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Place: New York

写真家・森山大道 不変の作家性に見る生き方

森山大道
アートカテゴリ:  Photo

1960年代後半から70年代にかけ、モノクロのブレた写真やピンボケの写真で、一躍写真界の寵児となった森山大道。それまでの写真の常識を覆し、スナップショットをアート作品へと昇華させた。今回森山は、1999年に、ニューヨークのジャパン・ソサエティで行なわれた展示以来となる、「Printing Show – TKY」と題された、アパーチャー・ギャラリーでの展示(2011年11月7日から12月1日まで)のため、再びこの地を訪れた。展示会開催を間近に控えた11月3日、ニューヨーカーのためにジャパン・ソサエティで講演を行った。

森山が、画家の横尾忠則に誘われて初めてニューヨークを訪れたのは、いまからちょうど40年前の1971年。一ヶ月の滞在中、街に多くの刺激を受け、以後彼は度々ニューヨークを訪れている。

都会にこだわる写真家として知られる森山だが、彼の捉える瞬間には、実に様々なものが入り込み、特に恐怖と興奮が融合し、色っぽさが醸し出される。森山は「東京も含めて、世界の都市にはいろんな要素がある。例えばいろんな種類の人間やものが混在しており、それらが基になってその都市都市のオリジナルの風景がある。いろんなものが混ざっている場所が、僕がカメラを向ける場所」と言う。都会にはあらゆる刺激が密集し、そこには彼の心を突き動かす要素が溢れているのだ。

森山が影響を受けた写真家のひとりにウィリアム・クラインがいる。写真が何なのか模索していた時期に出会った、クラインの1956年の写真集「ニューヨーク」について彼はこう語る。「彼の作品に出会って、計り知れない衝撃を受けました。それは写真とは何かを問いかけた写真集であり、さらには格好良さがあった。その当時、日本には意味や目的を明確にさせようとする写真への風潮がありましたが、彼の写真にはそれが全くなく、インパクトだけがダイレクトに伝わってきました。彼の写真集に影響されてほんとうに良かったと思っています」。

また、森山は1972年に刊行された写真集「写真よさようなら」に代表されるように、ギャラリーでの展示よりも写真集作りを好む写真家としても知られている。20世紀の発表された写真集の中でも、極めて急進的なビジュアルアートとなった「写真よさようなら」については、こんな風に語っている。「あの頃は、写真と自分との距離が一番取りにくい時期で、自分の撮っている写真も、他の人の写真も疑っている時期でした。もし写真というものに果てがあるなら、そこまで連れて行って欲しいと思っていて、あの写真集は観念的にできたものではなく、もっと肉体的に作られたものです」

社会のデジタル化の潮流にあって、写真も映像同様、その影響を強く受けている昨今。写真集作りを愛する森山は、この社会の流れについて次のように語っている。「古いかもしれないけれど、僕にとっては写真を印刷機に通すことは一種の快感でもあるんです。だからやはり写真集というものは僕の唯一の自己表現なんです」。世の中のデジタル化が進むにつれ、写真を志す学生すら印刷を学ばない者が増える中、森山は、印刷することこそに写真の真髄がある、と強く信じ続けているのだ。

荒木経惟などと同じく、森山の写真に特徴的な要素は、映すものに結論を見出さないということ。彼は写真をどのように受け止めているのだろうか。

「僕はまず写真は記録であるという意識があります。もっと素朴に言うと、自分の見てきたもの、それと関わってきた時間との“想い出”なんです。また写真というものは当然“今”。今を映すということは過去へも繋がっていくし、未来をも予感する。過去と未来の丁度真ん中の地点に一枚一枚の写真は成立しています。だから例え記録と言っても、すべて自分自身の個人的な記録だけではなく、世界そのものが持っている記録、そして記憶だと思っています」

多くのドキュメンタリー映像作家や写真家が、東日本大震災の爪痕を記録する中、写真を記録と捉える森山は、写真家としてそれを記録することに対して次のように述べている。「僕はすぐには撮らないと決めたので、まだ一枚も撮っていません。なぜなら、僕は現場へ行くと絶対に自己表現したくなるんです。しかし、今回のことに関してはそれはやりたくなかった。僕は何十年もいろんな場所で撮っています。現場に行けばいろんな想いが巡ります。でもそういう風にして撮りたくはなかったというのが、僕の狭い考え方です」。自らの心を貫く生きざまがその言葉にあった。

 

text by 岡本太陽

森山大道オフィシャルサイト