Interview

 
 
Place: New York

彼女が求める美

Fumi Nikaido
アートカテゴリ:  Film

日本映画界の今を輝かしく駆け抜ける才能、二階堂ふみ。今最も勢いに乗っている彼女の出演作『ほとりの朔子』、『私の男』、そして『地獄でなぜ悪い』の3本が、今年で13回目を迎えたニューヨーク・アジア映画祭で披露された。そして同映画祭で彼女は、今後の活躍が期待される新鋭のスターに送られるスクリーン・インターナショナル・ライジング・スター賞の栄光に輝いた。

 

作品ごとに毎回違う印象を与える二階堂。見た目や口調だけではない、眼差しから息遣いまで何もかもが違う。『ほとりの朔子』の深田晃司監督は彼女のことを“役を生きる俳優”と称した。毎秒毎秒変わる撮影現場の空気を敏感に察知し、演じるキャラクターに、そして映画に命を吹き込む存在。海の色や動きが変わり続けるように、生きるということは流動的。映画の撮影もそうと彼女は理解している。

 

そんな二階堂は自らを「女優」と呼ぶことに躊躇を覚えている。カテゴライズされないものに美を見出しているからだ。爆発的な人口増加現象が加速する今日、自分の存在を認知するには肩書き無しでは不安になってしまう人も少なくない。しかし、彼女の求める世界にはものごとは一方方向に進んでいるのではなく、形や質感を変えながら全ての方向に進んでいる。そして彼女は映画を通してそれを体現し、世界はそれに目を奪われてしまうのだ。

 

 

COOLは第13回ニューヨーク・アジア映画祭のため、ニューヨークを訪れた二階堂ふみにインタビューを行った。

深田晃司監督が過去のインタビューで、二階堂さんは演じるというよりは“役を生きる”のだと仰られていました。二階堂さんの演技へのフィロソフィーを教えていただけますか?

毎回自分のスタイルを変えているので、特定のスタイルを持っていないことがおそらく監督の仰られていることだと思います。私は、映画のキャラクターは映画の中で存在していると思っていますので、見た目も毎回変えていますし、そのキャラクターを表現するためのプロセスにはこだわりを持っています。でも最低限の役作りを終えてしまえば、後は現場の雰囲気を大切にしながら、そのとき感じたものを素直に出すようにしています。

 

役の感情的な要素に関しては、作り込まずに自然と出て来たものを出してらっしゃるんですね。

感情やキャラクターの内に秘めるものを表現する際には、現場で流れている空気を頼りにしています。そういったものは相手がいて成立するものだと思うので、自分一人で作り込むということはないです。

 

現在は年に3、4本のペースで映画に出てらっしゃいますね。それに加えドラマや舞台にも時々出演されています。そんな中でいくつかの作品を同時期に撮影することもあると思うのですが、どういうときに自分を生きていると感じますか?

私はキャラクターに入り込んでいるときでも、その日の撮影が終われば自分の時間だと思っているので、役を引きずることはないんです。だからわりと自分の時間はあると思っています。ただ最近は結構忙しいので、作品が重なることもあり、実は今回ニューヨークで上映された『ほとりの朔子』と『地獄でなぜ悪い』は同時に撮っていたんですよ。それと大河ドラマの『平清盛』も撮っていたので、3作同時に撮っていました。そういう風に同時にキャラクターを演じ分けることもあるのですが、それも楽しみの1つになっていますし、そのときだから出て来る感情もあると思うんです。あのときで言うと、朔子が『地獄でなぜ悪い』のミツコのキャラクターの良さを引き出してくれたり、逆にミツコが朔子の内面の静かな部分を引き出してくれたりしました。

 

役同士がバランスを取り合っている感じなのでしょうか?

バランスを取り合っているというよりは、引き出し合いだと思います。静かなものをやればやるほど激しいものが引き立つみたいな感覚でしょうか。小さいものだけをやっていると小さいものの良さが分からなくなることがあるけれど、小さいものと大きいものを比較すると、良さを引き立て合ってすごく面白かったりするんです。

 

これまでアウトサイダー的な役を演じられることが多かったと思うんですが、そのキャラクターたちにどうして共感するのか、またそこから何を世の中に伝えたいのかをお話ししていただけますか?

