Interview

 
 
Place: New York

シノハラ夫妻 Roarrrr!

Ushio Shinohara, Noriko Shinohara
アートカテゴリ:  Film

今年のサンダンス映画祭やトライベッカ映画祭で上映された、ザッカリー・ハインザーリングの初監督ドキュメンタリー映画『キューティー&ボクサー』の中で、芸術家夫妻・篠原有司男(ギュウちゃん)と乃り子は、2010年夏に行った展示のタイトルについて意見を交わす。有司男が気に入ったシンプルでインパクトのある「Roarrrr!」(唸る音)の前に、乃り子は「Love is」という言葉を付ける。反抗的で直感的な有司男に対し、観念的で理性的な乃り子。そのシーンは、2人の全く違う感性を物語る。

 

30代後半に差し掛かった篠原有司男が芸術家として世界に名を轟かすためニューヨークにやって来たのは1969年、その3年後に19歳の乃り子は学生としてやって来た。間もなく2人は出会い恋に落ちる。乃り子は結婚のため学業を断念し、2 人は息子のアレックスを迎えることになるのだが、手に負えない荒ぶる魂の後ろで、ひっそりと乃り子の理想は影を潜めるしかなかった。今まで作られた映画では、有司男の作品の歴史に焦点を当てたものが多かったが、ハインザーリングは独特の視点で、40年も生活を伴にして来た2人の芸術家の今を映し出す。

 

瞬発的に現れる芸術のエネルギーを信じる有司男と、それに耳を傾けつつも疑問を抱き、継続することに小さな希望を見出そうとする乃り子。長い長い苦悩と葛藤しながら、彼女の人生が変わり始めたのは、2006年に自身の体験にファンタジーを織り込んだ「Cutie and Bullie」というシリーズを生み出したとき。苦しみを受け止め、その苦しみが形を変えた瞬間だった。ハインザーリングは、乃り子のそのシリーズに感銘を受け、彼女の作品を用いて、有司男と乃り子の過去をアニメーションで見せて行く。

 

この映画は撮影を開始してから完成するまで5年の月日を要したという。現在の有司男と乃り子の関係の中に何が見えるのかを待ちながら、ハインザーリングは彼らからカメラを向けることを止めなかった。だからこそ彼は、じっと土の中で芽吹くのを待ち続けた乃り子の物語に惹かれた。乃り子は映画の中で言う、「有司男との生活の中でたくさん不可能なことがあったけれど、それが今の私を作った」と。『キューティー&ボクサー』は、2人の芸術家の今に迫り生まれた、人生を肯定する物語だ。

 

 

COOLは、ダンボ地区にある篠原夫妻の自宅件アトリエで、監督のザッカリー・ハインザーリング(ザック)と篠原夫妻にインタビューを行った。彼らのアトリエには2人の作品が所狭しと置かれ、床にはペンキの飛び散った後がある。芸術を作る場所でもありながら、生活の場所でもあるという境界のはっきりしない空間。まるでそこが2人の生きざまを映し出しているかのようだった。

どうやって有司男さんと乃り子さんに出会ったのですか?また彼らの生活を追った理由は?

ザッカリー:彼らには2008年に会ったんだ。僕の大学時代の友人で映画のプロデューサーでもあるパトリック・バーンズが彼らのことを教えてくれてね。彼が2人の写真を僕に見せてくれたんだ。彼らとその生活スタイルが僕にはとても奇妙で魅力的に映ってね。その頃、僕はまだニューヨークに引越して来たばかりで、ニューヨークアート界を作り上げ、僕らの世代に大きな影響を与えた、ダウンタウンのアートシーンにロマンを抱いてたんだ。でもニューヨークに来てみると、アートシーンがダンボに根付いていた。そこで、有司男と乃り子さんの時が止まったかのような昔のままの芸術空間、そして彼らの生活スタイル、芸術だけを追求したいという想いに惹かれて2人を追いたいと思ったんだ。今のニューヨークで、彼らのアトリエみたいに昔の面影を残した空間を見つけるのは簡単じゃない。2人はニューヨークから消えようとしている最後の世代だよ。

 

有司男さんと乃り子さんの物語のどこに共感しますか?

