Interview

 
 
Place: New York

自由という名の矛盾

Juichiro Yamasaki
アートカテゴリ:  Film, Movie

たとえばドストエフスキーの『罪と罰』や、ロベール・ブレッソン監督の『スリ』のように、自分の気持ちに正直に生きる者はその代償に苦悩する。心のままに生きようとすれば、必ず法律やモラル、自粛意識などが行く手を阻んでしまうからだ。岡山県でトマト農園を営みながら映画作りをしている山崎樹一郎監督の最新作『新しき民』は、江戸時代に実際に起こった山中一揆を描いた時代劇。アニメや舞台演劇、そしてジャズを取り入れ、時代劇という形式にとらわれないこの映画のスタイルに心を奪われてしまうが、何よりも強い印象を与えるのは、自分の意志を持って生きようとする主人公の眼差しに、山崎氏の自由への“問い”が満ちていること。

 

1726年、山中。農民の治兵衛(中垣直久)は貧しくも、子を身ごもった妻たみ(梶原香乃)と山中で慎ましく暮らしている。しかし干ばつや過剰になりゆく年貢のせいで、人々の暮らしは苦しくなるばかり。そこで民衆は団結し、津山藩(現在の岡山県)に年貢免除などの要求するが、民衆の仲を引き裂きたい藩は、一部の要求のみを承諾。その結果、怒りを覚えた人々は打ちこわしを始めてしまう。のちに藩に歯向かった報復として仲間が処刑されるのを目の当たりにした治兵衛は、生きるため、妻を残したまま1人山中から姿を消す。

 

第二次世界大戦中の日本兵にとって生よりも死の方が重んじられたように、集団はときに存在することを否定してしまうことがある。もしかすると治兵衛のように自分1人生き残ることは“恥”かもしれない。しかし彼は民衆の決断に流されず、死ではなく生を選んだ。恥を覚悟で自分の生の欲望と向き合ったのだ。当たり前のことを当たり前にすることが困難なこの世の中だからこそ、山崎監督は治兵衛という1人の人間を通して、日本人に生きる意思や流されない意地を見出したいのかもしれない。「木がなくなれば、木のあるところに行けばいい。」映画はそう語りかける。

 

 

COOLは、今年のジャパン・カッツ!最終日を飾った『新しき民』について、映画祭を訪れた山崎樹一郎監督に話を聞いた。

 

 

”自由を求める先には矛盾が必ずあります。でもそれが何なのか、遠目からでも見てみたいと思うんですよ。”

 

 

280年前の一揆を通して描きたかったことは?

これは僕が住んでいる岡山県真庭市の歴史なので、いつか映画にしたいとは思っていました。自由に生きようとすれば必ずぶつかる矛盾を考えながら映画作りをしているんですが、今回はそれを1人の主人公を通して描いてみたいと思いました。藩と民衆の対立が一揆です。しかし主人公は、生きるという自分の欲望に忠実になり、本来仲間であるはずの民衆にも同意せずに彼らの元を去ります。民衆が団結することは権力に対して非常に大切な行為だと思いますが、それをも背く人物を描きたいと思いました。

 

満蔵は一揆は毒だと言います。そして治兵衛もまた戦うことを選びません。監督にとって団結して戦うことよりも大切なこととは?

‘いる’ということでしょうね。しかしその最低限人間にできることが、今の世の中では脅かされる可能性があります。この映画は時代劇なので、どうしても‘昔の人たちの話’と感じてしまうかもしれませんが、これは現代の話なんだということを伝えたかった。また、もしかしたら逆に今生きている我々が古い民であるかもしれない。そういう想いをタイトルに込めています。今日本では憲法の問題がかなり取りざたされていますが、基本的人権や生存権は守られなくてはいけません。誰かに強制的に行為をさせられることがないような場所であることが理想だと思います。

 

治兵衛は生きるためにシステムから抜け出します。それと同じように映画も劇映画からアニメ、そして舞台演劇と変化し、枠にはまらない作品になっています。監督の意図は?

時代劇にはしっかりした形式があると思うんですが、僕たちはそれを低予算でやっているので、まともに時代劇を作ろうとすれば、苦しくなるだろうと思いました。そこで、より自由に作れないかとプロデューサー、カメラマン、音響といったスタッフたちと相談をしていて、僕たちだからこそ作れる、枠にとらわれない時代劇を作ろうと決めました。型にはまるより自由を選択したんです。音楽に関しても同じです。この映画ではジャズが使われていますが、普通時代劇にジャズは入りませんよね。

 

回るイメージが映画の中にあります。これから表現したかったことは?

