Interview

 
 
Place: New York

約束の地に来たけれど…

Måns Månsson
アートカテゴリ:  Film

経済的パラダイムシフトが始まってから、一攫千金を求めてアフリカから中国に移り住む人が増えている。アフリカの人々にとっての憧れの地は、もはや欧米ではなく中国第3の都市広州なのだ。2015年トライベッカ映画祭で北米プレミアを迎えた、タイトルに写真家ウィリアム・エグルストンへのオマージュが捧げられた、スウェーデン人映画監督マンス・モンソンの『Stranded in Canton (原題:Nakangami na Guangzhou)』は、広州にアフリカ系移民が多くいるという現象をドキュメンタリータッチで描いている。

 

大きな夢を抱く主人公レブルンは、母国の大統領選用に発注されたTシャツの手配をするためコンゴ民主共和国のキンシャサから広州にやって来た。しかし発注したTシャツが届いたのは大統領選から何ヶ月も経ったあと。レブルンはたった1人取り残された状態で問題解決を迫られる。新しい環境にも慣れず、借金だけがどんどん増えて行く中、彼は友人らの忠告を無視し、そのまま広州に残ることに決める。そして中国人ビジネスパートナーのフランクと、Tシャツのデザインを変えて、それを新大統領反対派に売ることを思い付くのだが…。

 

現実的な計画を立てず、心のままに行動するレブルン。だからこそ失敗ばかりだが、決して諦めず自分の価値を証明しようとする。しかしその彼の姿は、一攫千金も夢ではない中国でさえ、無謀とも思えるものになって行く。野心的なレブルンの姿勢はスクリーンにポジティブなエネルギーを宿すが、同時に虚無感も残す。急速に発展するビジネス環境ゆえの、先の見えない不確かさが映画に流れているのだ。映画のオープニングシーンで、広州の街は淀んだ空気と霞んだ空に包まれ遠くが見えず、はっきり見えるのは目の前の景色だけ。それが、夢を求めてそこへやって来る人々へ曖昧に約束された豊かな生活をどこか暗示しているかのようだ。

 

 

COOLは2015年トライベッカ映画祭期間中に『Stranded in Canton』の話を聞くためマンス・モンソン監督にインタビューした。

過去にコンゴに住んでらっしゃったそうですが、映画の題材はどのようにして見つけられたのでしょうか?

中国で映画を制作して欲しいという依頼があったんだけど、行ったことがない国だったから中国に関して何も知らなくてね。僕が中国と聞いて思い付くのは広州だけだった。昔から広東地方で西洋と貿易を結んでいた都市だったからね。そこでリサーチのために広州に向かった。とても大規模なアフリカ系コミュニティがあって度肝を抜かれたよ。僕はコンゴに住んだことがあるから、サハラ砂漠周辺地域から広州に来ている人たちがいて、なぜ彼らがそこにコミュニティを作って暮らしているのかという現象を考えると、とても理にかなっていると思ったよ。中国には一度も行ったことがなかったけれど、実は僕がよく知っている場所が中国にあったんだ。

 

ではどうしてその題材が映画へと繋がっていったのでしょうか?

さっき言ったことはまだ入り口に過ぎなかった。広州に着いて、中国にアフリカの人々が憧れる民主主義的ビジネスがあると気付かされたのが衝撃的でね。なぜならその実態はとてつもなく大きいけれど、僕は知る由もなかったから。今後ますます中国に大きなアフリカ系コミュニティがあるとみんな気付いていくはずさ。僕は中国にそんなものが存在しているのかさえ知らなかったから、それを映画として描きたいと思ったんだ。

 

映画を見ていて広州に新しい風が吹いているような印象を受けました。たとえばそこで何を見たのか、広州の空気の中に何を感じたのかなど、広州で映画を撮るという経験がどういうものだったか教えてください。