ザッカリー:この映画は僕のクリエイターとして初めての作品なんだ。自分がクリエイターであると自覚するための過程がこの作品を作ることだったし、2人は芸術家で常に次に何をやるのかを模索していた。プレッシャーももちろんあったけれど、何よりクリエイティブな環境があってね。僕がここへ来ると、いつも彼らは何かを作って、僕も自分の作品作りに集中したんだ。そうやって彼らとの仲を深めて行ったんだよ。僕と彼らの生い立ちは全く違うけれど、知らない世界への興味が、僕を2人に導いてくれたんだ。たくさんの日本人が彼らについての映画を作っているんだけど、どれも彼らの作品のシリーズとシリーズの類似性に焦点を当てたようなものだった。でもそれを見て、「僕は彼らのもっと違う側面、例えば2人の関係や日常に興味がある」と思ったんだ。

 

映画を観た後に、映画の焦点は乃り子さんだと気付きますよね。どうやって物語を作っていったのですか?

ザッカリー:それには結構時間が掛かったよ。僕らはまず有司男さんの作品に焦点を当てようとして、彼の友人や作家、歴史家にインタビューしていったんだ。彼の作品に基づいた短編映画を作ることも出来たんだけど、乃り子さんの作品とキューティの物語を知って、誰もまだ知らない世界があるんじゃないかって思ったんだ。今まさに変化の過程にいる女性がいるってね。彼らの歩んで来た歴史よりも、僕が興味があったのは彼らの今で、現在動きがあるのは乃り子さんなんだ。彼女はコツコツとずっと作り続けている作品があって、有司男さんに、彼とは全く違うやり方で芸術家として挑戦しようとしている。そして有司男さんは、人生で初めて彼女を芸術家として意識するようになった。映画の中で彼らは2回の展示を行うけれど、僕はそれを物語の軸として使ったんだ。まず有司男さんだけの展示に、乃り子さんはアシスタントとして参加する。でも次には2人はより同等の立場で展示に参加するから、乃り子さんが有司男さんに仕返しをするという展開を作ったんだ。そういうエネルギーも彼らの関係の中にあったからね。乃り子さんは負けたくないという想いを抱いているし、心の中も複雑さ。映画制作者として彼女の内面はとても興味深かったよ。

 

乃り子さんの作品をアニメーションにするひらめきは?

ザッカリー:それは僕がずっとやりたかったことなんだ。乃り子さんの目を通して、芸術を見せたいと思ったからね、まるで彼女の頭の中に潜り込んで過去を見るみたいにね。彼女が過去を誇張してコミカルに再構築する様子を見せるんだ。アニメーションがその要素を引き出してくれたし、継ぎ目もなくなった。彼らの映画みたいな体験が2人の物語の背景になったんだ。アイデアとしては、過去の軌跡やフラッシュバックと似た様な感じさ。観客を彼女の頭の中に連れて行って、作品を違う視点で見せてくれるんだ。もっと言うなら映画を見ながら作り出されたムードやエネルギーでもって彼女の作品を見る感じだね。乃り子さんに見せたら気に入ってくれたよ。本当に喜んでくれて、僕に続ける自信を与えてくれたよ。

 

乃り子さんは映画の中で、不可能なことはたくさんあったけれど、それは彼女にとって必要だったと言いますね。とても印象深いテーマだと感じました。きっとそれはあなたを惹き付けた理由でもあることでしょう。そのテーマについてお話ししていただけますか?

ザッカリー:彼らは僕なんかよりもずっといろんなことをくぐり抜けて来てるから、僕の人生と彼らの人生を比較するのはとても難しいよ。映画を作っていく過程は難しかったけれど、彼らが歩んだ道程には到底及ばないよ。でも衝突はドラマを生み出すし、そこに人も共感すると思うんだ。誰かと一緒になるということがどういうことなのかを理解出来たら、人は有司男さんと乃り子さんの人生に、自分を重ね合わせるはずさ。僕自身もそこに共感するしね。2人の間に何が起こっているのかを知るのに、日本人である必要も、日本や日本の芸術に対する知識を持つ必要もないんだ。

 

この映画は年長の世代の物語ですよね。あなた自身はまだ分からないけれど、心を動かされる点はありますか?