回ることによって、人々の意識を過去から現在にぐっと引っ張ってきたかったんです。映画を観てくれている1人ひとりに現在性を突きつけたいと思っていました。最後のワンカットのシーンでは、回転することによって、キャラクターが着ている着物が現代風の服に変わったり、白黒のビジュアルがカラーに変わります。そこで我々の意図を決定的にしたいと思っていました。

 

「自分のこともみんなのことも想像するんだ」という台詞が映画の中にあります。

想像することは面倒臭かったりします。みんな楽をしたいですし、あまり考えたくないです。自分のことすら考えない人もいます。その一方で自分のことしか考えられない人ももちろんいます。想像することは大変だけれども、人はどう思っているのか考えてみる。また、自分のことを考えないと、人のこともわからないでしょう。この映画でいうと、民衆から侍のことは想像できませんよね。侍から民衆のことも想像できません。想像力があれば、もしかしたら一揆は起こらなかったかもしれない。それを現代に置き換えると、政府はどこまで民衆のことを想像できているのかという疑問になると思うんです。想像力はやはり平和の基本です。

 

治兵衛は正直に、そして自由に生きることを体現するキャラクターです。自由に生きるとは監督にとってどういうことでしょう

自由について考えれば考えるほど、矛盾の壁が何層にも立ちはだかってくる気がします。でも自由って全く見えませんよね。でも自由がどんなものなのか少し見てみたいという興味はあるんですよ。ただ自由を手に入れるということは、ある種あきらめることだとも思うんです。だからこそ自由を求める先には矛盾が必ずあります。でもそれが何なのか、遠目からでも見てみたいと思うんですよ。

 

『新しき民』のウェブサイトに“熱”が自由を見せてくれるかもしれない、という言葉があります。

治兵衛は自発的に、自分の道理に従って動くことができたのだと思います。デモも同じかもしれませんが、誰かに言われたから参加することはよくあることです。でも僕は自分の意思でもって生きたり、動くことが“熱”だと思うんです。熱があるから自発性が生まれますし、熱のあるところでは想像しやすかったりするはずです。僕も熱がないと映画を作れません。でも熱は瞬間的に溜まらない。ずっとためてためてそれを解放するんです。やらないとムズムズするくらいまで待つから熱になるんです。

 

大阪出身だそうですが、何を求めて岡山県真庭市に移られましたか?

岡山に行く前は、映画のお手伝いをしたり、アルバイトしていたりしていました。その頃の僕は、一生という期間の中で、何が変わらず続いて行くのかということをよく考えていました。25、6歳だったので、先がどうなるのか全く見えない状況で、死ぬことも考えたけれど、とりあえず生きようと思ったんですね。食べ物を作れば、とりあえず食べることはできますよね。そして農業をやれば、より“生きる”ということに近づけるのではないかと思いました。父親の実家がちょうど真庭にあり、そこに畑があったので移りました。

 

どうして農業をやりながら映画を作ろうと?

端くれでしたけど、映画にはもともとたずさわっていたんです。これは僕に限ってのことなんですが、食べ物を自分で作れないのに、映画なんて撮れるわけがないという気持ちがありました。テーブルの上にあるものが、どこで作られて、なぜこういう料理になったのか、現代人は想像せずに食べるだけです。ですから食べ物をゼロから作るということはほとんどの人は思い付かないんですよ。でもその一端でもやってみないと、そもそも映画から人は生み出せないのではないかと思いました。

 

『新しき民』は生きるということをもう一度考えさせてくれるものになっていると思います。農業は食べ物を作るので、生きるということに直結していると思いますが、「生きる」ということに対して農業が監督に教えてくれたことは?

農業は自然現象の世界なんですよね。特に山あいで生活しているので、天気も劇的に変化します。そんな中で野菜を育てていると、命はたくましいと感じます。成長する意思があるから成長するし、子孫を残そうとして実を付けます。また、成長するためには栄養も必要です。光が当たれば気持ち良いし、暑かったらしんどい。曇りが続けばテンションも下がります。それを見ていると自分も一緒なんだと気付くんですよ。

 

 

テキスト&インタビュー by 岡本太陽

© 2014 IKKINO PROJECT

 

『新しき民』オフィシャルウェブサイト

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