Interview

 
 
Place: New York

映画監督・大宮浩一   『無常素描』で映画の可能性を模索する

大宮浩一
アートカテゴリ:  Film

2011年3月11日 ー 日本は大きな衝撃を受けた。映像作家・大宮浩一は、まだ東日本大震災による爪痕が生々しく残る東北地方で、この出来事をを忘れないため、そしてそれを受け入れるため、カメラを回し、監督第三作目『無常素描(むじょうそびょう)』を無我夢中で作り上げた。

映画の中で、福聚寺(ふくじゅうじ)住職の玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)は、震災について「無常としか言いようがない」と語っている。『無常素描』というタイトルも、住職の言ったこの言葉から付けられた。

音楽もナレーションもない本作。カメラは津波によって陸に乗り上げた巨大な船や、破壊された家々、瓦礫の荒野と化した東北地方沿岸の町の風景を映す。まるでスケッチをするかのように。大宮氏が本作で試みたことは、ありのままの被災地の様子 ー 被災者の居場所を記録することだった。

大宮氏は被災者にインタビューを行なっている。老若男女問わず彼らは冷静で、時折顔から笑みが浮かぶ。カメラは話し終わった後も彼らの表情をじっくり撮り続ける。カメラから視線を落とし、何か言いたげで、頭の中で考えを巡らせているようにも見える。その表情からは“無言の言葉”がこぼれ出す。

『ただいま、それぞれの居場所』と『9月11日』では、介護の現場を舞台としたドキュメンタリー映画を撮った大宮氏。しかし、舞台が介護の現場であろうと、震災による被災地であろうと、彼は強いエンパシー(社会的立場や理由を越えた共感)を被写体に向ける。

『無常素描』は被災者の気持ちを代弁しない。大宮氏が自らの観点を作品に入れ込まなかったのは、ドイツ人映画監督ヴェルナー・ヘルツォークのように、彼が人の気持ちや状況を敏感に感じているからこそ。そして映画の可能性を信じているからこそだろう。

「Dialogue of Cultures International Film Festival」(ダイアローグ・オブ・カルチャーズ・インターナショナル・フィルム・フェスティバル)のクロージング作品である『無常素描』の上映のため、ニューヨークを訪れた大宮氏が、作品について語った。

これまで介護に関するドキュメンタリー作品を監督されていますが、まずはこの
『無常素描』を撮るきっかけについて教えていただけますか?
3月11日は、新しい介護のシリーズを撮影中でした。そこでたまたま岩手県の宮古に知り合いの介護施設長がおり、彼に連絡がつかなくなってしまったので、彼と彼の施設の安否確認、そして撮影のため、震災後10日程のうちに宮古へ向かいました。幸い彼らと会うことはできたのですが、その時に被災地を撮影することはほとんどできず、当初予定していた5日程の撮影を1日だけで済ませ、東京に逃げるように引き返しました。それから『無常素描』の撮影に再び行くまでの1ヶ月間、電気の消えた空気の暗い東京で、どうして被災地に留まることができなかったのかという悶々とした気持ちを抱いていました。その間、西で仕事をすることがあり、被災地から距離が離れるにつれて人々の震災に対する関心の度合いがどんどん薄れていくことにも気付きました。わたしの中でも月日が経てば記憶は薄れていくだろうし、でもわたしは東北で育った者として、その速度を緩めるという意味でも、やはり映画として記録しなくてはと決意し、4月の末から4日間程、被災地で撮影を行ないました。

撮影はどこで行なったのですか?特に映画の中で地名を出していませんが、岩手県の大槌町(おおつちちょう)を最北端にし、そこから宮城県の方に沿岸部を南下して行きました。最後に、福島県の内陸に入り、映画の中に出演していただいた玄侑宗久さんのお寺にお邪魔しました。

