Interview

 
 
Place: Tokyo

『水の声を聞く』 山本政志監督インタビュー

山本政志
アートカテゴリ:  Film, Movie

(c) シネマ☆インパクト

 

1980年代に登場し、「闇のカーニバル」(82年)でベルリン国際映画祭・カンヌ国際映画祭にて上映、「ロビンソンの庭」(87年)でロカルノ国際映画祭審査員特別賞を受賞するなど、その才能が国内外で注目を浴びた。 1997年に文化庁海外派遣文化研修員としてニューヨークに滞在し、『JUNK FOOD/ジャンクフード』を全米10館で自主配給。『リムジンドライブ』をニューヨークで撮影を慣行するなど、ボーダーレスな活躍を続けている。山本政志監督の新作『水の声を聞く』は、韓国語、日本語と2カ国語を駆使した多国籍な作品となっている。ルーツともいえるニューヨークでの生活、そこでの配給や撮影など、貴重な話を聞いた。

 

(c) シネマ☆インパクト

 

COOL はニューヨーク発信の情報サイトですが、1997年ころニューヨークに住んでらしたと。

 

俺が最初に行った時が一番面白かったよね。87年くらかな。ベルリン(国際映画祭)で『ロビンソンの庭』で受賞して賞金もらってたから、ロンドンからニューヨークに入って、現地で知り合ったワシントンDCの高校出てる日本人と『ロビンソンの庭』を売ろうとして一緒に配給会社を回ったんだけど、そいつは白人と話すのが久しぶりで(笑)挨拶も「Nice to meet you」が苦手で、「What’s Up」て感じで、俺は俺で破れた皮ジャンと汚いジーパンで、それでもサミュエル・ゴールドウィンとかでもアポイントを取ったら会ってくれた。それにまず感動した。街もアベニューAとかBとかには浮浪者がいっぱいいたし、タイムズスクエアにもまだ売春婦がいて、もうこれがイメージしたニューヨークそのまま。その後97年に再渡米してニューヨークに住んだんだけど、もうかなり違う街になっていた。

 

ジュリアーニ市長効果が現れて来ていた頃ですね?

 

住んでたのはビレッジでスノッブな感じだったし、住み始めると人種的な差別にあったりイヤだなと思うこともいっぱいあった。

 

ニューヨークはアジア人に対しての人種差別はないと思われているようですが、ありますよね。

 

頭に来たことは何度かあった。でも友達が出来てくると楽しくなってきて。当時一番授業料の安い英語学校に短期間行ってたんだけど、生徒は貧乏人ばっかりで人種もいろいろだったので面白いヤツが一杯いて、いろいろな場所を紹介してくれた。ハーレムもだいぶつまんなくなっていたけど、スパニッシュハーレムとハーレムの境界線辺りに、イリーガルなクラブもあって。黒人グループとヒスパニックのグループがダンスのバトルをやったりとか。面白かった。帰国する時チャイナタウンの公園でお別れパーティをやったんだけど、いろんな人種が大勢集まってくれて、1年でこんなにいい友達が出来るんなら離れたくない、やっぱりニューヨークいいなって思った。

 

ジャンクフードの配給は1年間の滞在中になさったのですか?

 

そう。ベルリン(国際映画祭)とトロント(国際映画祭)で上映した後、ビレッジのフィルム・フォーラムで上映してもらって、その後に、ちょっとずつ広かってきて、上映は動員もよく評判もよかった。当時ニューヨークタイムスにも記事が出たので勢いもついた。LAに住んでた『闇のカーニバル』のプロデューサーの伊地知(徹生)と組んで、ほとんど伊地知がやったけど、結局12都市配給通さずに自主で上映がやれた。

 

すごいですよね。アメリカで配給通さないで劇場上映するとなったら、弁護士や保険など手間もお金も掛かりますよね。

 

アメリカ人でインディやっているやつと話したら、まずディストリビューターを探してるとか、パブリシストを探してるとか、何を考えてるんだろうと。アメリカではインディの目が育たないんじゃないかってんでげんなりした。ポスターにしても貼る会社があって、それもシステムに組み込まれていて、作り手は既成のシステムを何の疑問も無く受け入れている。その発想が堅苦しくて。

 

日本の方が自由度はありますよね。

 

遅れてるよね、アメリカの方が堅苦しいよね。『ロビンソンの庭』の最初の上映だけ保証金を2週間で500万くらい払った。そのかわり交渉して、ある程度以上の動員がでたら、配給収入の6割をもらえるようにした。で、結局6割とれた。勝負の仕方もいろいろあるんだと。

 

米国だとインディペンデントの映画が上映できる劇場もほとんどないですし、そのあたりは日本の方が多様性はあります。

 

アメリカだとインディで製作するにしても金が掛かりすぎるから、何もかも会社組織にしなくちゃいけないんだろうね。

 

日本帰国後またすぐ渡米して、ニューヨークで『リムジンドライブ』の撮影を敢行したわけですが。


撮影するにあたって、まずはラインプロデューサーを探さなくちゃってことで、スパイク・リーの製作会社に電話してみた。そこから紹介してもらったスウェーデンと黒人のハーフのサラという女の子がもうやり手で。「人種のるつぼのような多国籍な現場でやってみたい」とリクエスト出すと、ニューヨークの現場でも珍しいくらい多国籍なスタッフを集めてくれた。中国系でも台湾系、シンガポール系、アメリカ生まれといろいろ居たし、ロシア、トリニダートドバゴとかもうバラバラで、すごく幸せな現場だった。国や宗教や文化のバックグランド違うのが集まると面白い。ロケ地でも、ユダヤ系のエリアで撮る時はユダヤ人のカメラマンが、黒人のエリアだったら黒人のチーフが、ラティーナのエリアはトリニダートドバゴの録音マンが、日本人関係は俺がという風にそれぞれ交渉して。ニューヨークならではの面白さだよね。すごく楽しかったよ。

 

ニューヨークでまた撮らないんですか?ファンは待っているんじゃないでしょうか?

