Interview

 
 
Place: New York

映画『ハンター』

Daniel Nettheim, Willem Defoe
アートカテゴリ:  Film

 

人にとって孤独との戦いほど壮絶なものはない。孤独は常に心の奥に存在し、時に顔を出しては人の心をかき乱すものだ。しかし、孤独は時として人に生きる動機を与え、人生をやり直す機会を与え、人生の別段階に導いてくれることもある。オーストラリア人監督ダニエル・ネットハイムが監督した映画『ハンター』は、心を閉ざした孤独な男が、異国の地タスマニアでまた心が開くのを待ちつつ、自分と向き合う旅を綴った作品だ。

 

マーティン(ウィレム・デフォー)は、絶滅したといわれている伝説のタスマニアタイガーを探すためにタスマニアへ送られる傭兵である。彼は科学者を装って農家に滞在することになるが、その家の父親は行方不明だという。タスマニアの、深く時には厳しい自然に囲まれた奥地で、マーティンは彼を無条件に受け入れる人々や、タスマニアの地そのものとのつながりを持ち始める。

 

マーティンは過去のおこないにより、心に深い傷を負った孤独な男。しかし、美しく、かつ神秘的なその場所に留まることで、彼自身の存在がやがて塵のように小さく感じられてしまう。それはまるで彼の抱える傷も自然の力によって消されてしまうかのように。また、人間と心を通わすことで、初めて彼は哀れみや、弱さ、脆さなどといった面までも持ち始める。しかし物語が展開していく過程で、人間が生み出す暴力が彼を危険に陥れてしまう。努力家でなお多才な俳優ウィレム・デフォーが、そんなマーティンに生命を吹き込んだ。

 

マーティンの旅は回避を免れない変化をもたらす。タスマニアタイガーを見つけ出すことは彼にとってはただの仕事。しかしそれは、彼の心の旅の中でその意味すら変えてしまう。果たして彼は、また私たちは、人生を再起するチャンスを得ることができるのであろうか? 彼にとってタスマニアへの旅は単なる偶然でしかなかった。しかし、この偶然はきっと運命であり、彼が過去におこなったこと、そしてこれから彼に起こること、それからは全て繋がっているのかもしれない。そこには偶然という言葉などないのであろう。ひとりの男の物語を通して、静かで上質なダニエル・ネットハイム監督の語り口は、そんなことを囁いているようだ。

 

映画のどの部分に一番思い入れがありますか?

 

ダニエル・ネットハイム:何よりもまず景色だね。脚本の情景描写がとても美しかったんだ。タスマニアに行ったことはあったから、どんな風景なのか少し知っていたんだけれど、あそこは今まであまり撮影に使われることはなかったんだよ。

 

タスマニアの景色は息を呑むほどの美しさですよね。監督として、あの地形での撮影は大変でしたか?

 

DN:タスマニアの気候について忠告をする人はいたけどね。たった一時間で四季をで経験することもあるとか。撮影監督はそこで以前にも撮影をしたことがあって、早い段階で「ひとつのシーンの中で一定の光を長時間保つことは不可能だ」と言っていたよ。 だから故意に屋外では長い会話のシーンを撮らなかったんだ。撮影をはじめたときは晴れでも、結局雨になることもあるからね。映画中の吹雪のシーンがあるけれど、始めあれは雪が降るのを待っていたんだ。全く予想外だったね。あの日は朝まで晴れていたんだよ。昼頃に雨雲に気付いて、30分後にはもう雪が降りだしてね、だから「よし、皆、午後の予定は中断しよう。雪のシーンに変更だ」って指示を出したんだ。撮影隊の一員として、天候の変化をちゃんと読み取らなきゃいけなかったんだ。映画制作者は、できるだけたくさんのことをコントロールしなきゃいけないけど、天候、特にタスマニアのはだけはどうにもいかなくて、こっちが相手の変化をいなす他なかった。そういうわけで、ウィレムの衣装に関しては、彼がハンティングをしている時は、特定の衣装のみを用意することにしたんだ。そうすれば、天候の変化によって衣装の入れ替えが素早くできるだけでなくて、映画の編集中もどのシーンでも使うことが可能だったんだ。

 

映画の最後に出てくるタスマニアタイガーの記録映像について聞かせてください。

 

DN:あれはとても有名な記録映像で、タスマニアタイガーがまだ生きていたときに撮られた、 おそらく8〜10分ほどの、世界に現存するものなんだ。この記録映像は、ホバート美術館と、国立映画・録音物資料館から借りたものだから、両方に許可をとりにいかなきゃならならなかった。彼らは最高画質のものを送ってくれたと言っていたんだけど、蓋を開けてみるとものすごく質の悪いものだったんだ。要は解像度の低いデジタル映像だったわけだ。だから実際はここからが大仕事で、彼らにまたオリジナルの16ミリのフィルムを送り直してもらって、新しく高解像度のデジタル映像を作ったんだ。1930年以降、この日まで誰もタスマニアタイガーのあんな映像を見た人はいないと思うよ。

 

タスマニアで産業と環境が釣り合いを持っていくことは可能だと思いますか?

