Interview

 
 
Place: New York

アイスランド流、限界の超え方

Benedikt Erlingsson
アートカテゴリ:  Film

馬と人間が暮らす僻地(へきち)が舞台の、アイスランドの2014年アカデミー賞外国語映画賞へのエントリー作、『馬々と人間たち』のベネディクト・エルリングソン監督にインタビューを行った。

 

エルリングソン監督はアイスランド演劇界で最も成功を収めている演出家の1人。常識にとらわれないストーリーテリングが魅力で、『馬々と人間たち』でも “死”をユニークに描いてみせる。彼の映す死は、感情的でも悲劇的でもなく、どこかおかしい。また、それぞれの死がそこで暮らす者たちに新しいものを届けてくれる。何かが終わるときは、何かが始まるとき。エルリングソン監督の描く世界は、先入観や限界のない可能性が果てしなく広がる場所に我々を導いてくれる。

 

 

ご家族もストーリーテラーだそうですね。監督が育った環境はどういったものだったのですか?

父も母も役者であり監督だったんだ。とても熱心なストーリーテラーでね。母方の祖父もプロのストーリーテラーだったんだよ。物語を語ってお金をもらっていたという意味さ。祖父はアイスランドの昔話を記憶していてね、幼い僕に聞かせてくれたんだ。僕が10代になって祖父が教えてくれた物語のオリジナルの本を読んだんだけど、彼が聞かせてくれたものの多くは本の中には含まれていなかった。彼は自分でいろいろ付け足したんだ。それが分かったとき感動したよ。

 

他のインタビューで、あなたは『馬々と人間たち』を作ることはご自身にとってセラピーのようだった、とおっしゃられていました。この映画作りがどういう体験だったのか教えてください。

レイキャビクから田舎に撮影に行った体験はショッキングだったよ。残酷な光景を目の当たりにしてしまったからね。街でも事故は起こるけれど、田舎でももちろん事故は起こる。人は死ぬし、怪我もする、そして馬や羊も死ぬんだ。春には子羊が生まれるけれど、そのうち何頭かは死んでしまう。馬の足の骨が折れてしまったら殺してしまわなければいけない。馬に乗っていると、溺死した羊の死骸を見ることもある。これは都会の子供たちがほとんど触れることのない世界の一部さ。僕個人的には大変な経験だったけれど、同時にジョークのような印象も受けたんだ。とても良い経験だったし、それらを体験したことがこの映画に強く影響を与えているよ。

 

この映画の中で馬と人間の関係はどこか性的でさえありますね。その性的な要素はどうやって生まれたのでしょうか?

それは馬と人間の持つ性質さ。人間は馬に似ていると言っても良いかもしれないね。馬も人間も群れの中で生活する生き物で、社会性があり、地位を重要視している。他がどんな地位にあるのか確認するし、互いの地位を傷つけることもあるからね。アイコンタクトや言葉の使い方でどんな地位なのか示すんだ。階級社会に生きているという証拠さ。それは馬も同じ。誰が群れを先導しているのか見定めるんだ。だから人間が馬に出会うと、地位を巡って戦いが始まる。そこで人間は馬よりも高い地位に付かなくてはいけない。飼い主という地位を得るためにね。でもひと度その関係が築かれれば、二者は友達になれる。結局馬も愛情を必要としているらね。愛が無くては彼らは健全に生きていけないんだ。人間も馬も愛し合う生き物さ。互いの恋煩いすら理解出来るんだ。そういう意味でも馬と人間は似ている。だから馬はずっと人間を支えているし、人間も彼らのことを愛して止まないんだ。

 

映画で描かれているような馬と共に暮らす人々は、そうでない人々と違い、馬をどのように見ていますか?

奴隷制がまだあった時代の奴隷との関係に似ているかもしれないね。奴隷がいて、その奴隷を愛していて、その奴隷が子供を授かっても、「一番下の娘は好きじゃない」と売ってしまうこともある。とても残酷だけれど、同時に気にかけてもいる。奴隷は家族の一部であると認識している家族もあれば、奴隷に愛情を注がない家族もいる。奴隷を売り買いする必要があるから感情は持ち込まないんだ。その一方で感情を持ち込む家族もいる。馬と馬主との関係もそういうものだろう。アイスランドでは人は馬を愛しているし、馬は僕らのアイデンティティの一部なんだ。それでいて馬肉を食べる習慣もあるんだけどね。

 

ニューヨークのような都会では、大人と子供、人間と動物、人間社会と自然というように人々は区別する傾向にあります。しかし映画の中の馬と共に暮らす人々と馬との境目はかなりぼんやりしている印象を受けました。このことについてどう思われますか?