広州に行くと未来はそこにあると感じるよ。千年も二千年も前から受け継がれる貿易の歴史がそこにあるし、君が言ったように新しい風も吹いている気がするんだ。西欧人は不思議に思うだろうけど、白人が広州の街でうろうろしていたとしても誰も気に留めたりしないんだ。僕らの勘違いさ。世界が動いて行くために白人たちは自分自身を世界の中で非常に重要だと考えているけれど、広州に来るとそんな夢物語から目が覚めてしまうよ。それはとても健康的なことだと僕は思うんだ。広州にはフランス語を話すグループと、主にナイジェリア人によって形成された2つのアフリカ人コミュニティが存在している。そしてその周りには中東のコミュニティがあって、その周りに中国人のコミュニティがある。その中国、中東、アフリカのコミュニティのるつぼはとてつもなくパワフルで勢いがあってね。良い意味で僕ら白人には居場所がなく、「ここにいていいのか?」と思ってしまうよ。

 

中国で映画を撮影するにあたって情報の検閲に引っかかることはあったのでしょうか?

誰も僕らに物言いしたりしなかったよ。僕らは中国共産党が所有するホテルに寝泊まりしていて、いつも僕らの部屋はきれいに掃除されていたから、機材などの持ち物も全てチェックされていただろうね。例えば上海で大きな商業映画を撮ろうとしたら、政府の検閲が必要になるだろうけど、それ以外のものに関してはまだ目が行き届いていない状態なんだ。例えば問題になりそうなことがあったとして、それに対して誰も“Yes”“No”を出したという面倒な責任は取りたくないからね。だから基本的に誰でも中国に行って映画は撮ることが出来るんだ。ただ慎重でなければ誰かに差し止められる可能性はあるけどね。でも僕らは地下鉄でも街中でも撮影したよ。もちろん慎重にね。

 

レブルンはトラブルを抱えていますが、それほど苦しんでいるようには見えません。絶望感を感じなかったというか。レブルン本人とどのようにキャラクターを作り上げられたのでしょうか?

レブルンの中では徐々に絶望感が募って行っているんだ。でももし窮地に陥っていたとしても、彼はそれを表に出さない。そういう人だからね。でも彼の目や、汗の量からストレスや緊張感が伝わって来るはずさ。それが彼が苦境に立たされていることを物語っているよ。撮影前から分かっていたことは、レブルン本人が素晴らしい人格を持った人だということ。だから僕は彼と一緒に映画を撮りたいと思ったんだ。大統領選用のTシャツの配達が遅れてしまうという問題が起こって、それをレブルンがどうやって解決するのかという設定はあったけれど、広州に着いてからも彼がどうやってそれを解決するのか決めていなかった。だから広州でどうやったらその問題を解決できるのか、僕とジョージ(編集&共同脚本)とレブルンで一緒に考えたよ。そして少しずつ解決策を思い付いていったんだ。

 

この映画の中でフィクションではない部分を教えていただけますか?

何よりもフィクションではないのはレブルンが恋に落ちるシルヴィーというキャラクターさ。彼は本当に彼女に恋してしまってね。シルヴィーは毎晩みんなが集まるバーで働いていて、だいぶ遅い段階で彼女の映画参加が決まった。たしか撮影開始の数日前だったかな。ジョージは「この映画に相応しい女性を探そう」とずっと言っていたんだけど、ある時ラッシュを見ていて、この映画を成立させるために必要な要素、即ち女性を探し出さなくてはいけないことに本当に気付いたんだ。そこでレブルンが恋に落ちるキャラクターとしてシルヴィーが起用された。レブルンはとても喜んでいたよ。彼女を起用するようにレブルンに誘導されたようなものさ。あと、僕らはレブルンが窮地に陥っているところを映画で見せたいと思っていてね。彼なりの問題の解決の仕方が人にはとてもユニークに映るんだ。共演者にはレブルンというキャラクターがどういう状況にあるのか伝えていなかった。みんな現実に広州に暮らしている人たちだったから、どう彼らがレブルンの抱える状況に対して反応するのか、素のリアクションを撮りたいと思っていたんだ。

 