 

ダニエル:僕は可能だと思うよ。おそらく、アメリカ合衆国のような場所では、植林用の森林があるし、林材産業は持続可能でしょう。それからタスマニアは、地図を見れば気付くと思うけれど、島の三分の一は世界遺産や国立公園なんだ。これらに産業の手が入り込むことはないはずだよ。でもそういった国立公園のような場所と産業がぶつかり合っているような場所では、境界線は常に移動させられているよ。そこでは、政府によって小さな古い森林の一区画が伐木搬出業者に配分され、トイレットペーパーになる。そして二度とその森林が再生することはない。それが環境と産業のぶつかり合う場所で起こっていてさらに過熱化しているよ。その議論は実に感情的でもあるんだ。私たちは双方の側と話をする機会を持ったけれど、彼らの意見は実に明確だった。そして双方を映画の中で描こうと決断し、彼らの姿を公平に見せるように努めたんだ。もちろんその論争について僕には自分の意見がある。僕らがタスマニアにいた時、一時的に彼らの争いが停戦したかと思えた時があったんだ。でもまた振り出しに戻ってしまったみたいだけどね。

 

ウィレムは一緒に仕事をするにはとても魅力的な俳優だと思います。彼の仕事に対するアプローチはいかがでしたか?

 

DN:ウィレムは全てのことをどうしても自分でやりたいと言っていたよ。例えば、彼はスタントマン無しで重いリュックをいつも運んでいたし、ヘリコプターでの空撮のシーンでは、こんなに小さくしか映らないのに、絶対に他の人にはやらせなかった。壮観なヘリコプターのシーンでも、彼は僕たちの姿など見えやしないのに、トランシーバーを持ち、 僕たちがヘリコプターから「じゃあ今あの丘に向かっているからそれに向かって歩き始めてくれ。」と言うと、彼はこう言うんだ「どの丘だって?それに君たちがどこにいるか分からないよ」って、そして僕らは言うんだ「そのまま歩き続けてくれ」って。彼は言われた通りにやってくれたよ。でもあそこの地面はとても歩くには困難だし、ぬかるみが深くてヒルもいるんだ。ボタン草の茂みはさらに歩きづらくさせていたしね。でも彼はまるで本物の傭兵のようだった。そして彼が僕たちを心から信頼してくれたことに感動したよ。

 

映画が伝える「人間」対「自然の物語」というテーマについてどう思いますか?中盤からはそのテーマも変化しますよね。

 

ダニエル:やっぱり何が面白いかって、最初は「人間」対「自然の物語」なんだけど、最終的には「主人公」対「彼自身」という物語になってしまうことなんだよね。この映画は、自然と関わりを持つ仕事をしている男の話で、彼はハンターなんだけれど、ウィレムの映画のためのトレーニングでも、いかに動物に気付かれずに自然の中を動くかや、周りにある材料だけでどうやって罠を仕掛けるかなんかを学んだんだよ。だからある意味矛盾していてところもあるんだ。なぜなら彼は自然を理解していて、動物のように物事を考えているのだけれど、同時に彼の仕事は自然を破壊することでもある。つまり僕たちがこの映画を通して伝えたかったことは、人間と自然環境との間に常に存在する簡単には答えを出せない関係性なんだ。タスマニアタイガーに実際に起こったことは歴史的な実例であり、でもこの話に終わりはなく、映画の中にあるような原生林を守る戦いはこれからも続くだろうし、伐採する側と環境を守ろうとする側の戦いも続いていく。

 

マーティンのように孤立することを選ぶ人っていつの時代もいると思うんです。人は時に他者から離れたいと思うこともあるでしょう。でも時にはそこからの変化も求めると思うんですが、監督はこの件についてどう思われますか?