ザッカリー:彼らの慣れ親しんで来た文化は僕の知ってるものとは全く違うし、親密さを伝える仕草や態度も全く違う。僕はきっと愛というものに対してとても単純な見方をしていると思うんだ。西洋的な見方だしね、愛はロマンティックなものだって。ロマンティックな愛を見せることなく、2人はどうして一緒にいるんだろうって僕は思うんだ。どうして2人は一緒なのかというのを探るのはとても面白い過程だったね。でも2人はそれをいろんな形で見せてくれたよ、ごく日常の生活の中でね。その他に何が起こっているのかを探るのは楽しかったよ。もしかしたら僕は理解してないかもしれないけれど、分からないからこそ2人の関係に興味を持つことが出来たんだと思う。他人の人生を記録しようとするとき、自分には理解出来ないものを見つけるんだ。なぜならそこから何か学ぶことが出来るからね。彼らの関係から僕はいろいろ学んだよ。初め僕はどうやって彼らの物語を描いたら良いのか分からなかったんだ。どこから描き始めたら良いのか分からなかったし。だから完成までに5年掛かってしまった。何かが起こるまでじっと忍耐強く待ったんだ。

 

乃り子さんは、有司男さんが言った芸術家の最初の作品はだいたい一番素晴らしい、ということを話しますよね。例えば『二郎は鮨の夢を見る』やこの映画は、努力や続けることも重要であるというテーマを含んでいます。しかし、時間の短縮などに重点が置かれる世の中なので、最近の若者はそういった要素を失いかけている気がします。どう思われますか?

ザッカリー:僕らが生きる社会では、すぐに結果が求められるね。第一印象が一番重要で、早い者勝ちだし、インターネットなどを使って、何でも一番乗りがポップカルチャーの中ではものすごい早さで共有されてしまう。そういう意味では僕は結構古風なのかもしれないな。 短期間の企画はまだ一度も取り組んだことがないからね。今のところ自分のものにするのに、全部長い時間が掛かってる。僕は何事も頑張ってやり遂げようとするんだ。とにかくまず決断するのに時間が掛かってしまってね。早さが要求され、ミーム指向の世の中では、たぶんそれで得することは何もないだろうけど、時間を掛けて取り組んだり考えたりするのが僕なのさ。

 

有司男さんは1969年、そして乃り子さんは72年にニューヨークに来られましたね。その頃のニューヨークの様子を聞かせて下さい。

ノリコ:当時は電灯がもっと少なくて暗くて、建物も古かったし、ワールド・トレード・センターもまだ完成していなかったの。でも何が最も印象的に違ったのかというと、住んでた人の人間性だったのよね。夜中にソーホーのバーに行くと、芸術家やダンサーや俳優たちが働いていて、だいたい3杯目はタダ。そういう店はとても多かった。そんなこと今どき聞かないでしょ?

 

ウシオ:4時から6時くらいまでのハッピーアワーにバーに行くと、食べ物がタダだったんだよ。飲んで、フライドチキン食べて、皆飲酒運転で帰るみたいな。

 

ノリコ:72年の夏に『ゴッドファザー』が日本で公開になって、私はその年の9月に来たんですよ。それでソーホーに行ったら、もう『ゴッドファザー』の世界かと思ってしまうくらいだったの。「ここは一体いつの時代?」っていう風景だった。

 

ウシオ:100年くらい経った建物ばかりだったからね。僕はキャナルストリートとブロードウェイの辺りに住んでたんだけど。チャイナタウンとリトルイタリーがすぐ側でしょ。もう臭くて汚くて、夏は特に酷かったね。でも慣れちゃうんだよね。僕はお酒と、チャンドラーやハメットやミッキー・スピレインの探偵小説が大好きでさ、彼らの作品に出て来るようなバーを探すんだよ。本当にあったもんね、汚ねぇバーが。今はもう昔の影もないよ。

 

この映画は、観終わった後に「ああ、これは乃り子さんについての映画だったのか」っていう印象を受けるんですが、お2人が映画をご覧になったときの反応は?

