Interview

 
 
Place: New York

魂が聲を取り戻すとき

Kiki Sugino
アートカテゴリ:  Film, Movie

「人は抑制で生きている。」第14回ニューヨーク・アジア映画祭で北米プレミアを迎えた杉野希妃監督作『欲動』の中に、そういう台詞がある。愛おしいがために触れたいとき、怒りに任せて傷つけたいとき、人間はその感情をコントロールしようとする。それが大切な何かを守るときもあるが、果たして動物としては純粋なのか?フロイトが定義した“性の欲動”にインスパイアされた本作は、バリ島という開放的な土地を舞台に、人間の本能の葛藤を描く。

 

物語は看護師の妻ユリ(三津谷葉子)と心臓に重い病を抱えた夫・千紘(斎藤工)がバリに到着するところから始まる。2人は、妊娠中の千紘の妹・九美(杉野希妃)の出産に立ち会うために、不安を押して異国の地までやってきたのだ。ユリは苛立つ夫を通して死を見つめ、千紘は感情を押し殺す妻を通して性の欲動を聞く。バリの空気や神秘に揺さぶられ、2人の間にあるガラスの壁が崩れるとき、彼らの魂は再び“聲(こえ)”を取り戻す。

 

社会の中に根強くある女性への抑圧。その環境の中で、女性が自分に正直になるのは簡単なことではないはず。そんな世の中を見ながら、杉野が今回監督として最も表現したかったのは女性性。「女性監督ならではの視点」と世間は区別化を図るかもしれないが、彼女はあくまでも人間に宿る本質的な力を映画の中で真摯に描いてみせた。バリの空気のように性もきっと移ろいやすいものなのかもしれない。作品ごとに映画作家として進化している杉野希妃。彼女の欲動は、これからどこへ彼女を向かわせるのか。そしてそこからどんな新しい世界が解き放たれてくるのだろうか。

 

 

COOLは『欲動』について話を聞くため映画監督・杉野希妃にインタビューを行った。

女優、プロデューサーを経ての監督です。監督をやる興味はどうやって芽生えていきましたか?

ここ何年かプロデュース兼出演というかたちで映画製作をしてきました。私がお仕事をさせていただいた監督さんは脚本もご自身で書かれている方が多くて、彼ら自身の世界観を作り上げていくプロセスを間近で見ていました。そこで監督として私がやりたいテーマや世界を、自分のイマジネーションを膨らませて作ってみたいという気持ちがふつふつと湧いてきたんです。でも一番最初のきっかけは故ヤスミン・アフマド監督と一緒にお仕事をさせていただいたことかもしれません。

 

『欲動』の企画始動は6年前だそうですが、この映画に関してもヤスミンの影響が大きいのですか?

ヤスミンに直接『欲動』のインスパイアを受けたわけではないのですが、彼女はおそらく私の人生の中で一番影響を受けた女性の表現者なんです。一緒にお仕事をしていくうちに、女性って何なんだろうなとか、女性の表現者としての自分について考えるようになって。その流れで自分自身を解放するような作品を自分で監督したいと思いました。そういう意味でヤスミンと一緒に仕事をしていたことが、もしかしたら『欲動』のイメージに繋がって行ったのかもしれません。

 

なぜそもそもバリに惹かれたのですか?

企画が始動したときも私はバリには行ったことがありませんでしたが、ケチャやガムランなどに魂が揺さぶられる感覚が自分の中にありました。そして直感的にあそこに行けば自分自身が解き放たれて面白い表現ができるかもしれない、女性を解放するというテーマの作品はバリで作ってみたいという気持ちが芽生えました。でもそういえばヤスミンがバリに行ってたんですよ。彼女はマレーシア出身なんですが、脚本を書くときはバリに一ヶ月滞在するという話を聞いていました。本当に今話しながらふとそのことを思い出しました。それも1つの理由だと思うのですが、もともとバリの芸術も好きだったので、いろんなことが積み重なってバリで作品を作ってみたいという興味が生まれたんだと思います。

 

女性の性の欲動を描こうと思われた理由は?

ここ10年くらいの日本映画での性描写に違和感を覚えていました。見ていて心が動かないんです。完全に男目線で作ったんだろうなと。女性の性は男の欲望を満たすためのものではないはずですが、どうしても女が男の性に寄り添っているイメージがあります。そういう風潮に違和感を覚えていました。男性でも女性でも一部の方にはもしかしたら拒否反応を示されるかもしれないけれど、性だけではなく、生きるという“生”も含めて1つの作品で表現してみたかったんです。

 

解放が1つのテーマになっていますが、映画を作る過程でも、変化し続けるバリ独特の空気を大切にされたそうですね。

バリは結構儀式的なものが多かったりして、突然予定していた場所で撮影ができなくなったというハプニングもありました。例えばラブシーンを撮る予定だった浜辺付近のロケーションで、満月の夜だからということで急に儀式が行われることになったりして。そのシーンは次の日に持ち越しになりました。ハプニングではあるんですけど、外から来た私たちはそれを受け入れながら作らないとこの映画は成立しないだろうなと思っていました。私はずっと日本のシステム化された映画作りにはならないよう心掛けてお仕事をやってきましたが、ああいう場所ではもっともっと心をオープンにして、いろんなことを受け入れていかないと表現ができないんだなと実感しました。

 

闘鶏のシーンで、木村が「こうして異国の地に来ると、少しは楽に生きてられるんだけどね」と言います。その台詞にはどんな想いが込められているんでしょうか?