 

やりたいね。楽しかった。死ぬほど言い合いもしたけど、言い合も楽しかった。アメリカはぶつかり合いが出来るからね。なあなあで済ませる事がないからそれがいい。あんまり白黒はっきりさせるから「白黒ばっかりじゃねえだろ」ともなるけどね(笑)それでも意見を言い合うのは大事だよね。

 

撮影のやり方違いますよね?


でも映画作るって事は同じなんだよ。何度も同じシーンをカメラ位置変えて、と始めの1日だけアメリカ方式でやったけど、めんどくなって日本スタイルでやった。アメリカ人は無駄がないって喜んでたよ。

 

マスターショット撮ったりとか。


役者が同じことを何度も繰り返しても同じ事ができるってすごかったね。映像文化の裾野が広いから、オーディションにしてもレベルは桁違いだった。ちょっとしたシーンをやらせても、いろんな芝居を見せる。違う”引き出し”を開いてみせてくるんだよね。日本の場合”引き出し”に何が入ってるのかもわかるから。それとアメリカのオーディションに来る奴らは応募要項を読んでないね(笑)。10代の黒人の女の子という募集をかけたら、30代のゲイのおっさんが来た(笑)すごいよね 粘りが。関係ないやつもいっぱいオーディション来てた。そこでの出会いもあって出てもらった奴もいた。

 

どん欲さはすごいですよね。


腕もあるしね。

 

新作の『水の声を聞く』もボーダーレスな作品です。


主演の玄里が韓国語も話せるって言うのがあったし、俺の事務所がコリアンタウンの近くで、いつか撮影したいと思っていたから自然の流れでそうなった。だいたい映画に国境とかあらゆるボーダーは必要ないと思ってる。

 

(インタビュー=植山英美)

 

(c) シネマ☆インパクト

 

『水の声を聞く』は12月13日より新宿K’sCINEMA にてレイトショー再上映。全国順次上映中。

 

東京・新宿コリアンタウン。在日韓国人のミンジョンは美奈の誘いにのり、軽くひと稼ぎし、頃合いを見てやめるつもりで巫女を始めた。しかし、救済を乞う信者が増え、宗教団体『真教・神の水』が設立され、後戻りができない状況になってくる。借金取りに追われる父親、それを追う狂気の追跡者、教団を操ろうとする広告代理店の男、教団に夢を託す女、救済を乞う信者達、ミンジョンは聖と俗の狭間で苦悩し、偽物だった宗教に心が入ってくる。やがて、ミンジョンは大いなる祈りを捧げ始める。不安定な現代に、“祈り”を捧げる。“祈り”によって、世界を救済する。いったい何が「本物」で、何が「偽物」なのか?大いなる祈りは、世界に届くのか?

 

監督・脚本:山本政志
出演:玄里、趣里、中村夏子、鎌滝秋浩、小田敬、萩原利久、松崎颯、村上淳
プロデューサー:村岡伸一郎
ラインプロデューサー:吉川正文
撮影:高木風太
照明:秋山恵二郎
美術:須坂文昭
録音:上條慎太郎
編集:山下健治
音楽:Dr.Tommy
2014年/日本/129分

 

公式サイト:http://www.mizunokoe.asia/
公式Facebook:https://www.facebook.com/mizunokoewokiku
公式Twitter:https://twitter.com/thevoiceofwater

 

山本政志 プロフィール

『闇のカーニバル』(1983年)が、ベルリン・カンヌ映画祭で連続上映され、ジム・ジャームッシュらニューヨークのインディペンデント監督から絶大な支持を集める。『ロビンソンの庭』(1987年)[ベルリン映画祭Zitty賞/ロカルノ映画祭審査員特別賞/日本映画監督協会新人賞]では、ジム・ジャームッシュ監督の撮影監督トム・ディチロを起用、香港との合作『てなもんやコネクション』(1990年)では専用上映館を渋谷に建設、『ジャンクフード』(1997年)を全米12都市で自主公開、『リムジンドライブ』(2001年)では単身渡米し、全アメリカスタッフによるニューヨーク・ロケを敢行、蒼井そらを主演に据えた『聴かれた女』(2006年)は、英、米を初め7ヵ国でDVDが発売され、2011年には、超インディーズ作品『スリー☆ポイント』を発表、2012~13年は実践映画塾「シネマ☆インパクト」を主宰し、12人の監督とともに15本の作品を世に送り出し、その中から、メガヒット作大根仁監督『恋の渦』を誕生させた。国境やジャンルを越えた意欲的な活動と爆発的なパワーで、常に新しい挑戦を続けている。