ウシオ:僕は60年代にモヒカン刈りにしてね、ネオダダとかのスターだったから、僕のワイルドな制作態度と、ボクシング・ペインティングやカラフルな彫刻を見せる、篠原アート中心のドキュメンタリー映画だと思ってたわけよ。でも出来てみたら、ラブストーリーみたいな作風になっててね。僕は終戦が中学一年のときだったから、戦争を知ってる古い世代なんだよ。だからこれは全く予想外だったね。

 

ノリコ:ザックとパトリックが、「ギュウちゃんの人間性は何て素晴らしいんだろう」って言ってたの。でも私は、ギュウちゃんが格好良く見せようとしてるのを知ってたから、2人に私の「キューティ&ブリー」を見せたんですよ。それから彼らの考えがだいぶ変わったみたいで、「キューティ&ブリー」を全部写真に撮ってったの。それから少し経って、それをアニメ化したものをほんのちょっとだけパソコンで見せてくれたんですよ。それが撮影し始めて3年くらい経った頃なんです。だから、私はアニメをどんどん使うということを知っていたし、ザックが私だけを撮りに来たことも何回もあって、彼の焦点が私の方に向かって来ているのを知ってたんです。それにザックは、シンクの中をずっと撮影したり、私が税金の計算してるときなんかも撮影したいって言って来てね、「一体この子は何をしたいんだろう」と思ってたんだけど、私たちの芸術的側面だけじゃないものを彼は撮ろうとしてるということは分かってたから、完成した作品を観たとき、私はそれほど驚かなかったんです。

 

さきほど60年代や70年代のニューヨークの話をして頂きましたが、芸術家としてニューヨークで暮らすのは、今よりももっと自由で生き易かったのかなと印象を受けたんですが…

ノリコ:生き易くはなかったですね。生活はやっぱり苦しいし、簡単なことは何もなかった。寧ろ今よりも難しかったんじゃないかしら。でも70年代の日本人にはみんな連帯感がありましたね。今みたいにインターネットがないでしょ。だから日本の情報がなかなか入って来ないわけじゃない。日本の新聞もなければ、テレビの日本語放送もない。本当に日本の文化に触れる機会が少なかったから、3ヶ月遅れの週刊誌があったら、それをたらい回しにして読んでましたね。

 

ウシオ:やっぱりインターネットがあるとないのとでは生活スタイルが全然違うね。今は社交しなくても情報は入って来るから。当時はね、日本人やアメリカ人を集めてパーティしまくって、毎週のようにやってたね。タダ酒飲めるから行こうってな感じで。今はパーティやるやつあんまりいないね。

 

映画の中に、「芸術家は一番始めに作ったものが一番良い」っていう言葉が出て来ますけど、それとは逆に継続することで生み出されるものってどういうものだと思いますか?

ウシオ:それは僕が言ったことだね。芸術は瞬間的にインスピレーションで湧くものだから、継続からは生まれないね。例えば継続したり、努力して生まれるものがあるんだったら、それを芸術とは呼べないよ。スピルバーグの『ジョーズ』が素晴らしいのは、彼の若さと情熱に溢れていて、黒澤明なんかに影響されて、「何か新しいものを作るぞ!」っていう溜め込んだ想いを全部吐き出したから。僕はあれは詩だと思ってる。何回観ても面白いね。それ以後の彼の作品は、ハリウッドのコマーシャルになってるだけでさ、屁みたいなもんだよ。だから僕の初期の作品にはものすごく良いのがあるよ。ゴヤやピカソなんかが、晩年になってもすごいのは、自分を壊してるから。それが出来るのが天才。ルネッサンスの画家とかにはそういう人がいる。

 

