Interview

 
 
Place: New York

フィルムメーカーズ・ポートレイト:荻上直子

Naoko Ogigami
アートカテゴリ:  Film

流れに逆らうことは決して楽ではない。しかし多くの芸術家は、流れに反撥することで革新的なスタイルを生み出してきた。映画監督・荻上直子、彼女もまた反撥することで映画作家として大きな跳躍を果たした。観るものを穏やかな気持ちにさせてくれる傑作『かもめ食堂』や『めがね』も、背景には彼女の反撥心があったのはあまり知られていない。その彼女の、世間の期待に添おうとしない意識はどこかネコのような印象さえ与える。また、日本のみならず海外でも映画を撮り、自らの可能性を探求し、常に映画作家として変化し続ける彼女。その自由で真っすぐな精神は、強く作品に満ち溢れている。そこで興味深いのは、彼女のキャラクターたちは楽観的な世界に生きているにも関わらず、どこか孤独感を漂わせていること。だからこそきっと彼女の映画は、ふとした瞬間ネコのように、私たちの側にいて尻尾をくねらせるのかもしれない。

 

 

”現実は大変なことが多いから…

観客や私自身が憧れるような場所や空間を作りたいのかな”


初めて観た映画を覚えてますか?

ちゃんと映画館で観て覚えているのは、両親に連れて行かれた『子供のころ戦争があった』で、私は幼かったんですけど、すごく記憶に残っていて。でもタイトルを覚えていなくて、人に内容を説明しても、誰も分からなくて。大人になってからインターネットで検索し続けてやっと見つけて、新宿のTSUTAYAに1個だけVHSがあったので借りて観たら、自分の中にあった記憶と全く同じで驚きました。でも「初めて映画に感動した」という意味では、13歳のときに初めて自分でお金を払って、映画館で1人で観た『スタンド・バイ・ミー』ですね。

 

この映画がなかったら、映画の世界に足を踏み入れていなかったというような作品はありますか?

私は写真から映画に入っているので、映画を愛して止まないという形でその世界に入ったわけではないんですね。日本の大学の写真学科にいたときに、自分よりうまい人がたくさんいることに気づいていて、これをやっていても私は仕方がないんじゃないかと思ったんです。そして映画だったらもっといろんな仕事があるんじゃないかと思って、南カリフォルニア大学の映画学科に入ったので、映画をたくさん観てきた人たちと違う状況で映画を勉強し始めました。でも勉強し始めたらどんどん映画に魅せられて、面白くなっていくんですけど。南カリフォルニア大学の映画の歴史の授業で、チャン・イーモウの『紅夢』を観たんですが、あまりのビジュアルの美しさに衝撃を受けてしまいました。今思えば、それが映画にのめり込もうと決断したきっかけになった気がします。

 

どうしてアメリカで映画を学ぼうと思われたんですか?

日本では日本映画学校くらいしかなかったので、どうせ映画のことを何も知らないのなら、映画産業がもっと盛んなアメリカの学校で勉強したいなと思いました。南カリフォルニア大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校、ニューヨーク大学に応募したんですけど、合格したのは南カリフォルニア大学だけだったのでそこに行くことに決めました。

 

1994年から2000年までアメリカにいらっしゃいましたが、どういう部分が日本にいたときの自分と大きく変わりましたか?

一番良かったなと思うのは、日本という国を客観視できるようになったことです。以前よりも、より日本の良さを知って映画を作ることができている気がします。

 

荻上さんは、ご自身で脚本を書かれてらっしゃいますね。荻上さんの映画はどこかお伽話のようなところもあると感じますが、どうしてそのようなスタイルに?