レブルンは一攫千金を求めて中国に行きますね。それとは逆に中国はアフリカから資源を得ています。映画はそういった金儲けの構造は空虚だと半ば言っているようにも思えました。しかしながらどこかポジティブなエネルギーもこの映画にはあります。それに対する意見をお聞かせください。

これは世界の状況を語って観客を落胆させるような映画ではないと思っているよ。この映画の中には希望も詰まっているからね。実はもう1つレブルンを主人公にした物語も候補として考えていたんだ。彼がより豊かな生活を求めて、大金を払い、命を危険に晒しながらサハラ砂漠を越えて行くんだけど、結局不法移民として元の場所に戻って来て、何の証明書も持たないただの清掃員になるという話さ。でも実際のレブルンは、母国で民主主義的考えを主張しながら、教育を受けにくい環境にある子供たちを学校へ入れようとしている凄腕のビジネスマンなんだ。今コンゴで起こっていることは美しいよ。広州にも難しい問題はあるけれど、さほど危険な状態ではない。でもまあお金という意味では、共産主義の中国でも民主主義の産物である“売り買い”がなされていてとても興味深いね。みんなお金で動くアメリカの民主主義を批判するけれど、民主主義は他のビジネスと何ら変わりはないんだ。もし疑問が沸いたら自分にこう聞くんだ「お金なしで生きて行く方法はあるのか?」ってね。僕には分からない。きっとないかもしれないね。

 

あなたはこの映画のプロデュサー、監督、脚本、撮影を手掛けていますね。どうしてこんなにもたくさんの役割を担おうと思われたのでしょうか?

元々僕は共同監督として参加する予定だった。でも残念なことに、制作準備が半分に達したあたりで中国人監督リ・ホンキが共同監督で参加出来ないことになったんだ。今回彼は共同脚本で参加しているよ。本当に小規模の映画でね。あるとき企画のプレゼンテーションで資金は5万ユーロと提示したんだ。すると資金提供者たちに「そんな小規模な映画に資金提供はしない。家に帰って自分で映画を作りたまえ。」と言われたよ。映画製作会社はそんな小規模な作品には興味を持たないんだ。だから時が来たら自分でやるしかない。2人しかスタッフがいない場合、そのうちの1人はカメラを支えていなくちゃならない、だから僕は自分でカメラを回すことが多かったし、マイクを持つ係りもやっていたよ。ジョージがいてくれたおかげでこの映画は成立したようなものさ。編集者である彼と撮影期間中毎日一緒に仕事をしていたからね。カメラを持って外に出て、家に帰って来たら一緒に前日に撮ったラッシュを見るという具合にね。

 

この映画はとても繊細に作られています。グローバリゼーションやお金、政治を背景に捉えられていますが、あなたがもの作りに大切にしている要素は何なのでしょうか?

僕は人に突き動かされるんだ。レブルンのような人に出会ったりするとね。場所にも動かされることがあるから、人と場所の両方だね。この映画はその良い例さ。広州は面白い街で、レブルンも面白い。広州とレブルンを1つのアートにして新しいものを見つけたかったんだ。しかも2つの要素が化学反応を起こさないと新しいものは見られなかっただろうし、生まれもしなかっただろう。だから一番の根底にあるものはおそらく“好奇心”かもしれない。そこから全て始まるんだ。

 

 

text & interview by Taiyo Okamoto (岡本 太陽)

© ANTIPODE Sales & Distribution

Title: “Stranded in Canton”

Original Title: “Nakangami na Guangzhou”

Country: Sweden, Denmark

Running Time: 77 min

Director: Måns Månsson

Screenplay: Måns Månsson, Li Hongqi, George Cragg

Cinematographer: Måns Månsson

Editor: George Cragg

Producers: Måns Månsson, Tine Fischer,  Patricia Drati, Vanja Kaludjercic

Cast: Lebrun Iko Isibangi (Himself or a version of Himself), Nana Nya Sylvie (Herself), Frank No (Himself or a version of Himself), Wassim Hasbini (Himself)