映画の中の牝馬をコルベインは恋人ではないにしても、自分自身の一部であり、彼の家族であり、地位として見ているんだ。だから牝馬が彼を裏切ると、辱められたような気になってしまう。彼の名誉が傷つけられてしまったからね。そしてその牝馬に乗っているところを周りに見られると、彼らはまたその出来事を思い出してしまうから、彼はもうその牝馬には乗ることは出来ない。馬は家族の一員であり家畜でもあるというグレーゾーンにある生き物なんだ。人間と馬の本質はそこにあって、この映画ではそのことを描いているんだ。

 

人間も結局は環境の一部ですよね。馬も右に同じです。ここでは人間に焦点を当てたいと思うのですが、あなたは人間の死をただ単に環境の変化であるかのように描いていますね。全く絶望的でも感情的でもありません。あなたの死に関する意見を聞かせてください。

僕らはみんないつかは死ぬ。僕はこのことにとても興味があるんだ。それから死は悲しいだけではなく、可能性とも言えるだろう。死は空間を広げてくれるんだ。とても重要なことさ。僕が死んでしまったら、僕の子供たちは悲しんでしまうかもしれないけれど、僕の家は彼らに相続されるし、僕がいないからこそ家の中ももっと広くなる。可笑しいだろう、死について話をしているけれど笑顔になれるんだから。この映画の中の死は、人々の関係に新しい可能性をもたらす。死は新しいことの始まりなんだ。だから可笑しい。人間ってこんなにも残酷な生き物なんだから面白いね。

 

旅行者が馬の体の中に入るシーンにとても衝撃を受けました。馬は何が起こるのか理解していたようで全く恐怖を感じていませんでした。そしてそこには我々が馬に生かされているというニュアンスがあるようにも感じ、またあのシーンは出産のような印象も受けました。どうしてあのシーンを入れようと思われたのですか?またあのシーンの背景にあるものは何なのでしょうか?

あれは男が生まれ変わるシーンなんだ。あまり利口な馬でなくとも人の命は救うことが出来るのさ。あの旅行者は乗っていた馬のせいで道に迷ってしまう。でも馬が最終的に彼の命を救う。あのシーンはアイスランドでは誰もが知るサバイバル術が基になっていてね。人間はあの旅行者と同じような方法で生き延びることが出来たんだ。古くからの生き延びるためのコツさ。吹雪に遭遇して、天候がめまぐるしく変化しているとき、夜は凍死してしまう程寒くなってしまうんだ。1952年に僕の友人の祖父も同じことをやって生き延びることが出来た。ジョージ・ルーカスも『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』の中で同じことをやっていたよ。まるでキリスト誕生だね。あの旅行者は馬の中に入って生まれ変わるんだ。マリアの子宮から出てきたキリストをヨセフが抱き、三賢者が来るように、生まれ変わった旅行者を3人の男が助けに現れるからね。

 

生と死がこの映画のテーマになっていますね。どうしてそのテーマに興味を持たれたのですか?

全ての素晴らしい物語には生と死が描かれているよ。ある意味セックスと死を描いていると言っても良いかもしれないね。親密さを意味するセックスは、2つの精神と身体が結びつくということさ。そして死。ショービジネスも“セックスと死”みたいなものだろうね。結びつくことは新しい生と死の始まり。生の終わりと言っても良いかもしれない。終わりであり始まりさ。我々にとって最も普遍的なことは生きていながら同時に死に向かっているということなんだ。

 

馬の目を映したシーンがいくつかありますね。そしてその目に彼らを囲っている柵が反射して映っています。何を伝えようとしているのですか?

僕らはいつも周りを囲っている。人間は柵で囲み、ルールを作り、そして整列させて社会を作っている。でも自由な生き物はそこから逃げ出したいと思っているんだ。いつも柵に囲まれているからね。例えば馬の頭の中に入ったとしよう。彼の抱える問題はきっと柵があることさ。どこに柵があって、それが何で出来ているのかってことを考えている。柵を破った英雄的な馬を讃える物語もあるだろうね。僕が夢見ていることは柵を破ってしまうことさ。田舎に旅行に行ったとき、映画の中の有刺鉄線を切る農家の男と同じ経験をしたことがあるよ。アイスランドでは旧道には柵を付けてはいけないという法律があるんだ。だから例え個人が所有する土地であっても、僕には柵を破る権利がちゃんとあるし、個人が所有する土地だからといって道を通行する権利は剥奪されないのさ。これは僕にも経験があるくらいよくある話なんだ。柵を破るってこの上なく最高さ。そしてそれが出来るということはとても崇高なことさ。

 

 

text & Mr. Erlingsson’s Portrait Photo by 岡本太陽

stills by Icelandic Film Centre

 

馬々と人間たち』11月1日より公開中