Interview

 
 
Place: New York

宍戸錠、ニューヨークで語る俳優人生

宍戸錠
アートカテゴリ:  Film

日本映画黄金時代を支えた日活株式会社。2012年の創設100周年を記念して、過去の作品から特集を組み、北米、欧州、アジアを含む世界巡回上映を行うことが、今年のカンヌ映画祭で発表された。

日活というと、ニューフェイスとして日活撮影所に入所した石原裕次郎や、小林旭、浅丘ルリ子といった、日活黄金期を支えた大スターたちが思い出されるが、その中でも、一期生の宍戸錠は異彩を放った。自ら整形で頬を膨らませ、ヒーローではなく、悪役としてその存在を見せつけたのだ。

その日活を語る上で欠かせない存在である宍戸錠が、今回の巡回上映の皮切りとなったニューヨーク映画祭を訪れた。そして出演映画『縄張(シマ)はもらった』、『肉体の門』の上映時に舞台に登場し、熱狂的なファンたちを得意の英語を交えて迎えた。

テレビの勢いに押され衰退していった日本映画界。宍戸錠は、そんな時代の流れに身をまかせ、映画だけに留まらず、テレビドラマやバラエティ番組へも活動の場を広げていった。映画ではタフガイを演じるが、銀幕の外では意外とひょうきんで柔らかな人柄の宍戸氏。それはまるで普段は穏やかでも雨の到来とともに、時に荒々しい姿を見せる川のようだ。変幻自在に意識を変えながらどこまでも流れていく印象を与える現在77歳の俳優・宍戸錠に、COOLはインタビューをおこなった。

 

宍戸さんは、昭和29年に日活ニューフェイスとして日活撮影所に入所されましたが、それまでは大学に行かれていて、大学を途中で辞めてまでプロの役者の道に進むことに対して、当時周りの反応はいかがでしたか?うちの母親はすごく映画好きでね、この子は役者になるに違いないと思っていたみたいだよ。母が『カチューシャの唄』なんかを観てる頃、僕は母のお腹の中にいたから、お腹の中から一緒に映画を観ていたんだ。父親が満州事変で当てたおかげで、うちは結構金持ちだったから、子供の頃は友達とうちでよく映画ごっこもやってたんだよ。

東京大空襲で宮城に疎開されていたころというのは、映画の影響はあったのですか?僕がいた白石という町は小さいんだけど、映画館は2つあって、タダで入る方法をすぐ覚えたよ。

昭和30年代や40年代は、年間10本以上映画に出演されたこともありましたが、そのときの生活はどういうものだったのでしょうか?自由な時間はあったのでしょうか?ニューフェイス3期生の二谷英明を誘って女の子たちと遊びに行ったりしてたよ。旭(小林)はルリ子(浅丘)とデキてたから、あいつらとは遊ばなかったんだ。5期生の高橋英樹の『男の紋章』シリーズなんかやってる頃は、彼は大した人気だったんだけど、あいつ堅いんだよね、意外に。女に堅いのは彼だけだったね。


海外も含めて良い関係になった映画関係者はいらっしゃるんですか?
いたような気もするけど、スターは相手にしなかったな。人生にはモテキというのがあってね、1333人くらいと関係を持ったよ。それも売春とかじゃないからね。全員口説き落としたのさ。

渡り鳥シリーズや、『早射ち野郎』という“早射ち”を見せる作品に出演されていますが、やはり当時のアメリカ映画の影響は強かったんでしょうか?もちろんだよ!ジョン・フォード監督の『駅馬車』なんかは何回も観ているよ。あれは世紀の名作だね。早射ち野郎は、黒いウエスタンハットとドスキンで上下のウエスタンスタイルを作ったんだけど、ところがブーツなんか売っていなかったから、それを上手くそれっぽく見せてウエスタンスタイルを作ったんだよ。ピストルは撃鉄を起こすものがなくて早射ちどころではなかったんだけど、当時の映画の宣伝文句「世界早射ち第三位、0.65秒」は、上手い文句を作ったもんだと感心したよ。

頬にシリコンを入れて悪役として活躍されるわけですが、宍戸さんにとって悪役像とは?リチャード・ウィドマーク(『死の接吻』)が出てから悪役も主役になれると思ったね。『第三の男』のオーソン・ウェルズも好きでね、僕も彼みたいにふっくらすれば良いかなと、あの辺りから整形については考えていたよ。まあでも入れたら入れたで、醜くなってしまうなっていうのはあってね。でもこれは20世紀までの話にするということで、2001年にシリコンは摘出したよ。摘出手術の様子は4つのカメラで撮影したんだよ。

鈴木清順さんとよくご一緒にお仕事されていましたが。そうだね。『殺しの烙印』は、「何だこのわけの分からない映画は!」って、当時の日活の社長の逆鱗に触れて、清順さんはクビになってしまったんだよ。その後、彼は8年間くらいブランクがあってね。そのころ僕はラジオ番組を持っていたんだけれど、ギャラは清順さんに渡していたよ。今は、2人でそろそろまた映画で暴れようかって話をしているよ。


野球選手・川上哲治さんの物語などに出演されており、結構フィジカルな役柄も多いと思うのですが、日頃からトレーニングなどされていたんですか?
ボディビルが流行ったころジムは少し通ってたよ。映画人野球大会では最優秀選手2回取ったし、45歳のときには芸能人相撲大会で優勝したよ。バスケットボールも昔やっていたし、小林旭よりもスポーツは上手いよ(笑)僕は今年中に78歳になるけど、体は相変わらず元気だね。

宍戸さんは、自分自身が変わられていくことも人生の楽しみのひとつのように見えるのですが、生きる上での哲学はありますか?こうしよう、ああしようって考えててたら生きてられないよ。生きること自体が哲学なんだ。

 

 

text by 岡本太陽