Interview

 
 
Place: New York

焦熱の沈黙

Joshua Oppenheimer
アートカテゴリ:  Film, Movie

第86回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画部門にノミネートされたジョシュア・オッペンハイマーの『アクト・オブ・キリング』は、1965年に起こったインドネシアの大虐殺の加害者を暴き、彼らの目線で歴史的悲劇が語られた。そしてそれは、観るものに偏(ひとえ)に好き嫌いでは言い表せないような、得体の知れない鈍い衝撃を与えた。そんな監督オッペンハイマーは、今回被害者視点で大虐殺を見つめ、頑なに守った彼らの沈黙を破る。それが第71回ヴェネツィア国際映画祭で初披露された新作『ルック・オブ・サイレンス』だ。

 

映画は、眼鏡士のアディが大虐殺に手をかけた者たちに1人またひとりと会い、彼らの口から直接何が行われたのか語られながら物語は展開して行く。アディの兄ラムリは大虐殺の犠牲者。兄が亡くなった2年後にアディは生まれ、母はアディをラムリの生まれ変わりだと信じている。映画の中にとあるシーンがある。殺しの体験を語る加害者の様子が収められたビデオをアディが観るのだ。オッペンハイマー氏は、それを見つめるアディの目の奥底に、煮えたぎるような想いと責任感をとらえている。

 

「過去の出来事を掘り返し続けるなら、また同じことが起こる」と元将軍はアディに言う。インドネシアでは、多くの虐殺の加害者は、現在裕福な暮らしを送り、社会的にも力を有している。その一方で、被害者の家族をはじめとする一般の人々は、決して悲劇を口にせず、起こったことを忘れようとしている。彼らの現状は、まるで多くの虐殺が行われた川のようだ。何十年も前に染まった血を洗い流し、今は何ごともなかったかのように静かに流れているだけ。しかし人々の中には虐殺の記憶は消えるはずもなく、戸惑いや不安はインドネシアの空気の中でゆっくりと燃え続けているのだ。

 

 

COOLはジョシュア・オッペンハイマー氏に会いインタビューを行った。

『アクト・オブ・キリング』を製作中に、すでにこの映画を作ろうと思われていましたか?

実は2つの映画の起点となるシーンが『ルック・オブ・サイレンス』の中にあるんだ。男性2人が僕を川に案内してくれて、どうやって人を殺したのか再現してみせたり、カメラの前でポーズを取ってくれたりするところなんだけど。その彼らの様子を目の当たりにしてしまったときに、大虐殺から40年経っても、まるでナチスがまだ権力を握っているドイツに迷い込んでしまったかのような感覚に陥ってしまってね。それがきっかけで、僕の人生をかけてでもインドネシアの現状を映画で描きたいと思ったんだ。それを遂行するにあたって2つの映画を作ろうと決めていた。1つは、権力を持った側が虐殺を正当化し、人々を抑圧して続けている現状を描いたもの。それが『アクト・オブ・キリング』になったんだ。しかしそれだけではなく、家族を殺した者たちの影でひっそりと生きている人々はどういう気持ちなのか、心を引き裂いた出来事を口にすることさえもできない環境の中で生きていくとはどういうことなのか、そしてそれはどう彼らの心理に影響しているのかを描く必要があると思った 。そうして『ルック・オブ・サイレンス』ができたんだ。

 

どうしてアディと出会うことになったのですか?

アディとは、『アクト・オブ・キリング』に出ているアンウォル・コンゴと知り合う2年前に初めて会った。2003年に虐殺を生き延びた人たちと仕事をしていてね。アディに出会うことになったのは、ラムリがとても有名だったから。ラムリ以外の人々は、川に連れて行かれ、首を切られ、そのまま水の中に放り投げられ海に流されてしまった。しかしラムリの殺害には目撃者がいた。だからその地域に住む人たちは、政府に抵抗する意識からラムリのことを語っているんだ。他の地域では、人々は何ごともなかったかのように暮らしているけれど。もしトラウマを抱えていて、それを口に出せない状況では、心は癒されない。だから彼らは正気でいるためにラムリのことを話しているのかもしれない。2003年に少しだけラムリの家族と会う機会があってね。そのときに彼の母ロハニにも会った。瞬間的に素敵人だと思ったよ。同じときにアディも紹介してもらったんだ。

 

虐殺に手を下した人々にインタビューして回るアディは、もし兄ラムリが殺されていなかったら生まれて来てもいなかったかもしれませんね。そのことについてアディと話をされたことはありますか?彼はそれをどう受け止めているのでしょうか?

