Interview

 
 
Place: New York

自由を求めて

Hisako Matsui
アートカテゴリ:  Film, Movie

『ユキエ』『折り梅』『レオニー』という3本の劇映画を通して、女性の生き方を描いてきた映画監督・松井久子。そんな彼女が、暗雲立ち込める現在の日本社会に危機感を覚え制作したのが、日本の第一世代のフェミニストたちを追ったドキュメンタリー映画『何を怖れる』だ。日本中を行脚しているこのドキュメンタリー映画が、ニューヨークのジャパン・カッツ!でインターナショナル・プレミアを迎え、日本独自のフェミニズム思想がアメリカにも触れた。

 

この映画が意外なのは、今までさまざまな状況を打破してきたフェミニストたちについてのドキュメンタリー映画でありながら、1960年代後半から起こった日本におけるフェミニズムやウーマンリブの活動のみを映し出すことに終始しないことだ。田中美津さんは人生観を変えたメキシコ滞在について語り、また田中喜美子さんは社会が子供を育てなければ困難に対し耐性のない子になってしまうと苦言を呈す。それに加えて映画は、原発や戦争、介護など、我々が向き合うべきさまざまな現代日本の抱える社会問題にまでも目を向ける。そうやって女性たちの個人的な体験や見解からもフェミニズムとのつながりを導き出していく。

 

映画の中にフェミニズムは「男との平等を求める以上に、自由を求める思想」という言葉がある。「男との平等を求める」と言っても、それに共感できるのはほとんどが女性になってしまうはず。しかし「自由を求める」は、あらゆる人に響く言葉だ。今の世の中、女性であろうと男性であろうと、みんながそれぞれに息苦しさを抱えている。我々はこれからどう生きていきたいのか?ずっと遠い未来まで流れ続けて行くであろう彼女たちの生き方が、今という時代を歩む者すべてに問いかける。

 

 

COOLはジャパン・カッツ!を訪れた松井久子監督に、新作『何を怖れる』について話を聞いた。

この映画のタイトルを『何を怖れる』とした理由を教えてください。

多くの女性たちは、構造の中で演じさせられる役割や、いろんな刷り込みにより怖れを抱えています。良い関係を保ちたいがために、家庭内でも職場でも堪えてすべてを飲み込んでしまう。私たちはつまらないことに怖れを抱きながら生きてきたのではないか。映画に出てくる女性たちを見なさい。彼女たちは怖れることを知らない。そういう意味をタイトルに込めました。

 

「男と女で役割分担が決まっていた」と映画の中にありますが、松井さんが物心付いた頃の社会はどういったものだったのでしょうか?

日本はアメリカより家族の中に根強く男尊女卑があり、私たちが子供の頃は、“女は男に愛されて、男を支えることが幸せである”ということを、親からも叩き込まれて育ったので、自分がどう生きたいかを考える前に、男に愛される女にならなくてはいけないと思わされていました。当時の女性たちと今の若い女性たちの状況は相当違うと思います。映画に出てくる方々は高学歴でエリートの方々が多いのですが、ごく普通の家庭で育つと、高校を卒業したらなるべく良い会社に入り、そこで優れた男性を見つけて結婚するという時代でした。

 

マスコミや映画業界での仕事経験がおありですね。当時の女性の仕事環境はどういうものでしたか?

映画の中で桜井陽子さんが言うように、大学時代は女子の方が勉強ができたりするんです。だから女子が勉強を教えて男子を卒業させたのに、いざ会社のような組織に入ってしまうと、男は会議に出て、女はお茶汲みをするのが当たり前でした。映画業界は、私が経験した他のどの職場よりも根強い男社会です。今女性の映画監督は結構出てきていますが、私が映画監督にチャレンジしたときには、劇映画ではほとんど女性の監督はいませんでした。映画はスタッフの数も多く、それを束ねてリーダーシップを執り、自分のビジョンを徒弟制度で上がってきたカメラマンや照明さんたちに伝えなくてはいけません。女性がリーダーの経験をどこでも積めていないということと、男性が女性に使われることに慣れていなかったせいで、怖れながら仕事をしていました。1本目の映画はルイジアナで撮影しました。その現場では、第一助監督の女性が非常にリラックスして男性に指示していたんです。使われる側も女だからという理由でカチンとくるということは全くありませんでした。それをアメリカで見たときに、こちら側の問題でもあるんだなと思いました。

 

以前フェミニズムやリブに対して違和感を抱いていたそうですが、自分から心を閉ざされていた理由や、感じてた違和感とは何だったのでしょうか?

私が完全に誤解していたのは、ウーマンリブやフェミニズムは、女が男並みになるための戦いだと思い込んでいたことでした。そればかりではなく、男性を敵に回す思想だと思っていました。私はずっとフリーランスで仕事をしてきたので、男社会の中で居場所を確保するためには、正直そこはあまりほじくりたくない部分でした。本当はそこに向き合わなくてはいけなかったのに、男たちの中でうまくやっていく方を優先したことが、フェミニストたちに対するコンプレックスにつながったように思います。そうこうしながら、フェミニズムから遠ざかっていたのですが、まあ見事に70歳を迎える寸前のこのときに、私がやり残した宿題を与えられて、不思議な縁だと感じています。

 

映画で語られる日本におけるフェミニズムのどういう部分に共感されましたか?