 

DN:本の中で印象強かったことがあるんだけれど、それはこの主人公が何らかの理由で自身を閉ざしてしまったことなんだ。彼はひとりで自然の中でいると落ち着くんだよ。そういう側面に僕自身も共感しているんだ。時にひとりの時間を過ごすことって最高だし、でも僕はほとんどの人は社会のルールに沿って生きているってことも分かっている。この人物はそうではない道を選んだんだね。ウィレムと僕は主人公が避けている痛みや、彼に何があってあのような人物になったのかってことについて話はしなかったよ。心理的な理由探しはせず、心を閉ざした人物がいるというところから話は始まって、それが展開していく中で彼がいかに可能性に自分自身を開いていき、新しい人間へと生まれ変わり始めることが描きたかったからね。その過程の中で彼は、もちろん凄まじい痛みや大きな損失も被る。でもそれは人間なら誰だって同じことなんだよ。

 

タスマニアでの経験について教えてください。

 

ウィレム・デフォー:タスマニアの天気は本当に気まぐれだった。とても寒く、雪が降ったかと思えば、2時間後には晴れて暖かくなったりする。多くの場合、標高が関係していたはずだけど、移動もよくしていたからね。天気にはまぁ手を焼いたね。特に自然の中での撮影は、天気と自然、両方と演技をしなきゃならない。(自然は)本当に人間の手には負えないよ。だから柔軟性が大事なんだ。語りたい物語があったとしても、天気や自然の中で常にそれを調節する必要があるんだよ。だからそこには探検というものの持つエネルギー、好奇心や課題といったものが詰まっていたよ。僕は小さなチームとそこにいたから、そのこともタスマニアタイガー狩りをする役作りのためになったよ。僕はここ何年も色んなジャングルに足を運んでるんだけど、ジャングルって知れば知る程、結局のところみんな同じなんだ。自然がコントロールを失った結果さ。

 

あなたの動きはとても自然に見えましたが、狩りの経験があるのですか?

 

WD:僕はウィスコンシンで育ったんだ。そこでは鹿狩りがとても盛んでね。鹿狩りに行くのが父と息子の風習みたいなものだったんだ。週の終わりには牡鹿を車のボンネットに載せて、クラクションを鳴らしながらメインストリートを上へ下へと走るのさ。ちょっと原始的ではあったけどね。でも僕の父は狩りはやらなかったから、クラスの男友達がみんな許可をもらって鹿狩りに行っても、僕は女の子たちとクラスに残っていたんだ。年をとってから、それも悪くないかなと思うようになったんだけどね。

 

子供達と一緒に仕事をすることについてですが、役のために子供達と距離を保つのはとても難しかったそうですね。

 

WD:セットではそういうこともなかったんだけど、撮影中はそうだったね。というのも、彼らは可愛い子供達で、役者でもある。でもやっぱり子供なんだ。サスを演じたモルガナ・デイヴィスが、演技経験があって人気もあるからといって、繰り返し同じことができる訓練された役者ではないんだ。だからあるシーンを撮るときは、どうにかして役を演じさせなくちゃならない。でもそんなことをやってると彼らの可愛さにメロメロになってしまうんだ。そして自分の中に父親みたいな感情が芽生えてしまったものだから、「あ〜、余計な感情は持っちゃだめだ」って思ったんだ。あまりに彼らとの関係が良いものになってしまったら、撮影はいつまで経っても終わらないからね。

 

映画は人間の感情の変化を題材としていますが、役に実際に影響されましたか?

 

WD:面白いことに、歳を重ねるごとに役に影響されやすくなってきているね。昔はカットの声が掛かると、役は消えてしまうって言っていたんだけれど、でも今はちょっと違うんだ。今回みたいな役って、ただ撮影をしているというか、何日もずっと撮影ばかりでそれ以外のことはほとんど何もやらない。だからその期間は完全に役に没頭して役が自分に乗り移って、役が自分自身になってしまうんだ。とりわけ普段の自分を思い起こさせるようなものが何も無い場所で仕事するときはね。 僕たちは人里離れた地域で撮影をしていたから、まるで自分がこの世に存在していないかのようだったよ。変かもしれないけれど、自分のマインドを柔軟にすることが変化を導くと思うんだ。そしてその変化は自分の中の深いところでも起こりうる。怖い意味じゃなくてね。これが役者であることの喜びなんだ。

 

あなたは今回のような説得力あるインディペンデント映画の役に魅了されているようですが、それは舞台演劇をやっていた経歴と関係しているのですか?

 

WD:そうだろうね。それにインディペンデント映画では、自分のものは自分で用意するし、役者用のトレーラーもないよ。そういったことが演劇から育まれたんだ。人の前で役を演じながらトイレ掃除もしていた。また同じことはやりたくないけど、あの経験が役に立ったと思ってるよ。物語に限らず、いろんなことに責任がある。もっと商業的で、組織化した場所ではいろんな制限や壁がある。そこでは自由に身動きがとれないものなのさ。

 

 

text by Taiyo Okamoto

translation by Saho Inoue