Interview

 
 
Place: New York

暗闇に射す一筋の光を見つけて

Tetsuichiro Tsuta
アートカテゴリ:  Film

毎年7月、ニューヨークのジャパン・ソサエティで開かれる日本映画シリーズ、ジャパン・カッツ!今年も色とりどりの日本映画がニューヨーカーの心をときめかせた。なかでもクロージング作品として上映された、蔦哲一郎監督作『祖谷物語 —おくのひと—』は、並外れた存在感を示した。この日本のチベットと呼ばれる徳島県の祖谷(いや)を映した叙事詩は、環境が日々急激に変化する今日だからこそ、息を飲むほど美しい自然の姿の陰に危機感を漂わせる。

 

青々とした緑の広がる祖谷に、ある日東京から工藤(大西信満)がバスに乗ってやって来る。殺伐とした都会の暮らしから逃れてきた彼が、人里離れた山奥で出会うのが、電気やガス、水道といった現代の“普通”を持たない春菜(武田梨奈)とおじい(田中泯)。おじいは、生きるために必要なことだけを黙々と続ける、どこか山の精のような神秘的な存在。春菜はそんなおじいの背中を見て育ち、そして工藤は今無言のおじいに導かれようとしている。

 

秘境での春菜とおじいの無駄のない暮らしの後に蔦監督が見せるのは、監督自身も日々体験している東京での暮らし振り。現代社会で生きる我々は、時間に追われることにも、利益重視の社会の歯車の1つになることにも慣れてしまっている。そしてその積み重ねの結果、目に見える形で自然の豊かさが失われ続けている。おじいのように人間目線を超えることが出来たら。祖谷の自然に触れて育ち、現在都会に住む蔦監督の意識が祖谷から光のように流れ出し、まるで太陽が海を照らすように私たちの中で耀く。

 

 

COOLはジャパン・カッツ!のためニューヨークを訪れた蔦哲一郎監督に『祖谷物語 —おくのひと—』北アメリカプレミア直前に会い、インタビューを行った。

蔦さんは映画の舞台である徳島県のご出身ですが、ファンタジーの要素を盛り込みながら祖谷という土地を描こうと思われた理由はなんなのでしょう?

自分の撮りたいものを繋いで作ったので、ファンタジーとしてとか、ノンフィクションとして描くということは、意識していなかったんです。最初ドキュメンタリー的な要素があるのは、祖谷がどういう土地なのかというのを説明しなくてはと思ったので、ドキュメンタリー風に見せているんです。でも僕はジブリアニメに強く影響を受けていて、ある意味その実写版を作るようなつもりでこの映画を作っていたので、途中からファンタジー風になって行ったのは、ファンタジーの要素を加えたいという意識からではなく、ごく自然な流れでした。

 

祖谷にある美しい自然の姿を残したいというお気持ちが本作を作るモチベーションになったのでしょうか?

それは確実です。僕は地元の川が公共事業によってコンクリートで埋め立てられるというのを見て来ているんですね。だから僕が映画を撮っている理由は、人間によって整備された自然を作るということへの怒りみたいなものから来ているところが大きいんです。『祖谷物語』に関しても、今の祖谷の原風景を記録しておきたいと思いました。ロケハンも自分でやり、祖谷中を渡り歩いた中でここを撮りたいと思ったところを撮影しました。だから僕が残したいと感じたものが『祖谷物語』の中に映っているはずです。

 

おじいの存在はミステリアスですよね。このキャラクターを作るに当たってのインスピレーションはあったのでしょうか?

日本昔話のような坦々と毎日を過ごしているおじいちゃんを登場させたいと思いました。俗世間とは関わらず、自分の生活に必要なことだけをやっている人はきっと僕の理想なんです。実際自分がそういう生活をするとなると難しいと思うのですが、そういう人には憧れを抱いています。祖谷だと、人里離れたところにぽつんと家を構えて木を削ってお椀を作っている木地師がいたりとかして、そういう人は寡黙であって欲しいなと。おじいは人間と自然の中間的な存在で、何も言わないけれど、自然の持つ要素を感じさせる人にしたつもりです。おじいには僕の理想を込めました。

 

そのおじいに田中泯さんが扮していますが、このキャスティングはどうやって実現したのでしょうか?