私が共感するのは、彼女たちの多様性の認め合い方とつながり合い方です。初めは、フェミニストはこうでなければいけないというイデオロギーがあるのかと思っていたんですが、みんなバラバラで、フェミニストらしからぬことを言っている人もいます。ですから多様性があって良いんだと思いました。そして彼女たちは、常に何かを一緒に頑張ってきたわけではありませんが、多様性を認め合いながらも結びついてきました。今はFacebookやSNSで簡単につながることができますが、彼女たちの絆は今の若者よりも強いと思います。

 

女性たちのフェミニズムやリブに関する活動や思想だけを取り上げて映画にすることもできたと思いますが、ところどころ彼女たちの個人的な話が入れられていますね。

劇映画を作ってきたせいか、単純に人間であるせいか、私は人それぞれの人生に興味があります。フェミニズムというものは女性の生き方だと思っているんです。私は劇映画で女性の生き方を描いてきたので、フェミニズムに当てはめていくのではなく、この人はどう生きてきたのかという中からフェミニズムを浮き彫りにしていくことが、私にとっての表現だと思いました。たとえばフェミニズムに関することを勉強して、それに沿って質問をしていくというよりも、70代、80代になった女性にそれぞれの人生を聞いていく方が、私らしいと思いました。

 

 

今は若者が戦おうとしない。彼らは希望のないところに追いやられてしまっています。

 

単に女性を賞賛するだけではなく、たとえば女性のコミュニティの中にも抑圧があったことが語られます。

イデオロギーだけではダメだというのが、私自身が持っている1つのテーマなんですね。人の生き方に興味があるので、フェミニズムにはそれほど関係ないことも入れたいと思いました。女たちがこの世でどう生きてきたのかという物語の中に普遍性を見つけられたときに人は共感します。また特に日本では、女性が「私はフェミニストです」と公言することを非常に怖れています。それは女同士の中で区別し合っているからです。仕事を持つ人と持たない人が理解し合えないとか、子供を持つ人と子供を持たない人が仲良くなれないとか、女同士で線を引き合っている。そういう社会の中で、私がこの映画を作って、フェミニストたちと“普通の人”と呼ばれている人々を繋ぐ橋渡し的な役になりたいと思いました。

 

映画の中で、加納実紀代さんが戦争や福島の原発の話をします。松井さん自身、原発問題や、日本がどんどん戦争に向かって動いていることを懸念されていますね。

私は今まで生きてきて、今が一番日本の政治に危機感を持っています。戦後に生まれて、大学時代に学生運動にも参加しましたが、今に比べたらそれほど恐ろしい時代ではなかったように思います。愛についての物語を作っていればどんなに楽しいのに、今はそれどころではないと感じるくらい危機感があります。それに加え、日本に住んでいる人が自分の国の政治に対しあまりにも無関心です。だからああいう国になってしまっているんです。たとえばアンジェリーナ・ジョリーのような方が政治的な発言をするとか、アメリカではあることが日本ではあり得ません。俳優やミュージシャンのなどの社会に影響力のある方々は、絶対に政治には関与しません。だから加納さんの部分、従軍慰安婦問題、それと沖縄問題はどうしても入れたいと思いました。今はそれらを自分のこととして考えるときだと感じています。

 

今の若い世代を見て何を感じますか?

松井久子(監督)

可哀想だなと思いますね。私たちが若かった頃は、社会の中で挫折してしまうことばかりでしたが、それでも私たちが声を上げれば、世の中が変わるかもしれないという希望が今よりはあった。しかし今は若者が戦おうとしない。彼らは希望のないところに追いやられてしまっています。夢すら語りません。たとえば北海道などでは、貧しい暮らしをしている人も少なくないので、そういった地域の若者の多くは自衛隊に入っていく。自衛隊に入れば、家族を養えることができ、子供がいればきっちり教育を受けさせてあげられる。日本は、弱者がより弱者側に追いやられるという恐ろしい国になってしまっています。今はメディアも政府に管理されているので、若者は考えずに、「もうこんなものだろう」と思って生きている。今こそ日本社会を変えてきた人たちの物語を若い人たちに見せて、「どう生きたいのか?」と問いかけるときが来たなと思いました。

 

映画の中の女性たちはこの世からどんどんいなくなっている世代です。今フェミニズムを伝えることはどんな意味があるのでしょうか?

若い女性たちが映画を観に来て、「私のお母さんたちの世代が戦ってきたから、当時よりも男女平等があると初めて知った」と言います。彼女たちは現代史を全く知りません。学校で教えられていないのです。平塚雷鳥や与謝野晶子の時代には、写真しかありませんでしたが、やはり映像は強い。今回は、現存のリブやフェミニズムの第一世代というくくりであの女性たちを選びましたが、今から50年後には、きっとこの映画は日本の女性史にとって貴重な歴史資料になるはずです。

 

これを見ながら、逆にこの社会で生きる男たちについて考えさせられました。

実は男性の方が構造にはまってしまっている人が多いんです。大多数の人は会社人間で、家族を養わなくてはいけないというようなしがらみの中で生きています。また男性は、子供の頃から「男だから泣くな」とか言われて、女性とは違う生きにくさを抱えています。今は女性には選択肢がたくさんあるので、女性の方が実はもっと自由かもしれない。しかし男性はなかなか気付かないんですよ。それに気付いて困難を生んでいる状況から抜け出す人もいますが、多くの人はなかなか自覚できていません。だから今は、男性の方がむしろ可哀想なんですよ。

 

 

テキスト&インタビュー by 岡本太陽

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