ファンタジーだと言われることはよくあります。自分でもそう思うし。どこか現実離れしていて、ありそうだけど実際はないみたいな世界だと思うんです。もしかしたら自分自身がそれを求めているのかもしれないですね。

 

ルイ・マルの1981年の『My Dinner With Andre』っていう映画の中で、映画や舞台を観て、人は厳しい現実をそのまま見せられてしまうと、もう逃げ道がどこにもないんじゃないかと思って、生きる気力をなくしてしまうというニュアンスの台詞があるんです。だから現実とは違う驚きや魔法を見せることで人々の目を覚まさせることができるんだって…

おそらくそういう意識が自分の中にあると思うんです。東京に住んでいて現実は大変なことが多いから、観客や私自身が憧れるような場所や空間を作りたいのかなと。希望が見つけにくい大都会で、少しだけでも希望が見えたら良いなって。そんな風に自分が思いたいから私の映画はそういう作風になっているんだと思います。

 

荻上さんの映画の主人公は、彼らの背景がぼんやり分かる感じにはなっているけれども、はっきりとは分からないという印象を受けます。そういうミステリアスな主人公を描かれるようになったきっかけは?

彼らの背景を映画で提示してしまうと、それこそ現実的になってしまうというか。私自身それはあまり面白くないと感じるし、そこは想像して頂いた方が面白いのではないかと思います。私自身が人と知り合って、その人たちと良い関係を築くために、どんなことをしてきて、どんな彼氏や彼女と付き合ってきたのかは、特に必要な情報じゃないんですよ。それは知らなくても仲良くなれると思うんです。例えば『かもめ食堂』では、主な登場人物たちは友達みたいな関係ですが、互いに寄りかからない関係でいて欲しいなと思っているんです。だからそのためには過去のプライベートな情報は知らなくても良いのかなって。

 

 

”主人公に目標があって、葛藤があるという話のパターンが決まってしまう、

そうじゃないものを作らないといけないと思って脚本を書いたのが

『かもめ食堂』なんです”

 

荻上さんの映画の中で、寂しい人や、疲れた人、また迷いのある人たちがよく登場します。彼らの魅力を教えて下さい。

『かもめ食堂』の場合は、主人公は孤独ではあるんですけど、しっかり自分の生きる道が分かっているんですね。そこに観る人は憧れを持ってしまった。でも実は私、主人公がどこに向かっているのかは分かっていなかったんです。南カリフォルニア大学で主人公は必ず目標があって、その目的を達成するために葛藤を克服して物語が出来るとものすごく叩き込まれました。でも、監督2作目の『恋は五・七・五!』を作ったときに、こういうやり方には限界があると感じてしまったんです。主人公に目標があって、葛藤があるという話のパターンが決まってしまう、そうじゃないものを作らないといけないと思って脚本を書いたのが『かもめ食堂』なんです。

 

けれど主人公に目的がないと、物語を作る上ではとても難しくて、小林聡美さんや原作者の群ようこさんとお話したら、別に目標や葛藤がなくても良いんじゃないか、キャラクターが観客が憧れるような存在であれば物語になるんじゃないかと言われたんです。主人公のあり方には未だに悩みますね。

 

では『かもめ食堂』は、築き上げられたものが崩れたときに出来たんですね。

でも海外の人にはストーリーがないって言われるんですよ。日本人の女性には受けるんですけど、海外では厳しい意見をいただきました。

 

荻上さんの映画の中に出来る男が出て来ないことに気づきました。また、世間一般では女性よりも男性の方が変態でスケベというステレオタイプがあると思うんですけど、荻上さんの映画の中では、寧ろ女性が変態的なことを言ってみたりするんですよね。なので、荻上さんの理想がキャラクターに反映されてるのかなと…

もうその通りだと思います。私本当にナヨナヨした人とか、世間的にはダメなレッテルを貼られてるような人をチャーミングだと思っていて、そういう人に惹かれるんですね。だから男の人に関しては、自分の好みはすごく出ていると思います。

 

女性に関してはどうですか?

たぶんそれは自分なんです。だから私変態なんだと思う。自分をキャラクターに投影しているから、彼らは仕事をしているし、次のステップが何なのか分かっている。そういう人に私自身も憧れるし、描きたいんです。

 