僕の実績だけ見ると泯さんは参加してくれなかったと思うんですけど、丁度彼が『47 RONIN』を撮影されていたときに、企画書とシナリオを彼のお弟子さんにお渡しして、お弟子さんを通してファックスでやりとりをしました。そして泯さんが企画書とシナリオを気に入ってくれて、おじいの生活や祖谷という場所自体にもとても興味を持って頂けました。躊躇しなくて良かったなと感じています。面と向かってだとなかなか想いを伝えられなかったかもしれないんですけど、文章でのやりとりだったので落ち着いて自分の想いを伝えることが出来ました。

 

脚本執筆中に泯さんをおじい役としてすでにイメージされていたのですか?

脚本を書いている段階では全くイメージはしていなかったのですが、脚本を直している段階で、スタッフから「泯さんはどうか?」という意見がありました。僕は『たそがれ清兵衛』とか『メゾン・ド・ヒミコ』とかでもちろん泯さんのことは知っていたのですが、彼が山梨県で自給自足生活をされていることは知らなかったんですよ。それを聞いて泯さんの生活振りを見に行き、おじいは彼しかいないと思ったんです。

 

映画の中に緑の青々とした景色や、雪景色があったりして、祖谷の四季を見せてらっしゃいますよね。どのように撮影されたのでしょうか?

撮影は、2011年の秋から始めて、2012年の冬、春、夏と一年間撮影をしました。各季節毎にスタッフと役者さんを祖谷に連れて行き、3週間程撮影期間を設けたため、合計の撮影実数は2ヶ月半〜3ヶ月くらいになりました。スタッフは、山小屋や廃校になった学校とかに泊まって、役者さんは旅館とかに泊まっていただきました。商業的な感覚だと、撮影期間が長くデメリットも多いので、まずやろうとは思わないはずです。でも自分の地元からの協力があったり、スタッフもほぼノーギャラで作品に参加してくれたというのがとても有り難かったです。

 

「ドロップアウトすることで悪循環を止める」というようなニュアンスが映画の中にありました。それは現代社会で生きる人間の慣れからのドロップアウトだと思います。そして工藤が慣れのサイクルを断ち切り、またそれと戦うキャラクターとして登場します。こういった側面を描くきっかけになったことはあったのでしょうか?

例えば東京編で春菜の生活振りを描いていますが、それは東京で日頃生活している自分の罪悪感を、「これでいいのかな?」と表現しています。もちろん便利なのも良いのかもしれないけれど、僕はそこには罪悪感を持ってしまっている。最近忘れつつありますが、3/11後特に、人はそれを抱えていたと思うんですね。電気や水道を使い放題使うという、現代社会で当たり前になっていることへの罪悪感みたいなものがありました。特に設定は決めていなかったんですが、工藤は経済至上主義や物質至上主義というものに疑問を感じて、それから脱却したくて祖谷にやって来たと思うんですね。実際祖谷にはスローライフを求めてやって来る方々もいらっしゃいますし、工藤は物質的な豊かさ以外のものがあるんじゃないかと思って祖谷に来たと思うんです。僕自身も工藤のようなことをやってみたいという欲求があって、彼もまた僕の欲求の表れなんですね。

 

前作『夢の島』でも人間のせいで環境が破壊されているという意図が描かれていました。環境への言及というのは蔦さんの映画作りにおけるテーマとして一貫していますね。

商業じゃなく自主制作で映画作っている人たちは、自分が何を思っているのかというのに嘘を付いてしまうと、簡単に見破られてしまうと思うので、シンプルに自分が何を考えているんだろうと考えると、公共事業で川が汚されたりすることへの怒りなんです。だから自分の作品のテーマとして一番モチベーションを持てるのが、人間至上主義に対する疑問なんですね。人は人間同士の思い遣りを考える傾向にあると思いますが、もう少し広く思い遣りを持つことも大切なんじゃないかと。

 

映画を観ている途中から特に水の汚染についてのメッセージのようなものを強く感じました。脚本を書かれている段階で、福島の原発事故が起こったのではないかと感じてしまったのですが…