画面一杯に瓦礫の山が広がっていたり、大きな船が陸に乗り上げていたりという光景が非常に衝撃的なのですが、その現場に降り立ったときの大宮さんの映像作家としての使命感とは?震災直後に被災地に身を置いた経験があるので、はじめは免疫があると思っていたんです。しかし、やはり現場はそんなに生易しいものではなく、逃げ出したいけれど出口のない場所に来てしまった、という感覚を覚えました。例えば、もし写真や映画がいまの世の中に存在していなかったとしたら、おそらく画家があれを忠実にスケッチしたと思うんです。そうすると、具象のはずなのに、とても抽象画になってしまう。ほんとうにアヴァンギャルドな、どうしてビルの上に車と船が並んで乗っているんだ、こんなのは現実にあるわけないじゃないか、と。これはしばらくしてからなんですが、船が海を静かに渡っていたんです。それを見たときに、一瞬違和感があったんです。でもその直後に、船は海にあるものなんだ、と気付きました。ずっと陸に乗り上げている船を見続けていたので、知らず知らずのうちに自分の中の感覚が麻痺していたのを実感しました。

概念を覆されるほどの体験だったんですね。そうですね、2度目だったとはいえ強烈でしたね。

被災地の方にインタビューをされていましたが、他のドキュメンタリー映画などに比
べるとインタビューがわりと少なめな印象を受けたんですが、理由はあったのですか?
わたしの中では、玄侑さんも含めて、人の言葉を全て外し、全部実景だけで良いのではと思ったこともあったんです。しかし、わたしは結果的に、作品が残って記録になるのであれば、やはり東北の人々の50日目の声というものを入れなければと思いました。『無常素描』は、出口や結論に向かっていく映画ではないと思っていたので、被災者の方に何かを聞くというわけではなく、マイクを持って一緒に佇んで撮影させていただいたんです。そうしながら、いろいろと語ってくれたことを映画の中で使わせていただいています。今回の映画祭のタイトルは「Dialogue of Cultures(ダイアローグ・オブ・カルチャー)」なんですが、被災者の言葉は決して僕とのダイアローグ(会話)ではなく、モノローグ(独白)なんです。やはりみなさん自分に語りかけているんですよね。それをわたしたちが映画にさせていただいたことで、モノローグからダイアローグに、それがコミュニケーションのきっかけのひとつになることができれば、もしかしたらそこに映画という可能性があるのではと思いました。それはこの映画祭のタイトルからわたしがイメージしたことなんです。

インタビューが終わった後に、すぐカットするわけではなく、人々の無言の表情を
映されていましたが、伝わってきたものはありましたか?
今回に限らず、わたしは人が話し始める瞬間や後が映画だと思っているんです。彼らが言い淀んでいる時間や、言い終わった後の表情というものにわたしはすごく興味があって。彼らがわたしたちに吐き出すことで、少し落ち着いてくれたのか、ほんとうのことを言ってくれたのか、もしくはちょっと脚色したのかということが、もしかしたら言い終わったあとの表情で、観る人には伝わるのかもしれないと思ったんです。例えば、コメントの始めから終わりまでだと、おそらく活字の媒体のほうが強いと思うんですよ。映像作家としての可能性というのは、文字では表現の難しいその前後だと、わたしは思うのです。

玄侑さんは、どうやって映画に出演されることになられたのですか?今回は、介護の映画で知り合った医師の方と一緒に行動しており、彼は玄侑さんとは面識はなかったようですが、彼が玄侑さんとコンタクトをとっていたんです。ただ玄侑さんは福島県の内陸のお住まいなので、津波の被害者ではないのですが、放射能の被災者ではあるんです。そこで、被災されたお坊さんとしてインタビューをさせていただきました。

映画の中で玄侑さんが、「経済的に発達していなかったからこそ東北地方で守られていたもの」について語られていましたが、大宮さんはその土地に行かれて、日本社会に対するまなざしは変わりましたか?わたしの中ではそこに行ったから変わったということはなかったのですが、ここ2、3年ずっと日本社会は限界にきているなと感じていました、対処療法でしか対応できなくなってしまっているなと。年金や相撲の八百長問題など、さまざまな問題があるのですが、根っこの部分はみな同じで、いまの制度では適応できなくなってしまっていると思います。それがわたしの介護についての作品のテーマのひとつでもあるんです。