それに、なんとなく女性のしきたりの中に男性がいるような感じがするんですよ。

それは面白い。私ね、高校3年間が地獄のような全寮制の学校だったんですね。もう刑務所みたいな感じ。毎日朝6時半に起きて、掃除して、ジョギングして、日の丸を揚げながら、君が代を歌うみたいな。全部スケジュールが決まっていて、自由な時間がほとんどない。その学校自体が超女性差別的で、女の子だけに配膳係や、やらなきゃいけない掃除があったりして、もう思い出したくもない3年間になってしまったんです。卒業以降は、当時仲の良かった友達とも一切連絡を絶ってしまって、もちろん2度と学校に足を踏み入れたいと思ったこともなかった。あれは人生の最低のラインに位置するくらいの思い出なんです。「お前は女なんだからこれをしなきゃいけない」というような、古い風習みたいなものを3年間言われ続け、その反動で芯の強い女性を描くというスタイルになったんだと思います。

 

荻上さんの映画の中で、おもてなし精神みたいなものが描かれていると思うんですけど、それはどうやって生まれたと思いますか?

たぶんそれは自分にそういう要素が全くないからだと思うんです。『かもめ食堂』でいうと、小林聡美さんって性格ももちろん素敵なんですけど、ちゃんと朝起きて掃除したり、コップを置くのもすごく丁寧で、美しい佇まいの方なんですね。私は真逆で、朝は起きられないし、酒は飲むし、酒飲んで年上のプロデューサーに喧嘩吹っかけたりもするから、私が素敵だと感じるものをもっと見せたいなと思うんですよ。そういうきれいに、丁寧にっていう要素がおもてなしに繋がって行ったのかなと思います。

 

 

“『かもめ』がヒットして、『めがね』もそこそこお客さんが入って、

ものすごく自分に色が付いてしまった気がしたんですよ”

 

『かもめ食堂』と『めがね』に触れたいんですけど、『かもめ』のサチエはさっきもおっしゃってたように自分をすごく持っている、でも頑固じゃなくて結構ノリが良かったりもする。でも『めがね』のタエコは、ああいうゆったりした場所にいながら、愛嬌がなく煩わされたくないという想いが強くあります。『かもめ』と『めがね』の間にご自身のどういう変化がありましたか?

『かもめ』と『めがね』は同じチームで作ったんですけど、その後私はチームを離れているんですよ。私は、『かもめ』のときにもうすでにチームを抜ける決意をしていたんですけど、メインのプロデューサーからもう1本映画を作ろうと言われて、それを断り続けていたんですね。彼女は、私抜きでも小林さんでもう1本映画を撮ろうとしてたんですけど、脚本家の方が間に合わず、脚本だけ書いてくれと頼まれて書いたのが『めがね』でした。結局「こんな面白いの書いて、監督しなくて良いのかよ」と煽てられて、監督もやることになりました。彼らはその後も同じチームで映画を撮っていますが、私は何が何でもやらないつもりで、断り続けて今アメリカにいるみたいな。

 

それほどまでに断り続けた理由は?

『かもめ』がヒットして、『めがね』もそこそこお客さんが入って、ものすごく自分に色が付いてしまった気がしたんですよ。これ以上やったら人は私のことを小林さんともたいさんとしか仕事をしないという先入観を持って見てしまうと危機感がありました。3つ目を作ってしまったら私の色が固まってしまうと思ったので、それは自分で勇気を持って絶対に阻止しなければいけないと決めて、事ある度に断ってきたんです。

 

『トイレット』や『レンタネコ』で、人が亡くなる喪失感が描かれていましたが、それを描いた理由は?

実は、『めがね』と『トイレット』の間に大好きだった猫が死んでるんですよ。自分では気づいてなかったんですけど、私どうもペットロス状態だったみたいで、仕事のオファーとかも全部断っていたんです。ちょっとしたエッセイを書いたり、取材を受けたりしていましたが、映画やテレビ、コマーシャルのようなお仕事は全くやらなかったんです。そして、3年くらい経ったある朝、ふと「やばい最近私何もしてない」と気づいたんです。それで脚本を書き始めたのが『トイレット』でした。だから喪失感が作品に反映されてるのかもしれないですね。猫と人間を比べてしまってはいけないのかもしれないけれど、大切なものは猫も人間も私は変わらないと思ってます。

 

『かもめ食堂』も『トイレット』も海外で撮影されてますが、異文化の地で映画を作るということをどう感じてらっしゃいますか?