私はキャラクターに惹かれて作品に出るというよりは、その作品に自分が関わりたいかというところで仕事をしているので、自分のキャラクター云々というよりは、面白い作品を生み出すことが出来るのかというところを重視しています。その中で出会った役がハードなものが多かった時期はあるんですけど、でもその作品に関わりたいかという気持ちが重要であって、自分の役に関しては結構二の次と考えています。だから単純に面白いものを作りたい、ものすごく力強い作品を作りたいと思っているんですよね。そしてそれを観た人が映画って素晴らしいものなんだなって感じ取っていただけたら嬉しいですし、映画は映画館で観るものだと思うので、一人でも多くの人が映画館に行って映画を観る、という習慣が付いたら嬉しいと思いますし、日本の方々がもっといろんな作品を観るようになってくれると良いなと思っています。でも今はスマートフォンで観るものや、パソコンで観るものなどが増えているので、映画館に行くということが特別なことになってしまっているんですよね。

 

日本は映画の料金も高めですよね。

高いですね、仕様がないですけど。でも勿体ないですよね、たくさん面白い作品あるのに。私、ニューヨークのすごく好きなところって、ふと見たところに芸術があるところなんですよ。お金を払って見るものだけじゃなくて、面白いものが街にたくさん溢れている。だからこそそこに生きている人たちって感受性が豊かな気がするんです。美術館とかも小学生は無料だったり、その他の学生にもそんなに高い入場料と取らないですよね。だからすごく行き易いと思うんです。日本は高いお金を払わないと美術館に行けないし、だからこそ誰かが連れて行ってくれないと美術館に行こうという気持ちにならない。もちろん素晴らしい作品はあるはずだけど、それを見る機会が開けていないから、そこは残念な気持ちです。

 

二階堂さんは沖縄出身ですよね。どういう環境で過ごされていたんですか?

那覇市の栄えている街のど真ん中で育ったので、海も山も近くなかったんです。本当にビルに囲まれたところに住んでいました。でも家の近くに私の自己形成に大きく影響した桜坂劇場という素敵な映画館があって、小学生は500円で映画を観ることが出来るんです。スタンプラリーがあって、スタンプを貯めると映画が無料で観ることが出来たりとか、夏休みは子供映画祭をやっていて、私はそういう環境にいたから映画に魅了されて行ったんです。そこで初めて韓国映画を観たり、70年代のチェコの『クラバート』という映画を観ることが出来たことが今に繋がっているんだと思います。あとは、古着屋街があって、そこに特別アートなものがあるわけではないけれど、その地域自体がスタイリッシュだったので、自分にとっては素敵な場所でした。

 

好きな映画じゃなくて良いのですが、運命を変えられた映画ってありますか?

反撥心が強い時期って誰でもあると思うんですけど、どういう形で自分が世の中に存在すれば良いのか分からなくて、みんな迷走すると思うんですよ。私にももちろん反抗期があって、高校一年生のときに、ロシアのヴィターリー・カネフスキーの映画『動くな、死ね、蘇れ!』『ひとりで生きる』『ぼくら、20世紀の子供たち』を高田馬場の早稲田松竹で3本立てで観たんですよ。なんだろう、あれを観たときに石で頭を殴られたかのような感覚になって、劇場出てから虚無感に襲われてしまいました。自分はなんてちっぽけなことで考え込んで、なんであんなにも本気度の高い人(カネフスキー)がこの世にいるんだ、そんなことをやっている暇はないぞって。彼の作品は私が改心をするきっかけになりました。でも今から思うと、そういう時期があって良かったのかなって。反撥したり、「大人なんて…」って思ってる時代があったからこそ、感受性は強くなりますよね。

 

他のインタビューを読んでいて特に興味深かったのが、「(自分を)女優とは言いたくない」というようなことを仰られていたことでした。どうして女優と言いたくないのでしょう?

それは職業欄にフリーターって書くと言ってたやつですね。女優って肩書きであって職業ではないと思うから、「女優です」と言えなくて。単純に恥ずかしいからなんですけど。だから今でも海外に行ったときとかに「あなた何やってるの?」と聞かれたら、「大学に通いつつ、ちょっと映画関係の仕事をやっております」としか言えないんです。日本は肩書きを重視しますよね。一つの言葉でカテゴライズする傾向にあるというか。そういうものに違和感を感じています。人の人格であったり、好きなものであったりは、単純に一言で表現出来ないと思うんです。そういうことを穂村弘さんに言うと、肩書き重視の傾向はここ10年くらいの現象であって、以前は日本人にもっと未知のものに対してのドキドキやワクワクがあって、それがファンになるということだったと仰られていました。最近は親近感というものが大事にされるようになって、私はそういう風潮が好きじゃないから、例えばこういう風にニューヨークとかに来て、カテゴライズ出来ない混沌とした空気に触れるとすごくワクワクしますね。ニューヨークってどんな場所ですかって聞かれても、答えられないじゃないですか。混沌としたものの中に、研ぎ澄まされた何かがあるし。だからきっと「女優」ってカテゴライズしたくないんでしょうね。

 

 

text by 岡本太陽

photos of Fumi Nikaido by Julie Cunnah