この映画祭は、グローバル化による影響についての映画祭なんですが、例えば、『無
常素描』の中に外国の人が出てきたりするように、多くの人が行きたい所に行けて、その土地の文化に触れることが可能なんですが、良いことも悪いことも含め、グローバル化について考えた時、どういう感想をお持ちになられますか?
どうしてもグローバル化というと経済的な視点が優先されますが、人の移動も含めて、その土地の文化を淘汰するのではなく、全面的に受け入れる姿勢が、動く側の節度だと思っています。移民の方々に関して言えば、受け入れる側が彼らを全面的に受け入れる、というのがグローバル化に繋がるんだと思います。全面的にという言葉が最近気になっていて、今回の震災に関しては、わたしたちが受け入れる前に、まず「頑張ろう日本」と声を出しているように感じていました。もちろん早急な経済的支援のために、義援金を集めることがもちろん大切なのですが、まずは受け入れるために理解する必要があると思うんです。そうでなくては義援金をあげたからもう終わり、という一方通行状態になってしまう。また、ボランティアに行った人は、受け入れるために、だまって頷いて話を聞くことがまず最初の一歩だと思うんです。そうすることで、話した側が聞いてくれた人を丸ごと受け入れることが可能になるんだと思います。相手のことを聞かずに、義援金をあげて去っているのが今までの印象で、お金を先に渡してしまうと、あとはもう何も知ろうとしていないような気がします。

大宮さんがご興味のあるテーマなどについてお話ししていただけますか?
過去の作品は介護の現場を舞台とした作品ですが、テーマは介護ではないんです。やはり他のドキュメンタリー映画作家の方と同じように、わたしが一番興味があるのは「人間」で、もしかしたら介護の現場では、人間が着飾れない裸の付き合いがあるのでは、と思ったんです。認知症のお年寄りは、嬉しい時はほんとうに子供のように喜ぶし、怒る時は手を上げて怒る。人は社会の中で学んで、着飾って大人になって、いずれ年をとり、また子供に戻っていくとわたしは感じているので、そういうお年寄りのいる場所だからこそ、最近の若い人は素の自分を出しやすいのではないのでしょうか。いまの世の中では、日本の若者は生きづらいのかなとも感じています。

わたしの母も介護に携わっているのですが、介護をする方々の一番の大きな人間性はやはり、他を受け入れるということだと思うんです。いまの介護の現場には大宮さんは何を見ますか?もちろんそれは人によるとは思いますが、介護の場は人間の根本を出せる場だと思います。なかなか競争社会の中で許し合えませんよね。そんな社会の中で、居場所のない若い人たちが介護の場にシフトしているように思うんです。そうすると認められる、居易い、ますます好きになる、そういう意味でも、“丸ごと”という意味では、介護から今回の『無常素描』という作品まではベースの部分では同じなんです。

『無常素描』を海外で上映する意義とは?日本公開時も、最終上映時には英語字幕版で上映したんです。英語だけですけれども、作りながら、日本にいる外国の方にも観ていただきたいと強く思っていました。日本にいながらも、距離と時間に比例して、震災のことは忘れ去られていく。だからこそ日本人、外国人関係なく、ひとりでも多くの人に共有してもらうことによって、記憶が薄れていく度合いにブレーキが掛かるのではと。ひとりではゼロになる速度は速いですが、2人だとなかなかゼロにはならない、そういう意味で映画は報道と違って一気に観て終わるものではなく、映画を観る場や時間は自由なので、日本以外の人にも、と意識しました。無常観の理解ではなく、誰にでも起こりうる自然災害なので、日本以外の方にも、被災者の表情や言葉を共有していただければ嬉しく思います。

新しく企画されていることはありますか?現在最終編集中で、来年の4月に公開予定の作品があります。それは介護の続編で、それは去年のいま頃から、1年くらい撮っていました。そんな最中に3月11日があったもので、『無常素描』をまず優先させることになってしまいましたから。

日本に帰ってからも大変そうですね。そうですね。でも映画はお客さんの反応を生で感じることができるので、怖いようでいて、それが一番の楽しみでもあります。

 

『無常素描』公式HP http://mujosobyo.jp/

 

text by 岡本太陽