映画を作る人たちの言語は、フィンランドでもカナダでも日本でもほとんど変わらないんですね。だから良いスタッフを集めればどこででも映画が撮れると気づきました。プロとして何年も経験を積んできていると、作る過程とか考えることとか同じだから、例えば次にどこにカメラを置けば良いのか分かるんですよ。言葉や文化が違っても、映画という目的に向かって動く感じがとても心地良かったし面白かったです。

 

 

”人が私に持つイメージをどんどん排除して行きたいと思うようになったんです”

 

荻上さんの映画の中で料理が豊かに描かれることが多かったと思うんですけど、『レンタネコ』には、料理を豊かに描くシーンが出ませんでしたよね。気持ちの切り替えみたいなものがあったんですか?

『かもめ』と『めがね』を作った後から「癒し系」と言われ始めたんです。必ず料理がおいしそうだって言われるし。だから人が私に持つイメージをどんどん排除して行きたいと思うようになったんですよ。私はひねくれ者なので、人が期待することとは違うことがやりたい。料理がおいしそうと言われると、じゃあ次は料理無しにしてみようかなと考えてしまいます。でも『レンタネコ』を作っても、未だに癒されると言われるんですよ。

 

今まで作って来たものと同じようなものは作りたくないから、いろいろチャレンジしてみたいですね。同じことをやりたいんだったら、そのまま『かもめ』チームにいれば良かった訳だけれど、わざわざエネルギーを使ってそこから離れたので、全然違うことにチャレンジしてみたいなと思います。

 

荻上さんの作品ってどこか旅を連想させるんですけど、旅はお好きですか?

旅は大好きです。映画祭に呼ばれたときに、ついでにどこか行ったりとかよくあります。今は子供がいるのでなかなか出来てないんですが、理由を付けてはどこか行ってますね。

 

今までで気に入った場所ってありますか?

いや〜、私お酒が飲めればどこでも良いので。そういう意味では、ローマとバルセロナはお酒が安かったし、おいしかったです。タイのビールもおいしかったし。だから私の旅はお酒と繋がってるんですよ。

 

たしか都会が舞台の作品ってまだないですよね。ビルが映りませんよね。

ないですね。でも『レンタネコ』は東京で撮ったんですよ。そんな風に見えないですよね。主人公が住んでる平屋の1軒家は四谷かなんかのど真ん中にあって、周りはビルばっかりなんですよ。あそこだけポツンと残っていて。でも壊されてしまったんです。庭が広くて良いとこだったんですけどね。

 

 

”年を重ねるにつれて、

自分よりも大切なものができるということは

エゴイストな私にとってどういうことなんだろうって感じ始めたんです”

 

現在小さいお子さんいらっしゃいますけど、子供ができて変わったことは?

子供はかわいいし大好きだけど、子供がいるから、今まで通り脚本を書く時間が取れないんです。書きたくて書きたくて仕方がないからすごくもどかしくて。だからアメリカにいたこの1年は、書きたくて仕方がない自分を見つけられて有意義だったなと感じてます。

 

そんな書きたくて仕方のない荻上さんが、どうして子供を持つことに興味を持たれたのでしょうか?

やっぱり映画監督になるくらいなので、私はきっとものすごくエゴが強いですよ。自分で決めたことは必ず実行したいし。自分が1番大切で、自分のことしか考えてなくて、もしかしたら人を傷つけたかもしれない。でも年を重ねるにつれて、自分よりも大切なものができるというのはエゴイストな私にとってどういうことなんだろうって感じ始めたんです。こんな私が変われるのかもしれないって。

 

この1年アメリカにいらっしゃいましたが 、育つのが楽しみな種を植えることが出来ましたか?

今回私、脚本を友人の映画監督のために書いていたんですね。でも第1稿ができて送ったら、「これさ、すごく面白かったけど、僕じゃなくて君が監督するべきだよ」って言われてしまったんです。書いている途中で何となくそのことに気づいていたんですが、結局自分のための脚本を書いてしまいました。人のための脚本というのを意識して書くべきだったなと、今感じているところです。それに気づくのに1年経っちゃったのがすごく残念なんですけど。でもやっぱり経験しないと分からないこともありますよね。

 

text, interview & photos by 岡本太陽