アディは虐殺の後に生まれたから、他の生き残りとは違う。彼は勇敢なんだ。恐怖の大虐殺を経験していないことが彼に勇気を与えているんだと思う。だからこそ彼は臆することなく虐殺についても語ってくれた。それに彼はなぜ周りの人が虐殺について話したがらないのかどうしても知りたかった。どうして家族が、周りの人たちが、社会全体がこうなっているのか理解するために僕の映画作りに参加してくれたよ。アディがたった1つ虐殺について知っていたことは、彼は亡くなった兄の代わりであるという母親の話だけ。それは彼にとってはある種のしがらみであると同時に、彼に力も与えてくれた。アディは、彼が生まれてきたから母は生き続けることができたと知っていたからね。だから家族のためにもあの国で起こったことを理解しなくてはならないという責任を彼は感じていた。その使命感を映画の中に感じることができるはずさ。

 

『アクト・オブ・キリング』でもそうでしたが、虐殺の加害者は殺害に手を染めていたときは自分自身ではなかったと言います。この映画の中でもイノン・シアは恐ろしいことをしていたと気付いていたと言います。そういった心理状況のどういった部分に興味を惹かれますか?

『アクト・オブ・キリング』で、アンウォル・コンゴがエルヴィス・プレスリーの真似をしながら楽しく人殺しをしていたことや、『ルック・オブ・サイレンス』のイノンやサムシルが、気が狂ってしまわないように犠牲者の血を飲んでいたことは、人間誰だって人を殺すことができると物語っていると思う。人間はきっと、他のどの生物よりも同じ種族の命を殺めている。犠牲者の血を飲むという行為は、おそらくトラウマから逃れるためのもの。その行為自体は馬鹿げているし、恐ろしいと感じるかもしれないけれど、トラウマを回避するための儀式であるとも取れる。それほどまでに彼らは自分自身を追い込んでいた。でも映画を作るにあたって、やはりその行為がどれほど残酷だったのか、正確に伝える必要があると思ったんだ。

 

「インドネシアは共産主義者がいなくなってより良い国になった」と学校で教師が生徒に教えるシーンがあります。あのシーンの重要性について教えてください。

あのシーンには重要な点が2つある。アディは自分の子供たちは学校で洗脳されていると思っている。大虐殺が起こったのも、今人々が抑圧されて生きているのも、自分たち家族のせいだってね。それはあまりにもひどい話さ。侮辱だよね。この映画ではとても重要なことが明かされる。それは、虐殺した側は真実をねじまげているということ。ある政治家は、過去を掘り起こそうとすれば、また同じことが起こると言う。遅かれ早かれまた虐殺が起こってしまうってね。でもあの学校のシーンは、子供たちや社会を洗脳するからこそ、過去は繰り返されてしまうと教えてくれる。そうやって再び虐殺が起こる状況は、洗脳によって作り上げているんだ。あの政治家は、過去を掘り起こすとまた同じことが起こると言うけれど、この映画を観る人たちにはその逆こそが正しいと気付くはずさ。教師たちは共産主義者がいなくなったことでインドネシアはより良い国になったというけれど、アメリカのメディアも同じようなことをニュースで言っているよ。

 

元コマンド・アクシの司令官が「アメリカに共産主義者を憎むよう仕向けられたんだ」と言います。一般的に資本主義は共産主義と対極にあるとされていますし、特に年齢が上の世代はプロパガンダや教育によってそういう認識を持っている気がします。しかしながら、今の若い世代は、たとえば陰と陽のように、何か1つ思想があれば、自然とそれに反する考えがあると気付いているように感じるのですが、あなたも同じように感じますか?

僕は君と同じようには感じていないかな。まず、インドネシア共産党は、共産主義国以外で、最も大きな共産党なんだ。そしてインドネシアの中で最も勢力の大きな政党でもある。その党員はやってもいない罪を着せられて殺された。アメリカのすべての民主党員が殺されたと想像して欲しい。もしくは日本で一番勢力の大きな政党員たちが殺されたり、収容所に入れられてしまったと。それがインドネシアで起こったんだ。たしかにスターリニズムや中国の毛沢東主義、カンボジアのポル・ポト派もみんな虐殺を行った責任がある。反共産主義は、南半球の発展途上国にある欧米の大企業を支えるため、欧米の政府によって計画的に作られた口実さ。欧米の政府が反共産主義を掲げた本当の理由は、新植民地における欧米の企業を支援するためなんだ。共産主義に対抗するためではなく。陰と陽の話で言うなら、資本主義の脅威である共産主義は、冷戦終結とともに排除されてしまった。それが原因でグローバリゼーションが進み、労働基準の低下が世界規模で著しくなり、ヨーロッパでは社会民主主義の衰退していった。共産主義による犯罪を正当化するつもりはないけれど、資本主義以外に支持したい主義がないから、今我々は苦しみ続けているんだ。それは労働組合はもう力を持たないことを意味している。ベルリンの壁の崩壊によって、人類が積み重ねてきたものが全て逆戻りしてしまった。我々は非常に好ましくない事態に直面している。共産主義の独裁が終わり、東洋は以前より良い環境にあるかもしれないけれど、プーチン政権はブレジネフ政権と何も変わらないよ。

 

インドネシアの人々の多くは虐殺のことを忘れようとしています。そんな中あなたは、彼らに再び虐殺のことを思い出させようとします。何がそうさせるのでしょうか?