海外の映画祭に行ったときに、私自身がどこ出身とかどんな血が混じっているとか気にせずにいろんな人と話ができるんです。価値観や考え方、もっと言えば魂と魂が共鳴し合うという感覚が映画祭ではあるんです。自分ってなんだろうと思うことはありますが、彼らと触れ合っていると、そんなことを悩む自分からも解放されていくんです。そうやって人と人が繋がっていけたらという気持ちがそこに反映されているのかもしれません。

 

我々は男性優位の社会に生きていますが、日本に住んでいる女性の感じる抑圧はどういうものなのでしょう?

政界でも、映画界でも、女とはこんなものだという固定観念が男女ともにまだまだ存在するんだなと感じる出来事や発言がありました。映画制作を始めたばかりの頃は、20代の女性というだけでどこか訝(いぶか)しむような対応をされることもあって。誰だって何でもトライできるような器の大きな社会になればいいなと願っています。近年、レッテル貼りがますますエスカレートしているように感じます。言葉で人間の肉体も心も縛ってしまっているといいますか。そこから解放されるために、男と対等であるために、女性が男性化しなくてはいけないと思われる女性も少なくないかもしれません。それに対して否定したくはありませんが、「男に勝たなきゃいけない」と思ってしまうのは悲しいなと思います。

 

むしろ男と張り合わないってことこそが解放に繋がるのかもしれませんね。

まさにその通りだと思います。実は『欲動』よりも、長編監督1作目の『マンガ肉と僕』の方がそういうテーマを含んでいます。新しい歴史のページに私たちは生きていると思うので、男性と女性が張り合っているような状況を見ると、とても残念に思います。男性の女性的性質や、女性の男性的性質を共有した先には、やはり、ひとりの人間を尊重するという根本的なテーマが見えてきますので、こういった性の問題を通して、より受容性に富む社会を築きあげることができればいいですね。最近育児をする“イクメン”という言葉がありますが、その言葉は育児をする男性を特別視しているから生まれたものですよね。人それぞれ生きている環境が違いますから、「育児をする男性」や「働く女性」、色んな生き方があって当然のことだと思います。

 

三津谷葉子さんの“グラビアアイドルの呪縛と解放”と書かれていた記事を読みましたが、杉野さんは彼女の中に何を見ましたか?

彼女が『おだやかな日常』を劇場で見てくれたとマネージャーさんに伺い、一度お会いしたいとアプローチしました。彼女は女性的な柔らかさもありながら、芯の強さを秘めた女優です。実際に会って彼女の話を聞いていると、今までずっと良い子ちゃんで、自分の意見も言って良いのか分からなかったらしいんです。でも私は、もの作りは人と人がぶつかってやるものだと思っていますし、もし彼女のどこか一箇所をハサミで切ったらそこからいろんなものが流れてくる気がしていたので、彼女に正直に思っていることを曝け出して欲しいと言いました。そしてあるときトリートメントを読んだ三津谷さんが泣きながら「人が死ぬってこういうことじゃないと思う」と言って、自分の体験を語ってくれたことがあったんです。その彼女の涙する姿を見たときに、血が煮えたぎるような想いを抱いている人なんだなと確信しました。あのときの彼女の顔や涙が忘れられません。その後は彼女の意見も取り入れながら脚本を変えていきました。

 

これは30代を迎えての初めての作品ですが、何か気持ちの変化が作品に現れていますか?

なかなか自分と向き合う時間もなく、2008年くらいからがむしゃらに仕事をしてきました。自分の心が向かうことを追求したいという欲動に駆られていたんです。そんな中で自分の体にまとわり付いているしがらみがあることにも気付き、それから解放されたい思いからこの映画を作りました。自分の中に煮えたぎっているものをとにかくぶつけたかったんです。何年かぶりに自分のことをじっくり見つめられたのは、今回の1月のロッテルダムでの事故があってからですね。

 

何か啓示のような事故だったかもしれまんせんね。

それまではあまりにも自分の周りのスピードが速過ぎて、あれもこれもやらなきゃいけないという感じでした。「このままで私大丈夫なのかな?」と感じていて、『欲動』のときはそれがピークだったかもしれません。

 

事故の経験があったからこそ、「生と死」というテーマを含むこの映画の見方が変わったのでは?

あのときは作りたいという気持ちだったんですが、今思うと作るべき作品だった気がしています。生と死を扱った作品であるということももちろんですし、事故の後って肉体について考えるんですよ。だいぶ回復はしていますが、事故当時は心も体もめちゃくちゃになってしまったわけじゃないですか。でも自分に起こったことなのに、他人のことのように感じる瞬間も結構あって。今こういうことを考えているし、体験しているけれどもどこか実感がないというか。人の精神って肉体だけに収まっていないという感覚がどこかにあるんです。もしかしたら『欲動』ってそういうことを描いていた作品なのかなって。あの事故があってそう感じました。

 

 

テキスト&インタビュー by 岡本太陽

©2014『欲動』製作委員会

 

映画『欲動』公式ウェブサイト