一番初めに脚本を書いたのは2010年だったので原発事故が起こる前だったんですよ。工藤、自然保護団体、地元の猟師たちの出て来ない、四季の中で春菜とおじいの坦々とした生活を見せるという短編でした。そんな中、地元のバックアップもあり予算が増えそうだったので、長編にしようという案が出たんです。そこでさっき言ったような春菜とおじい以外の要素も足していきました。そして2011年3月11日、夏の撮影に向けて脚本に取り組んでいるときに東日本大震災が起きました。撮影は結局秋になってしまいましたが、原発問題と僕が描きたい問題は根っこの部分で繋がると思っていたんですね。だからあの事故が起こったことで焦りのような感情が芽生えました、「これは早く作らないと」と。それに、僕が罪悪感を持って過ごしている東京の生活がどういうものなのかは、映画で描かなくても分かる人はいるかもしれないけれど、この際描いちゃえと思って。そういう意味でも原発事故の影響はありましたね。

 

一般的に祖谷の状態を過疎化と言うと思います、学校の教科書にもそう書いてありますし。すごくネガティブな印象を受けますよね。でも監督の目を通してあの土地を見ると自然が生き生きしている。人口が減少することについてどのようにお考えですか?

最近僕は、何が良いとか悪いとかという判断を排除して客観的に物事を見ているんですね。祖谷から人がいなくなることを悪いとは全然思わないし、もちろん良いとも思わない、流れの中でただそうなっていくというか。だから客観的な視点で祖谷をドキュメンタリーで20年撮り続けても良いかなとも思っているんです。でも映画にそういう風に映ったということは、人間よりも自然の方に興味があるからだと思うんですよ。実は映画を撮影しているときも、僕が見ていたのは背景でした。僕の映画の場合、役者さんの生き生きした演技を撮るというよりは、自然の中でその役者がどう佇んでいるかを撮りたいと思っているんです。背景の霧の状態や、風がどう吹いているかということに焦点を置いて見ていたので、おっしゃられたように映ったんだと思います。だから役者さんにはもっと俺たちを見てくれって言われますけど(笑)

 

『祖谷物語』に影響を与えた映画はありましたか?

一番はやはりジブリ映画なんですが、今回特に影響を与えた実写作品は新藤兼人監督の『裸の島』です。瀬戸内海の島で野菜を育てている家族の坦々とした生活を台詞無しで描いている映画なので、そういう映画を作りたいと思っていました。だから天秤を担いでいるようなシーンは、『裸の島』へのオマージュでもあるんです。それ以外で影響を受けたのは青山真治監督の『EUREKA』です。映画の映画の長さを意識していました。そういう映画を自主制作やっている間に35ミリフィルムで撮ってみたかったんです。

 

長編初監督作品は16ミリフィルムで、今回は35ミリフィルムで撮られていますね。フィルムで表現したいことは何ですか?

技術的な部分では、デジタルもフィルムもそれほど変わらないと思いますが、でもなぜ敢えてフィルムでやるかというと、作り手の想いが映し出されるからです。それは僕の短い映画人生の中で実感していることです。もちろんデジタルでも撮ったことはあるんですけど、デジタルで撮った自分の作品と、フィルムで撮った作品のエネルギーの質はかなり違います。映画に関わる人それぞれの抱える想いもデジタルとフィルムでは違ってくると思うし、そういうものの積み重ねが作品にも表れる気がします。また単純に、僕がフィルムで撮ることに楽しさを見出していて、フィルムのカメラがあって、撮影を始めるとフィルムが回っている、というのも僕の映画作りへのモチベーションになっているんです。

 

『夢の島』のウェブサイトに“闇に射す一筋の光”という映画精神が書かれていました。このことにどんな思い入れがあったのかお話していただけますか?

映画は映画館という暗闇の中で、一筋の光を射すことで人々に届きますよね。それと、映画が暗い世の中に差す希望みたいな意味とを込めています。良い映画に出会ったときって、 その反射を受けて映画館を出ると「まだ生きれるかも、明日また頑張れるかも」と希望が持てるじゃないですか。そういう映画を作っていきたいと思っています。

 

 

文 & 蔦哲一郎監督写真 by 岡本太陽

 

『祖谷物語 ーおくのひとー』オフィシャルウェブサイト

 

『祖谷物語』のキャラクター・マイケルの基になったアレックス・カーさんが設立した「篪庵(ちいおり)トラスト」のウェブサイト

 

『祖谷物語 ーおくのひとー』予告編