それは虐殺を生き延びた人々や人権団体の願いなんだ。彼らは虐殺を行った人たちの誇らしげな姿を見たときにこう言った。「奴らにカメラを向けてくれ。世界にいる誰かがそれを見たら、インドネシアはとんでもない状況にあると気付くから。」僕は、アディやその家族、一緒に仕事をすることになった生き残りたち、そしてインドネシアの人権団体の方々に厚い信頼を得ていたよ。もし彼らがインドネシアの状況を世界に発信しようものならば、命の危険にさらされてしまうからね。そうやって彼らが過去に向き合うための2つの映画が完成したんだよ。

 

『アクト・オブ・キリング』が日本で公開になったとき、あなたは元インドネシア大統領夫人のデヴィ・スカルトと一緒に記者会見を行いましたね。60年代には、スカルノは日本やアメリカと対立する姿勢を取っていました…

スカルノは日本とアメリカに対立的な姿勢を向けていたわけではなく、日本とアメリカがスカルノに反対していたんだ。インドネシアは日本とオランダによって植民地化された結果貧しくなってしまった。スカルノはそんな国を豊かにするために、国の資源をインドネシアのために利用したいと考えていたから。一方日本とアメリカは、インドネシアの指導者たちにわいろを贈ってでも、インドネシアの資源は自分たちのものにしたいと思っていたんだ。

 

そういった政略のせいで、アメリカではポル・ポト政権が行っていたことはほとんど報道されなかったように、日本ではインドネシアの虐殺についての情報はほとんど公開されていませんでした。日本での『アクト・オブ・キリング』の記者会見に関しても、起こったことをきちんと伝えようとしたのは大手以外の媒体でした。大手の媒体による記事は、個性的なデヴィ・スカルノに焦点を当てたものがほとんどでした。

インタビューでは朝日新聞やその他の日本の新聞が、映画のことやインドネシアのことを取り上げてくれているんだけどね。けれど、デヴィ・スカルノは映画に注目が集まるよう貢献してくれたよ。日本での『アクト・オブ・キリング』の興行成績は、実は世界のどの国よりもはるかに良かったんだ。20万人が映画館で観てくれてね。日本ではアメリカの5倍近くの人が劇場に足を運んでくれた結果になるんだ。だからデヴィ・スカルノが日本で映画を広めてくれたみたいなものさ。でもまあたしかに、彼女は日本のオプラ・ウィンフリーみたいな人だけどね。

 

大胆不敵な方ですからね。

彼女は日本の佐藤元首相が、親善の証として彼の個人的な献金をインドネシアの死の部隊の指揮官に与えていたと言っていた。それは「我々日本政府は、あなた方が行っている虐殺を全面的に支援します」という意味なんだ。だから日本もアメリカも虐殺に関与していた。もちろん僕がデヴィ・スカルノとやった記者会見は、セレブのゴシップ記事として取り上げられてしまったけれど、日本全国には映画を真剣に取り上げてくれた媒体も多かったよ。

 

ではそういった観点から、今のメディアに対してどのような意見をお持ちですか?

一般的なテレビ番組やニュースは商品を売っている。でもその商品とは視聴者のことなんだ。視聴者が客だと思うかもしれないけれど、実は広告主が客なんだ。テレビ局は、広告主が欲しがる視聴者を売っている。だからメディアは視聴者が興味を示すような餌を与えなくてはいけない。とても守りに入ったやり方だよ。テレビ番組は釣針に付いた餌みたいなもので、そうやって釣れた視聴者を客である広告主に売るんだ。もちろん釣り人は、魚が必ず食い付く餌を釣針に付けるよね。釣れるかもしれないけれど、一匹も釣れない可能性だってある新しい餌は付けないんだ。たとえそれが視聴者が見るべきものだったとしてもね。だから必然的に誰が観ても分かるものだけが視聴者に届けられている。そうやって視聴者の想像力は殺されているんだ。今視聴者には、絶対に釣れる食べやすい餌のみが何度も繰り返し届けられてしまっているわけさ。

 

 

テキスト&インタビュー by 岡本太陽

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