ノリコ:ありがとうございます。じゃあ私天才かな。私の場合は、今まで継続して来て、急に2006年にキューティが生まれたの。しかもそれが私にとって初めてのクリエイションだった。それまでは、古典に近づくためとか、天才画家たちを意識して、彼らを超えることが出来ないから、自分のアートって何だろうとか、自分って一体何だろうとか、自分は本当に芸術家なんだろうっていう疑問がいつもあった。でもキューティを作ってから、心の底から私は芸術家だって感じられるようになったわけ。ギュウちゃんの言い方だと、自分をぶち壊したわけよね。でもそれは継続してたからなの。継続しながらある日、インスピレーションが湧いたの。インスピレーションを受けるためには、継続しなくてはいけなかったの。

 

ウシオ: 自分を打ち壊すと、次の荒野に向かうときに自分が強くなる。人間は変わって行かないとどんどん古くなって行くよ。

 

ノリコ:もっと素直に、私は自分を壊したんだから天才だって言えば良いじゃん。

 

ウシオ:第三者がいるのに女房のことを「天才」だって言ったら笑われるよ。

 

ノリコ:日本の古い「女房のことを褒めちゃいけない」っていう教養があってね…


他人の目線でご自身の人生を見てみて、感じたことは?

ノリコ:私の「キューティ&ブリー」を映画で使ってますよね。それを描いてるときは、私は夢中になってて気付かないんだけど、アニメーションになったものを見ると、「何て私の人生可哀想なんだろう」って思う。映画自体は、私たちの実際の人生以上にきれいになってるなぁと思いましたね。だってもっと現実は厳しかったし、葛藤があったから。ザックは優しいから、それを優しくきれいに作り上げたけどね。

 

息子さんの意見が映画の中になかったんですけど、彼はお2人のことをどのように見てらっしゃるんですか?

ノリコ:彼はね、私たちのことを大変良いアーティストだと思って見てますよ。私たちは、芸術について会話をするし、人生についての会話もする。特に最近は関係が良くなって来てるんですよ。というのも、彼は高校でも大学でも優等生で、 大学を出て初めて社会や人生の厳しさに直面したんです。どうやって画廊に入ったら良いのか、どうやって売ったら良いのか。それは私たちにも教えることは出来ない。私たち自身が分からないから。若いから格好良くも見せたいし、お洒落もしたいはず。今抱えてる苦悩は一生続くのかもしれない、それは私たちも同じ。そういう想いを経験して、芸術一本で行こうと決めるのに彼には時間が掛かった。その間、アル中にもなったりして。でも今は彼も芸術しかないっていうところまで来てる。だから酒も控えるようになった。今は大変良い関係ですよ。

 

有司男さんは商売っ気がないですよね。ビスネスマインドでアートを作ろうとしてる人とは全然違います。そこが魅力だとも思うんですね…

ノリコ:頭が悪いもんですからね。出来ないですそんなビジネスマインドとか。

 

ウシオ:持ってけ泥棒って、タダであげてたからね昔は。作品を気に入られると、僕もその人のことを気に入っちゃって。だから随分損してるし、画廊にも騙されてるよ。でもね、それをいちいち反省しない。良い作品をもっとたくさん作れば良いやって思うんだよ。そうやって意識を変えて自分で克服しないと、あまりにも騙され過ぎてノイローゼになっちゃうよ。

 

ノリコさんは、彼のそういう要素をどう思いますか?

ノリコ:幸せな人生にならないってことは分かってたんだけど、別れようにもJ・F・ケネディ空港に行くお金もなかった。だから別れるってことは、私には最高の贅沢だったのよ。それは私の理想だったんだけど、お金が本当にないもんだから、ひとつ屋根の下に住んで、煮炊きも一緒にしなきゃいけなかった。それが安上がりだからね。別れたら働かなきゃいけないじゃない。働かなきゃ自分の空間を持つことが出来ないし。でも働くってことは芸術を止めると同じことだった。だから仕方がないけど、こんなに汚いところで、こんな最低の人間と暮らさなきゃいけなかった。芸術を続けることの方が大事だったから。

 

ウシオ:インタビューも度重なると本音が出て来るね。

 

text & portrait photos by 岡本太陽

still photos by Radius TWC


“キューティー&ボクサー” 8月16日(金)より劇場公開