や視点、感性があればどんな大きな世界だって描けるんだ」と彼は断言する。個人的はきっと社会的で政治的なのだ。

 

 

(岡本太陽)

© Amplify Releasing

 

トム・アット・ザ・ファーム』はアメリカ各都市で8月14日より公開